マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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奈良県の民俗芸能-奈良県民俗芸能緊急調査報告書-発刊

2014年12月29日 07時23分37秒 | 民俗の掲載・著作
奈良県および大和郡山市教育委員会より委嘱された緊急調査員。

足かけ3年間に亘って県内の伝統芸能を調査してきた。

この度、刊行される運びとなった『奈良県の民俗芸能-奈良県民俗芸能緊急調査報告書-』は文化庁が進める民俗文化財調査に関する国庫補助事業として実施されたものだ。

分厚い調査報告書は2分冊。総頁は846頁にもおよぶ大作。

私の担当は4調査。

「大和郡山市白土町・白土の子供の念仏と大人の念仏」、「桜井市萱森・萱森の六斎念仏」、「大和郡山市田中町・田中甲斐神社の御湯焚き」、「田原本町/天理市・法貴寺郷・池神社の神楽と御湯」を執筆した。

この場を借りて、ご協力いただいた神職ならびに地元のかたがたに感謝申し上げる次第だ。

長文になるが、私の備忘録として書き残しておこう。

県文化財課担当官から調査員の打診をうけたのは平成22年1月4日だった。

31日にも再度の要請があった。

平成23年度から25年度にかけて調査される大項目は能・田楽・相撲の神事芸能に風流・太鼓踊り・念仏踊りや盆踊り、六斎念仏、神楽・獅子舞、田遊びの御田植祭におかげ踊り・万歳である。

これまで県内各地で行われている伝統行事を取材してきた。

その活動ぶりを知っている担当官は奈良女子大学の先生が私を推薦したと云うのである。

伝統行事の撮影・取材はしているものの、民俗学はこれっぽちも学習したことはない無学の私を推薦してくださったのだ。

ありがたいことである。

当時は大和郡山市の市施設に勤務していたが、同年の3月末には60歳定年となり継続雇用はされない。

フリーな身となることからありがたく承諾したのである。

正式な委嘱は未だであったが、担当官とともに調査対象となる伝統行事の絞り込みをする。

これまで取材してきた情報はエクセル表に整備している。

当時の行事取材数は900件であった。

県文化財課にはこれまで収集した民俗芸能・祭礼行事データベースがある。

今では中断或いは廃絶や記録だけというような行事もあるが、総数は980件余り。

私が所有する情報とすり合せ・照合して絞り込む。

県データベースには収録されていない行事がある。

これまでの取材で新発見した行事も付加して新たに一覧表を製作したのは平成23年の7月だった。

そのころは再就職先で週三日間の送迎ドライバーに転じていた。

情報の整備をするとともにお願いされた件も纏めなければならない。

取り急ぎ抽出した情報は菅生のおかげ踊り

画像や歌詞を整備した。

歌いを伴う行事にオンダ祭がある。

所作をする際にお田植え歌などの詞章である。

謡われる地域に野依のオンダ平尾のオンダ手向山八幡宮御前原石立命神社(千秋万歳楽)、畝火山口神社(田植え歌)、吉野水分神社小山戸山口神社(鍬入れ儀で太鼓、鉦叩きの田植え歌)、吐山下部神社の御田子(鉦叩き田植え歌)がある。

また、特徴をもつオンダ祭も抽出した。

砂かけをされる広瀬神社小泉神社

子供が田植えの所作をする新泉素盞鳴神社の一本木のオンダ

子出来オンダの六縣神社もあるが、子牛が誕生するさまを所作する葛城倭文坐天羽雷命神社(倭文神社)もある。

記録すべき民俗行事に神事相撲がある。

山添菅生十二社神社の子供泣き相撲、山添大塩のフンドシ姿刀相撲、山添切幡神明神社の当屋の相撲

奈良市倭文神社の角力、奈良市下狭川九頭神社のスモウ、奈良市柳生八坂神社のスモウ、奈良市丹生神社のスモウ、奈良市大柳生夜支布山口神社のスモウ、奈良市邑地水越神社のスモウ、奈良市阪原長尾神社のスモウ奈良豆比古神社の神事相撲、奈良市誓多林町八柱神社の刀担ぎ神事相撲

天理市上仁興四社神社のヨミヤの子供のスモウ下仁興九頭神社の子供スモウ

小泉神社境内社九頭神社の宵宮スモウ

御所市川合八幡神社のスモウ

大淀町岩壺葛上神社の子供神事相撲などだ。

同時併行の作業は神社行事だけでなく地域で行われている六斎念仏や鉦講もあれば太鼓踊りや盆踊り、獅子舞も、である。

8月ともなれば正式な緊急調査員の委嘱通知が届いた。

奈良県教育委員会経由の大和郡山市教育委員会からである。

挨拶に伺いお会いしたのは教育委員会の文化財担当者。

私が担当するのは大和郡山市内の伝統行事の悉皆調査だ。

念仏系、神楽系、神事相撲に御田植祭がある大和郡山市。

事前調査していた範囲内では45行事。

当時はまだ半分程度しか取材できていない。

一年をかけて悉皆調査の基礎調査もあれば、詳細報告をしなければならない白土町の念仏講もある。

講中組織や営みに鉦などの所有物も調べなければならない。

平成23年9月、詳細調査員への説明会が橿原考古学研究所で実施された。

ほとんどの人は存知しない著名な方ばかり。

うち、何人かは行事取材にお会いする方もおられる。

施設で学芸員を勤められている方も居る会場で自己紹介が始まった。

文化財担当官から私が発刊した著書『奈良大和路の年中行事』を紹介してくださる。

ありがたいことである。

これまで活動してきたことを述べて自己紹介をさせていただいたが、カメラマンで調査員になるのは私一人だった。

10月、県文化財課から神事芸能系の先行詳細調査計画表が各調査員に送られてきた。

直接の調査担当ではないが、一部の地域では調査補助の支援もあるし、直接調査される調査員への情報および写真の提供もしなければならない。

12月、整備された民俗芸能データベースが県文化財課から送られてきた。

神前神楽、湯立神楽、御田植祭、太鼓踊、六歳念仏、双盤念仏、念仏踊、十九夜講、風流踊、田楽系神事芸能、能・狂言、祭囃子、獅子神楽、盆踊などを網羅したデータベースである。

廃絶或いは記録のみとなる行事も入れておよそ340もある貴重な情報だ。

現在もなお実施されている行事数は170。

うち重要とされる行事数はおよそ60だ。

平成24年6月、市教育委員会小学学習課並びに県文化財課へ担当する大和郡山市の悉皆調査・基礎調査報告書を作成し提出した。

翌7月には白土町・念仏講の詳細調査報告書も作成し提出したが、重大な誤りが判明した。

大慌てで訂正した報告書は9月に再送付した。

同月20日は県文化会館で中間報告会が開催され、各調査員が出席していた。

一部先行して作成された事例をもとに報告をされる。

指摘されるのは調査委員である。

その会合が行われる数週間前。

文化財担当官から追加の調査願いがあった。

天理市海知町のシンカン祭である。

記録はビデオ収録

大慌てでオトヤ(大当屋)を探しあてて収録させていただいた。

狙いは神前神楽の御湯であるが、これは後日、さらに願われて法貴寺郷・池坐朝霧黄幡比賣神社における神楽・御湯を纏めることになった。

10月に調査した唐古八田も加えた御湯の詳細調査に発展したのである。

当初の詳細調査担当は大和郡山市白土町の念仏講だけであったが、1件増えたのである。

池坐朝霧黄幡比賣神社宮司の聞取りに基づいて法貴寺郷中における調査報告書を作成することになった。

再整備した白土町・念仏講とともに提出した法貴寺郷・神楽と御湯は新たに判明した史料を元に執筆した詳細報告書は平成25年2月に提出した。

前月には御所市でみられるトンドの在り方も調査してほしいと願われたが日程的に重なっており無理。

とうてい取材できる状況でもなく、やむなく断った。

同月に県文化財担当官からまたもや調査依頼があった。

神楽の延長線に浪速神楽がある。

その関係性を調査してほしいということだ。

気になっていたのは三輪恵比須神社で行われている八つ湯釜

この年は日程を確保できず翌年持ち越しとなった。

5月、またもや追加の詳細報告書。

今度は萱森の六斎念仏である。

執筆担当だった人は都合が悪くなったことから当方にオハチが廻ってきたのである。

萱森の六斎念仏は平成23年3月に彼岸の念仏を取材したことがある。

報告書に纏められるだけの情報は得ていた。

念仏詞章も翻刻していた。

再調査も要するが受けた。

同月に話しがあった村屋神社のオンダ祭。

調査員は知人である。

提出された報告の調査日には私も同行していた。

当地のオンダ祭は森講の行事であることを再認識した次第だ。

田原本町図書館蔵の史料も確認していたので明確になった。

新たに発見した史料もあった。

それは宮司がお田植え所作のときに謡われる籾蒔き唄だ。

検証画像を送り意見交換をした。

県内で行われている巫女神楽がある。

神社祭祀を勤める巫女ではなく里の巫女だ。

県内には三郷町の坂本家と大和郡山市の加奥家が代表的だが、同市小泉町の璒美川家もある。

所作が異なることもあって主に御湯を作法されている田中町・甲斐神社の年中行事の詳細報告もお願いされた。

詳細調査報告書は4件も執筆することになったのである。

これまでいくつかの御湯作法を取材していたので受けた。

宮司の聞取り内容など加味して執筆。

6月に送付した。

文化財担当官とさまざまなやり取りがある。

話しの展開上であがった念仏鉦の刻印。寄進された年代や鉦の製作者が新たに判ったものが増えつつあった。

データを整備して提供することになった。

鉦は主に六斎鉦と双盤鉦である。

数年前に記録していた苣原大念寺白石興善寺の鉦打方帳も整備して送付した。

さて、萱森の六斎念仏である。

田中町もそうだが地域の人が書き残した私家版史料がある。

これらの検証をしなくてはならない。

桜井市図書館蔵の史料も検証したが、寺跡の発掘調査まで調べる必要が生じた。

享受してもらいたく訪ねた元興寺文化財研究所。

突然のアポなしであったが快く応対してくださった研究部長狭川真一氏に感謝する。

こうしたウラドリに奔走した7月。

平成25年8月に訪れて萱森の六斎念仏を再確認した。

同月には桜井市で行われているオンダ祭の基礎調査報告もしてほしいと願われた。

報告は大神神社、小夫、萱森の3行事だ。

萱森のオンダはこれまでどこにも報告されていないので、できるだけ詳しく書いた。

一方、田楽系の神事芸能調査がある。

峰寺松尾的野の三カ大字で奉納される六所神社のジンパイがある。

県文化財担当官と話していた当該行事の在り方は複雑だ。

村に残されていた史料。それまで撮影記録していた「松尾の祭礼栞」が役にたった。

史料はもう一つある。

室津の奥中宮司が整備した大正4年調の『東山村神社調書(写し)』である。

これらは多いに役だった。県文化財担当官並びに執筆する知人の調査員にも送って参考にしてもらった。

8月は新たに発見した大江町の六斎念仏や里の巫女の装束も調べていた。

そのころには随時併行しながら詳細報告書の校正に入っていた。

緊急伝統芸能の詳細報告は「御田」の項で10行事。

「翁舞・田楽・相撲」の項で20行事。

「風流・盆踊り」では23行事。

「念仏芸能」は7行事。

「神楽」は6行事。

「獅子舞」が9行事に、「その他」のだんじり・練り供養は4行事。

合せて79行事もある。

報告書は総論、各論、特論も寄せられる。

各執筆担当者が挙げる詳細報告を鑑みた論である。

校正は全体構成を俯瞰しながらされたことと思う。

報告書の頁数の関係もあることから文字数も制限される。

何度も何度も繰り返す校正のやり取り。

9月ともなればようやく落ち着く。

が、しばらくすれば基礎調査報告の追加も願われた。

場合によっては詳細報告書の写真の提供もある。

奈良市北村のスモウ所作はすべてが私がかつて収録した写真である。

翌年の平成26年2月。

校正刷りができあがった。

この段階になっても大きな誤りが発覚する。

キャプションと写真が合致していなかったのだ。汗、汗である。

2月末からは所有する行事写真の依頼だ。

執筆者が撮れていなかった映像の補完する写真を埋めてほしいと云うのである。

御田系、田楽系に舞いや風流踊、獅子舞もある。その数多しである。

2月、3月は始めて出かけた地域の御田祭を取材した。

埋もれていた行事が見つかったのである。

急遽のことだが県内で行われているオンダ行事に追加することになった。

再校正刷りができあがり執筆者に最終の確認を伝えたのは3月23日だ。

同時併行する作業があった。

掲載写真の追加依頼であるが、私以上の腕を持つカメラマンがいる。

描写が奇麗な美しい写真を撮っておられる。

推薦させていただいて文化財担当官に繋いだ。

当初の予定では平成26年3月に発刊する計画であったが、再々の校正で遅れていた。

作業はまだある。表紙・裏表紙レイアウトに口絵写真の色校正もあった。

口絵写真はカラーの原版フイルムで起こす。

一部はデジタル映像になったが、発色の違いが判るだろうか。

担当した詳細報告を含めて本報告書に写真を提供した枚数は45枚にもなった。

5月末から6月にかけては取材先でお世話になった方へ発送する手配も完了した。

執筆者に届いたのは6月中旬だった。

それより10日過ぎには取材地に送り届けられた。

喜びの声も届いた『奈良県の民俗芸能-奈良県民俗芸能緊急調査報告書-』の総頁数は裏表紙も入れて862頁。

ボリュームたっぷりの報告書であるが非売品。

県内各地の図書館へ送られて蔵書になった。

また、関係教育委員会にも送られている。

是非とも拝読していただきたいと思っている。

(H26. 6.18 SB932SH撮影)