今朝の体重は67.2kg。
添えつけのリンゴジャムを絞り出してパンに塗る。
口にほおばる。
無理やり入れて食べているようなものだ。
10時、10階にある遥拝所を覗き込む一人の男性と目が合った。
なんと、なんとである。
病院服を着ていたので入院患者に違いないが、たびたびお会いする室生染田在住の男性に驚く。
お互いが着ていた病院服でこれまた驚きである。
今月の10日に入院・処置をしてこの日の13日に退院するという。
男性の病名は前立腺がん。
入院階は5階の泌尿器科なのに、なぜこの階へ・・である。
尋ねた結果は遥拝所だった。
そんな話をしている処にY医師がやってきた。
往診しようと思って病室に来たが不在。
たぶんにここだろうと判断されてきたのである。
伝えたいのは心電図の結果である。
結果は良好なので、点滴のプロタノールの流量を3から2に下げるということだ。
一時間後の11時にはT看護士さんが流量調節をされた。
この日は奈良マラソンがあると患者さんが話していた。
そうだ、13日は奈良マラソン。
奈良市内東部山麓や天理市の道路を走っていればいやがおうでも目につく「奈良マラソンは13日(日)」。
マラソン走者が道路を占領する。
もちろん、その時間帯は完全なる通行止めになる。
奈良マラソンを初めて見たのは平成13年(2001)12月2日のことだ。
たしか、その時代は奈良マラソンのお呼び名でなく奈良春日・大仏マラソンだったような気がする。
当時は今のようなフルマラソンはなく、大仏殿周りから奈良公園にかけて走るコースだったように思える。
フルマラソンになったのは第1回目開催の平成22年12月5日からだ。
フルマラソンは奈良市鴻ノ池陸上競技場を発着点に奈良市―天理市を往復するコ-スだ。
天理市を巡ることを知ったのは道路に立ててあった通行止めの案内である。
が、である。
入院患者さんが話すコースは入院棟のすぐ近くらしい。
看護師さんもその件は承知しているようだ。
付近といっても近くなのか、周辺なのか・・・。
入院棟に貼ってあった新聞がある。
それに載っていた奈良マラソンの通行止め案内。
どうやら入院棟の真下を走るようだ。
入院棟のガラス越しから覗く東・西・南・北の方角。
入院棟および外来棟の入口前の道路に赤いコーンを設置していた。
すでに始まっていた道路封鎖。
コースは道路中央に赤いコーンがあるから走者がここを往復するのだろう。
そうであれば折り返し地点はどこになるのか・・である。
奈良テレビ放送で奈良マラソンの中継が始まった。
映像を見るかぎりでは10kmもしくは3kmの短距離コースのようだ。
生中継の放送時間は10時半ころに終わるようだが、フルマラソンは昼過ぎまでかかる長距離。
自宅でテレビを見ていたかーさんがメールをくれた。
生中継が終わってKCNネットでフルマラソンが放映されそうだが見方はどうするの・・であるが、私はしたことがない。

そうこうしているうちに往路を走る赤い車が見えた。

通過するやいなや、追っかけるように走るランナーが眼下に見えた。
10時18分から19分にかけてのことである。
沿道に拍手する何人かの人が居る。
ランナーを応援する観客のなかには入院患者らしき人もいる。
ケータイ・スマホなどで写真を撮っている人もいる。
コースに入らないように見守るガードマンもいる。
しばらくしてかーさんからメールが届いた。
折り返し地点の様子が放映されて生中継が終わったというのだ。
そのときの状況は手にしていたケータイのテレビ放映で視聴していた。
たぶんに天理教本部であるように思える。
そして、復路を走るランナーを待っていた。

10時31分、ランナーよりも先に走ってきたのはパトロールカーだ。
もうすぐ先導車が来るはずだ。
10時34分、2台の白バイがやってきた。
35分、第一走者が続いて走ってくる。

走者は並んで2人だった。
往路は応援する人が多い。
走者が通過するたびに拍手が沸き起こる。
逆に復路は・・・数人だ。
9時にスタートしたフルマラソンは1時間半ほどで折り返したようだ。
それから1時間20分後の11時56分のランナー状況といえば往路・復路とも走者数が多くなっていた。
ずっと見ているわけにもいかない。

昼食を摂っている間もランナーが駆けていったそうだ。

午後2時ころには赤いコーンを回収するトラックが走っていった。
18時、入院時から毎朝・昼・夕に服用していたセフゾンは今夜が最後になると話すY看護士。

セフゾンは5日間限りの抗生剤である。
前日に誤って服用したワーファリン。
朝と夕が逆転した誤飲服用である。
二度と誤りは起こしてならないと看護士は注意して内服薬袋をから出して指定の錠剤を数える。
食後にこれを飲んでくださいと念押しだ。

食前・食後の服用は厳正な措置がとられたのである。
(H27.12.13 SB932SH撮影)
添えつけのリンゴジャムを絞り出してパンに塗る。
口にほおばる。
無理やり入れて食べているようなものだ。
10時、10階にある遥拝所を覗き込む一人の男性と目が合った。
なんと、なんとである。
病院服を着ていたので入院患者に違いないが、たびたびお会いする室生染田在住の男性に驚く。
お互いが着ていた病院服でこれまた驚きである。
今月の10日に入院・処置をしてこの日の13日に退院するという。
男性の病名は前立腺がん。
入院階は5階の泌尿器科なのに、なぜこの階へ・・である。
尋ねた結果は遥拝所だった。
そんな話をしている処にY医師がやってきた。
往診しようと思って病室に来たが不在。
たぶんにここだろうと判断されてきたのである。
伝えたいのは心電図の結果である。
結果は良好なので、点滴のプロタノールの流量を3から2に下げるということだ。
一時間後の11時にはT看護士さんが流量調節をされた。
この日は奈良マラソンがあると患者さんが話していた。
そうだ、13日は奈良マラソン。
奈良市内東部山麓や天理市の道路を走っていればいやがおうでも目につく「奈良マラソンは13日(日)」。
マラソン走者が道路を占領する。
もちろん、その時間帯は完全なる通行止めになる。
奈良マラソンを初めて見たのは平成13年(2001)12月2日のことだ。
たしか、その時代は奈良マラソンのお呼び名でなく奈良春日・大仏マラソンだったような気がする。
当時は今のようなフルマラソンはなく、大仏殿周りから奈良公園にかけて走るコースだったように思える。
フルマラソンになったのは第1回目開催の平成22年12月5日からだ。
フルマラソンは奈良市鴻ノ池陸上競技場を発着点に奈良市―天理市を往復するコ-スだ。
天理市を巡ることを知ったのは道路に立ててあった通行止めの案内である。
が、である。
入院患者さんが話すコースは入院棟のすぐ近くらしい。
看護師さんもその件は承知しているようだ。
付近といっても近くなのか、周辺なのか・・・。
入院棟に貼ってあった新聞がある。
それに載っていた奈良マラソンの通行止め案内。
どうやら入院棟の真下を走るようだ。
入院棟のガラス越しから覗く東・西・南・北の方角。
入院棟および外来棟の入口前の道路に赤いコーンを設置していた。
すでに始まっていた道路封鎖。
コースは道路中央に赤いコーンがあるから走者がここを往復するのだろう。
そうであれば折り返し地点はどこになるのか・・である。
奈良テレビ放送で奈良マラソンの中継が始まった。
映像を見るかぎりでは10kmもしくは3kmの短距離コースのようだ。
生中継の放送時間は10時半ころに終わるようだが、フルマラソンは昼過ぎまでかかる長距離。
自宅でテレビを見ていたかーさんがメールをくれた。
生中継が終わってKCNネットでフルマラソンが放映されそうだが見方はどうするの・・であるが、私はしたことがない。

そうこうしているうちに往路を走る赤い車が見えた。

通過するやいなや、追っかけるように走るランナーが眼下に見えた。
10時18分から19分にかけてのことである。
沿道に拍手する何人かの人が居る。
ランナーを応援する観客のなかには入院患者らしき人もいる。
ケータイ・スマホなどで写真を撮っている人もいる。
コースに入らないように見守るガードマンもいる。
しばらくしてかーさんからメールが届いた。
折り返し地点の様子が放映されて生中継が終わったというのだ。
そのときの状況は手にしていたケータイのテレビ放映で視聴していた。
たぶんに天理教本部であるように思える。
そして、復路を走るランナーを待っていた。

10時31分、ランナーよりも先に走ってきたのはパトロールカーだ。
もうすぐ先導車が来るはずだ。
10時34分、2台の白バイがやってきた。
35分、第一走者が続いて走ってくる。

走者は並んで2人だった。
往路は応援する人が多い。
走者が通過するたびに拍手が沸き起こる。
逆に復路は・・・数人だ。
9時にスタートしたフルマラソンは1時間半ほどで折り返したようだ。
それから1時間20分後の11時56分のランナー状況といえば往路・復路とも走者数が多くなっていた。
ずっと見ているわけにもいかない。

昼食を摂っている間もランナーが駆けていったそうだ。

午後2時ころには赤いコーンを回収するトラックが走っていった。
18時、入院時から毎朝・昼・夕に服用していたセフゾンは今夜が最後になると話すY看護士。

セフゾンは5日間限りの抗生剤である。
前日に誤って服用したワーファリン。
朝と夕が逆転した誤飲服用である。
二度と誤りは起こしてならないと看護士は注意して内服薬袋をから出して指定の錠剤を数える。
食後にこれを飲んでくださいと念押しだ。

食前・食後の服用は厳正な措置がとられたのである。
(H27.12.13 SB932SH撮影)