都市と楽しみ

都市計画と経済学を京都で考えています。楽しみは食べ歩き、テニス、庭園、絵画作成・鑑賞、オーディオと自転車

新浦安の液状化:東北地方太平洋沖地震について(5)

2011-03-27 07:47:03 | 都市計画

90年過ぎから10年間新浦安に住んでいたことがあるが、液状化はどうして新浦安だけなのか訝る。液状化は具の多い豚汁を揺すると具は下に、お汁は上に上がる。具の表面が地表で、お汁は液状化で噴出すのと同じだ。<o:p></o:p>

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新浦安の知り合いが、最近に関西に「避難」してきている。(梅と桜の季節だからか)<o:p></o:p>

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埋立地は東京湾岸に多いが、何で新浦安だけなのか?(よく調べると、千葉市や市川市でも湾岸では同じような被害がある)埋立てになにか特殊な要因があるのか?マンホールが上がるのは、空洞で軽いから水に押し上げられたのか?30年も前の埋立てが液状化するものなのだろうか?インフラの耐震性に問題はないのか?家屋の構造被害状況(不同沈下 等)?道路沈下による将来の水害は?<o:p></o:p>

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液状化の原因が分らないと、安心して住めないだろう。健康への影響を考え、憤土の成分も知りたい。今後の地震でも同じことが起こりはしまいかと心配になる。<o:p></o:p>

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被害とガス、上下水の供給状況を見てみると、第一期(中町)の埋立てで京葉線に沿ったエリアの被害が大きいようだ。(なお、「元町」、「中町」、「新町」という区別は知らない、何時頃からの区別なのだろう)<o:p></o:p>

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歴史を探るともともとの「元町」(一部は拡大)、浦安の埋立ては第一期(19651975)「中町」、第二期(19721980)「新町」に分かれる。( http://www.city.urayasu.chiba.jp/menu2863.html 、http://www.city.urayasu.chiba.jp/menu3187.html )浦安駅周辺が「元町」、昔の海岸線の名残は大三角線の南に走る段差のある道路(見明川と高速の交差、浦安高校、東野交差点、市役所、浦安署、浦安病院)で分る。これからが第一期埋立てで京成サンコーポが浦安で初めての大型マンション開発であったとのことだ。京葉線と平行に500m程南に(入船中学と明海大学の間)走る道路にも堤防の跡があり、これから先が第二期の埋立地だ。このあたりはマンションばかりが立ち並び、新浦安駅からも相当距離があるが、お洒落な街になっている。<o:p></o:p>

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開発は ( http://www.city.urayasu.chiba.jp/menu3189.html )千葉県開発庁(現企業庁)とのことだが、「進出を希望する企業からの土地造成費の予納を受けて工事を開始し、工事完了後に予納分に見合った土地を譲渡する方式」、いわゆる「千葉方式」だ。浦安の埋立ての事業主体や漁業補償(これはオリエンタル・ランドも関与したとの話を聞くが)の詳細は分らない。<o:p></o:p>

どうやら、埋立て後35年も経過する第一期の埋立てにこれだけ被害が大きいと釈然としない。なお、90年代には境川西側沿いで東野から鉄鋼通りまでの道に結構隆起が出来ていたのを思いだす。<o:p></o:p>

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当時は、古い浦安の姿が好きで絵に描いた。( http://www15.plala.or.jp/n7ohshima/drawings.html )浦安の旧市街は好きだ。秀寿司の親父さんお元気かな。新浦安は人工的で車に乗らないとどこにも行けない。京都は車より歩くか自転車の街で対極的だ<o:p></o:p>

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マリナーゼも泥だらけでは形無しだ

 

コメント
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