都市と楽しみ

都市計画と経済学を京都で考えています。楽しみは食べ歩き、テニス、庭園、絵画作成・鑑賞、オーディオと自転車

評伝ロバート・モーゼス(渡邉泰彦):個人の業績に傾倒し時代背景が見えていない問題がある

2018-09-08 02:34:22 | 都市計画

 著者は都市計画の専門家ではないが、経歴から槇文彦さんの推薦もある。しかし、読む価値は感じない。ジェイコブスに対するモーゼスの研究としてのみ存在価値がある。また、文章が生硬なのも気になる

 全体に当時の社会環境、モーゼス個人を取り巻く開発環境、経済、社会動向など「横」への言及がなく、モーゼスの生涯という「縦」のみの研究と位置付けられ、立体的・時間的展開に欠けている。

 さまざまな問題点がある、これを列挙する:

・モーゼスは流行を追っていたのみ:当初の公園開発も当時流行に乗っただけではないか、「都市と緑地」にパーク・システムがあるが、ご存知だろうか ( https://blog.goo.ne.jp/n7yohshima/e/dfbc814acfc36b61fb626f5c33be3d10 )

・マストラの整備について、もともとアメリカは鉄道王国だったが1920年代の恐慌時に倒産があった。この後、自動車の普及(T型フォード:フォーディズム)、ハイウエイ政策(1956年)もあり車社会と転換した

・モーゼスの開発は、郊外インフラからマンハッタンの3本のハイウエイに入り、挫折したのは既存の住民利権・生活を考えなかったから→住民同意が開発の制限になるというNIMBY、BANANA,NOTEなどで「開発が潰えてしまう」と著者は懸念しているが、開発の合意形成が今の都市計画だ。開発者として、市民としてのモラルを疑わざるを得ない。

・地図が分かりにくい、資料としての価値が減じている

・個人の利権を確保するために公社を利用したのは現在でも懸念される。行政の外での立ち回りをより分析すべきだ

・ニュー・ヨーク世界博覧会( https://en.wikipedia.org/wiki/1964_New_York_World%27s_Fair )は失敗そのものであり、跡地利用( https://en.wikipedia.org/wiki/Flushing_Meadows%E2%80%93Corona_Park )を評価できるという見解には「緑地整備の成功」としか言えない

 全体に開発者びいきの論調だが、インフラ整備というのはモーゼスがいなくても進んだと思われる。逆に、開発ありきの成功体験者が、アーバン・リニューアル時代(都心復興)での協調型のまちづくりに置いておかれたというのが実情だ。

 時代の変遷、政治の変遷、都市開発の価値の変遷など立体的な利権の交錯と時代の変遷という多面性に欠けた著作だ

コメント
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