城山公園へは頂上付近にある駐車場までバイクで行くが今回は一度登ってみたく思っていた下の道路よりの階段を使った。
登り切った場所には鉄の大きな網が巻かれた状態で数本転がっている。
すぐ下は絶壁で昔は波が打ち寄せる磯だったが今は道路がつけられている。
私もよく通る。
その絶壁を鉄の網で石を転がり落ちないように覆うようだ。
作業をしているおじさんに隣にある今は使われてない市民プールの大きな滑り台を”あの高いステージみたいなのはなに?”と聞かれたことより話し始めて知った。
四国中央市の仕事だけれど徳島県から来た業者で4人で来て4~5日の仕事らしい。
業者のおじさんは大きな滑り台を津波の避難所かなと思ったようだ。
それにしても絶壁の下に道路ができて何年にもなるが東北の震災が起こったことでの避難対策の一つかと思うが今は荒れるに任せられている立派な市民プールの施設はもったいない。
何年使ったのか知らないが更地にするにもお金がかかるだろう。
城山公園には先日92歳になる母が70年以上前に琴弾公園でデートしたものの戦死した男性の名前を戦没者記念碑に刻まれているかどうか調べに来た。
御影石にほられている名前にはブルーの色が入れられているがはがれている部分も多く判読しぬくい名前もある。
特別な思いで名前を探しに来る人もいると思うので修理してもらいたいものだ。
聞いた姓で同じ金生町の戦没者は4人もいる。
名前を書いて帰り母に聞くとやっぱしいた。
二十歳ぐらいでの戦死らしい。
その男性が戦死していなければ今の私たちはこの世にいないんだと思うと忘れられない名前になった。
城山公園の急な坂道で野球部の高校生が30人ほど走ってきてすれ違いざまに全員で”こんにちは”と言われた。
たじろぐが悪い気はしない。
この年代に近い人たちが戦争で多くの命を絶たれた。
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