野草(イエツァオ)なくらし!

文京区改め金生町で草をアートし売り、食べています

今手探りで付き合い中

2017-08-14 22:24:14 | 日記・エッセイ・コラム

40年近く使っていたレンジが往生した。

下が古いレンジだが右下の時間を設定する箇所が2年4か月前に壊れ芯だけになった。

ペンチでねじるとレンジ機能は正常に作動する。

買い替えも考えたがそのまま使い一年過ぎたころテレビの部品から芯にピタッと合う部品が見つかり使っていたがドアの閉め方を工夫しなければ動かなくなった。

こうなれば長年生活を共にした仲間、一日でも長く暮らそうと丁寧に付き合っていたが先日ピタッと止まった。

もう駄目だときっぱりあきらめがついた。

ドアの閉め方を工夫しかけたころよりごみとして始末はしないで作品の素材として使うと決めていたので心も軽くすぐ新しいのを買ってきた。

上が新しいレンジ。

決め手は古いのより3キロ軽くて10キロだったことだ。

古いのとは解体することよりまた新しい付き合いが始まり新しいのとは今手探りで付き合い中。


 




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今重要文化財真鍋家では・・

2017-08-14 01:10:22 | 日記・エッセイ・コラム

第2日曜日に開かれる切山にこにこ市へ行き帰りに久しぶりに重要文化財真鍋家へ立ち寄った。

茅葺屋根には桐木が生えている。

生えている場所をわきまえ従来の大木には育たないと思うが心配だ。

いろんな植物が心地よさそうに生えている。

熊本大地震での熊本城修理のため本来なら修理のはずだったが時期が遅れているらしい。

熊本地震の余波が切山にも及んでいた。

管理寮の植え込みの植物が楽しそうだった。

右側に写っているアジサイだが別名”ポップコーン”。

言われれば花がはじけたポップコーンみたいだ。

ツワブキの中から思い切り伸びた高砂百合にはカニクサ、イヌマキにはヤマノイモが絡みつきみんな元気な夏を過ごしている様子。

4年前の真鍋家

 

 

 

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川之江先輩塾デーへ

2017-08-12 22:34:21 | 日記・エッセイ・コラム

”川之江先輩塾デーのご案内”のチラシを知り合いからいただいた。

川之江高校に故郷を実感し各大学で教えている教員がが後輩を応援するための催しのようだ。

主な対象は進学希望の2年生だが地域の方々の一行もあった。

7つの講座の中で”東山古墳と向山古墳”の講座に興味があり恐る恐る行った。

数十年ぶりの校庭はほとんど記憶にはなく写真右の工事中の場所が体育館だったと聞きあったことは思い出したがすぐ後ろに建つ創立100周年記念館は知らなかったがそこで全大会ををすることより始まった。

13:45分~14:45分までの講座は”東山古墳と向山古墳”

東山古墳は図書館の催しで今回の先生が講師の時参加した。

マンガとして今登場している木梨軽王子が流された地が市内と言うのはワクワクすることだ。

我が家の近くにある向山古墳は8番目に大きな古墳らしい。

古代より開けていた地域だとわかったことは嬉しい。

3:00~4:00までの2講義目はもっと身近で面白かった。

寝ている学生もいたが同じ年頃ろであれば寝ていたかも。


先生は7月に熊本城へ行ったそうだがパネルに映し出された写真は私も5月に行ったとき心惹かれた場所だった。

先生の専門は銅剣で神庭荒神谷遺跡で大量に発掘された銅剣の展覧会を文京区暮らしの時みて図録も買っているがその発掘や修復にも携わっているとか。

後ろの席で聞いていたが机に座る学生を見ていると数十年前と同じだと思えてきた。

休憩の時間に散策したが木を使った教室があり全く記憶にないので新築されたのだろう。









 

 

 

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仏殿城(川之江城)の謎を歩け

2017-08-11 22:08:57 | 日記・エッセイ・コラム

お城好きの妹のきんかんと図書館主催の”仏殿城(川之江城)の謎を歩け”に参加した。

講師は小学校の校長。

小学生も対象のようだ。

クイズやゲームもある。

クイズやゲームに勝つと賞品までいただける。

2班に分かれて的を矢でいるゲーム。

きんかん奮闘中。

私たちは小学生が2人入っているチームに大差で負けた。

天守閣より我が家方面。

瀬戸内海方面。

暑い毎日の中バッサリ切られた切り株から負けじと赤い新芽が出ていたのが目についた。

ゲームとクイズでもらった賞品。

水につけておくと何十倍にもなりお花を挿すことができるそうだ。。

講師の先生が描いたマンガで仏殿城のことがわかりやすく書かれているのと仏殿上の資料もいただいた。

”謎を歩け”と言うほどの場所は歩かなかったが楽しい時間だった




 

 

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湖水祭りへ

2017-08-10 22:07:09 | 日記・エッセイ・コラム

いつもなら来賓あいさつの頃はまだ明るく近くを散歩中でいないが今回はいて面白いことに気が付いた。

参議院委員、県会議員、市長などの政治家と全く違う雰囲気の人が2人いた。

挨拶の時国土交通省の役人と分かった

あくがなくつるんとした雰囲気で政治家は反対。

川之江支所前4:30分発、着いたのは5:00分ごろだが少し前は川状態だった金砂湖の水量もふえ気持ちのいい風景が広がっていた。

薄くしか映ってないが仕掛け花火ナイアガラもセットされている。

警備の地元の人たちもたくさんいたが大変な労力のいる催しだ。

地元の産物などが売られているテントが張られている場所を離れると水を上手に使った公園がある。

催し物は関係なく花火を見に来ている人たちは早々と場所取りをしている。

私はカメラの操作が苦手ですべてオートで済ませているので花火の写真はうまく撮れない。

5:30分ごろには早々と花火を写すためカメラをセットしている気合の入った人がいたので花火の写し方を聞いた。

写し方などいろいろ教えてくれるがあまりわからずとにかくオートよりよく映るところにセットしてもらった。

その人は松山から来ていた。

ミキャンも愛媛国体を盛り上げるために松山から来ていたがシコチューは来てなかった。

会場には年配の人が多かった。

上から下までピシッと決めて歌う男性は90歳、100歳時代が来るのはまじかか。。

カラオケの後でのフラメンコダンサーの踊りや演奏は良かった。

スーツで踊った男性ダンサーは激しい動きのため汗だくで控室がなく出番外の人も舞台上にいるので女性ダンサーが踊っているとき上着を脱ぎオープンシャツ姿になっていた。

大きな花火音に包まれながらまじかで見る花火は迫力満点。

どうにか花火も撮れたがブレを防ぐためにカメラを固定して撮ると教えられたができなかったのが悔やまれる。

次回はもっとうまく撮れるだろう。

お土産はフットボール型のスイカとアメゴの塩焼きは会場で食べたのでクシだけとダムのブースでいただいたうちわ。


 

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ナツメ仕事始まる。

2017-08-09 21:33:17 | 畑事情

今年もナツメがたわわになった。

見渡せばとても豊かな気分になる。

花が咲くのは5月で7月の末にはもう収穫でき虫もほとんどつかず実があまりつかない裏年もない。

本当にありがたい木だ。

味に癖がなくいろんな食べ方ができとても重宝している。

焼酎や酢に漬け、乾かしたり蒸して冷凍、漬物に、砂糖漬けやハチミツ漬け、煮物や炒め物に。

薬効も抜群。

今年初めて水と昆布だけで煮てみた。

薄甘でサラダに入れるといくらでも食べられる。

実がなり始めるととても忙しい。

喜んでくれる人たちにはおすそ分けしたり送ったり。

興味がない人たちももちろんいる。

母は硬いと言ってもらってくれないし妹のきんかんも興味を示さない。

すぐ隣には同じ時期に花が咲くフェイジョアの木がある。

一昨年より実がなり始めたが採れるのは11月の末。

今小さな実がついている。

隣のナツメと一緒に花が咲くが倍以上の時間をかけて実を成熟させる。

燃費が悪いと思うがそれなりの良さはある。




 

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箸供養NO2(番外編)

2017-08-08 22:51:32 | 日記・エッセイ・コラム

立ち入り禁止の看板近くでで氏子の人たちがいた。

もう始まっていますよ、何回目ですかと聞かれ2回目ですと答えると近道を教えてくれた。

来たのは2回目で箸祭りへは1回目ですと答えればよかったと後で後悔する。

参拝道路はもちろん徒歩道だが裏道は車道だ。

祭りごとの道具や人は車でこの道を通るが長い間森だったのだから巨大な木もある。

ゆっくり眺めたいが急ぐ。

やっと広場に着くと真言のお寺らしく札所のご本尊がずらりと祀られている風景も興味を引くが素通り。

 

 

まず女性の行者の弓による祀り事で始まったが放たれた弓は子供たちが競って拾っていた。

祀り事の間のいいタイミングにはほら貝の音が聞こえる。

ヒノキの葉で作られた櫓に火がつけられるころには氏子の人たちにより消火用のホースが設置され始めた。

小雨がぱらつき始めると太鼓演奏の人たちはあわてて太鼓に覆いをかぶせる。

昨日は台風5号のため大雨だったが火が大事な要素の箸供養は雨だとどうなるのだろう。

箸供養の間小さな女の子はちょろちょろしながら楽しんでいたが一般の人たちの火渡りの時行者が抱っこして渡ってあげようと言ったが逃げていた。

煙や火の勢が強くなると恐怖感もある。

法被を着た男の子たちだが何かの役目を担っていたのだろう。

太鼓をたたいていた女性の行者だが黄色の衣装もきれいだったが足元がスッキリとかっこよかった。

この行者がもつほら貝は特別大きいと思った。

火渡りもする行者達だが暑さ対策のクーラーボックス持参で水分補給をしながら祀りごとをしている。

和太鼓の音は行者たちの祀り事を盛り上げる。




行者がお清めの塩の上で心頭滅却し火渡りする瞬間。

火の上を走るのは8~9歩だった。

お札を買った人が火渡りした場所を通り参拝できたが私は車道の近道を通り裏からの参加でお札は買ってなかった。


 



 

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箸供養NO1(火渡りまで)

2017-08-07 21:44:44 | 日記・エッセイ・コラム

箸蔵寺の箸供養現場へ着いたのは12:20分ごろで行事は始まったばかしのようだった。

豊かな緑の山をバックに不動明王の両サイドには巨大な赤い箸が飾られ祭壇が設えてあり行者の衣装も黒、白、黄色と鮮やかで日よけの赤い和傘も目を引く。

女性の行者による祀り事。

4角と祭壇に矢を放った。

男性行者による刀を使った祀り事。

白と黒の衣装の行者によりローソクの火より松明に火をつけている。

燃える松明の前でブルーの衣装の行者が不動明王に祝詞をあげる。

ヒノキの葉で覆われた櫓に火をつける頃赤い装の行者がヒノキの葉で覆われた座に座った。

火をつけられたヒノキの葉で作られた櫓から赤い炎が立ち始めたころには赤い衣装の行者の前には箸らしきものが散らばっていた。

その頃より白い衣装の行者達により箸らしきものが日の中に投げ込まれ始めた。

ヒノキの葉で作られた櫓が焼け落ちる頃だが火がつけられたころより箸蔵寺本殿を背に和太鼓集団が太鼓演奏始めた。

ヒノキで作られた櫓が焼け落ちたころより祭壇までヒノキの葉が敷かれ白い塩が燃え落ちた火の前後に置かれ行者による火渡りが始まった。

数人の行者の火渡りが終わり火はとりのけられ土が現れた状態で一般の人たちによる火渡り?の参拝が行われて箸供養は終わったようだ。

2時間ほどの気合の入ったショーを見学した気分。

大変な準備と人の心と労力があってこそ執り行われるのだろう。

 

 

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思わず池田ダムへ

2017-08-06 21:58:03 | 日記・エッセイ・コラム

野外教室の作業場は決めると言うより決まってしまうムードで小歩危駅と赤川橋になったが前回下調べに行った箸蔵駅にも立ち寄る予定で192号線を走っていると立ち寄りたい気分になった場所があった。

何回も通っているが初めて感じた。

ガードを潜り抜けると眼下に池田ダムが見えた。

鮮やかな朱色に塗られた階段を下りるとダムに降りられる。

そばにはテーブルと椅子、力強い鉄製のモニュメントが設置されている。

空をバックに写した。

山をバックでもいい感じ。

徳島県主催の作品展の優勝作品だった。

朱塗りの階段を下りダムまで行きたいが予定外なので箸蔵駅、箸蔵寺の箸供養の予定コースの帰りに反対側の道路を通り帰る途中に立ち寄ることにした。

帰りにダムへ立ち寄り赤い朱塗りの階段を写す。

上が192号線。

下にあるダムは前を向いて走っている以上意識してみなければ見過ごしてしまう。

お茶を飲んだりお弁当を食べるには無人駅のホームは最適だ。

その予定で箸蔵駅へ立ち寄ったが先客がいた。

2人の男子学生がベンチに座りスマホをしている。

祖谷口駅でも男子学生がスマホをしていた。

私は向かいのベンチでお弁当を食べた。

鮮やかな3両電車が走り去ったが四国まん中千年物語の汽車だった。

三縄駅では止まったがここでは通り過ぎた。



 

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再度野草(イエツアオ)野外教室の下調べへNO2

2017-08-05 23:12:58 | 野外教室

 

 

バイクを置き階段を上り小歩危駅へ着いた。

周りに家は見かけない。

坪尻駅ほどでないが秘境駅の雰囲気。

線路を写すバックミラーがあった。

ホームに沿ってやっと一人通れそうな小道がある。

手すり代わりのワイヤーの塀?が面白い。

興味があり登り始めると驚いた。

つっかけを掃き庭でも歩くようにゆっくりと男性が下りてくる。

上に家があり住んでいるそうだ。

病気療養中で月一回汽車で高知の病院へ通院しているが大歩危で急行に乗り換えると早く着きすぎるので鈍行で行くが2:30分ほどかかりその日には帰れなく一泊するそうだ。

足が悪く置かれているベンチに座り私にも勧めるので座って話を聞いた。

道が付く話があったとき反対する人がいてつかずいまだにどんなものも肩に担いであげる生活だと言っていた。

すぐ下がホームなのでどこへ行くにもホームと駅舎を通っていくようだ。

家を見せてほしいと言ったら引き返し熱いお茶を入れてくれた。

外には自然水の貯水場があるが大雨が降ると濁るので水道だそうな。

見えるのは谷を隔てた山だけ。

春や秋はきれいでしょうと言ったがべつにとの答え。

冬は寒く夏は風が通らないので暑いそうだ。

駅舎側のホームから見ると垂直に近い上に家はあった。

下調べには行ったがすぐ近くに前回は作業場にはしなかった赤川橋がある。

写真を写していたら地震のような揺れがする。

嫌な気分になったが観光客が通っているだけだった。

やっぱしこの橋も作業場にはしたい。

今回は小歩危駅と赤川橋が作業に決まりそうだ。




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再度野草(イエツアオ)野外教室の下調べへNO1

2017-08-04 22:31:29 | 野外教室

前回の下調べではついでに箸蔵寺へ立ち寄ったが今回は山伏達が執り行う箸供養が見たくて行くついでに再度野外教室の下調べをすることにした。

前回箸蔵駅坪尻駅三縄駅へ行ったがどこも悪くはないが去年祖谷口駅と決めたような気持ちにはならない。

再度祖谷口駅へ行ってみた。

ホームもいいが前回作業場にはしなかった山小屋風の待合室もいい。

去年と同じように室内に燕が巣を作っていた。

駅より少し登ると渓谷にかかるブルーと赤の2本の鉄橋が眼下に見える場所がある。

目を移すと山の急斜面に家が建つ祖谷地方らしい風景も見える。

きれいに草刈りされた急斜面には碑がたっていた。

平成3年に83歳だった人が作った造園地らしい。

道から上もきれいに草刈りされ花木が植えられている。

まだお元気でていれされているのかしら。。

すぐ近くには造園主の表札がかかった立派な家があった。

去年のポイントだった木の橋の床の朽ちたのは修理されていたが古い、中間、新しい床板の色の褪せ方の対比が面白い。

鉄橋にも行った。

鉄のメッシュの床板から見える川面。

去年川面を意識した作品を妹のきんかんが作っている。

同じく下に見える河原の緑も面白くもう一回作業場にしてみたい気もするが小歩危駅に行ってみる気持ちになった。

 



 

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エゴマ

2017-08-03 21:41:00 | 畑事情

植えたいと思っていたえごまの種は金生町では手に入らず薬膳好きの友達に種を探して送ってもらい蒔くことができた。

エゴマの実はかなり出回っていて手に入れたが炒ったもので悔しい思いをした。

種を送ってくれた友達はもちろんエゴマに興味を持っているので葉を送る約束はしている。

幸い私の畑でも大きく育ち興味のありそうな人たちにはおすそ分けして喜ばれている。

シソと似ているが一回り大きく葉は分厚い。

味はゴマの味がする。

別名”10年”、10年長生きするとのいわれだそうな。

今のところ主にいろんなものを生の葉でくるんで食べているが先日塩もみした葉でおにぎりを作ったが葉がしっかりしてきれいにくるめるが硬かった。

同じく塩もみした葉に牛ミンチ、タマネギ、カタクリ粉、塩コショウしたのをくるんで蒸し焼きにしたのも少し硬く切って食べた。

2~3日前より少しカラッとした天気になったので干している。

パリパリに乾かしパウダー状にするつもり。

新しく畑の仲間になったエゴマとの付き合いを今模索中。



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藍印花布で

2017-08-02 22:16:28 | リメイク

もう10年以上前中国の藍染の藍印花布の古いワンピースをいただいていた。

珍しい布で気に入りリメイクできるように解いていたが何度取り出し眺めてもデザインが浮かばない。

着物巾と同じ巾なのでデザインも限られるのかシンプルなデザインでカットした部分も少ない。

襟ぐりやそでぐりを生かした上着を作るつもりだったがふとパンツにしてみようと思えた。

いい具合にぎりぎりパンツに裁てた。

10年以上何度も何度も眺めていた甲斐があった。




 

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敗戦の月8月

2017-08-01 22:00:09 | 日記・エッセイ・コラム

蒸し暑い毎日が続きまた敗戦の月8月がやってきた。

先日友達が日露戦争の写真集があるからと貸してくれた。

母方の祖父が従軍した話を聞いていたので興味を持っていたが上海事変の写真集だった。

上海事変ならもっと興味がある。

母の兄である私の叔父が19歳で戦死している。

豪華な表紙をめくるとびっしりと書かれた便箋が挟まれていた

当時のもののようだ。

傷痍軍人が汽車の中で語った戦談を書いているがチャンコロを銃剣で突き殺したとか表紙の物々しさも含め本のかもし出すムードがもう戦時中を感じさせる。

ポツダム上等兵である父の戦談では壁の上から飛び降りた中国兵が足を折り逃げられないのを銃剣で突き刺そうとしたが”アイヤー”と手をかざされ突き刺せなかった話をよくしていたのを思い出した。

人はなかなか突き刺せないと言っていた。

写真のページの間には白紙のページがあり写真自体に動きがなくひげを蓄えた軍人の写真が多くものものしい戦時中の雰囲気は十分伝わる。

戦死者指名が描かれた黒いページでは叔父の名前を探したが記載されてなかった。

発行日を見ると昭和7年になっている。

昭和7年だと叔父はまだ19歳になってない。

叔父が戦死したのは5年後に起きた第2次上海事変だったようだ。

祖父母もちろん兄弟は母以外はみんな亡くなっている。

思わぬことから19歳で戦死した会ったこともない叔父のことを思うことになった。







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