KID´Sいわき・ぱふ代表、にほんこどもの発達研究所の岩城敏之氏が
『子どもの遊びをたかめる大人のかかわり』という著書のなかで、
「遊んで育つという言葉が成り立つのは、基本的には普段の遊びのレベルが高い場合です」
とおっしゃっています。
岩城氏はこんな例を挙げて説明しておられます。
大人が子どもたちに鶴の折り方を教えたとします。
上手な子はパパッと折って、下手な子は手伝ってもらいながら作ります。
もっと折りたいという子もいれば、もうこりごりという子もいるはずです。
そこで、もっと折りたいと思うときに折れる状況が大事で、折り紙コーナーが
きちんとあるという環境を設定します。
教わった折り紙が面白かった子は、そこに集まって自分たちでどんどん勝手に
遊びますし、もしひとりも集まらなかったとしたら、そこが幼稚園や保育園の場合、
教えていた先生だけが面白くて、子どもは先生が真剣だからお付き合いしていただけ
ということです。
それも悪くはないけど、遊んで育つという考え方からすると、
それは遊ばなかったということと同じ。
つまり技術も身についていないし、習熟しないということです。
岩城氏の文章を引用させていただくと、次のような遊びと育ちの関係があるのです。
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何回も何回も「もう一つ作ろう、もう一つ作ろう、こんなんも作ろう、
あんなんも作ってみよう」と思って遊んで、はじめて子どもは育つわけです。
遊んで育つということは、こういうくりかえしが大切です。
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たとえば、父の日に園でお父さんの絵を描くのはいいけれど、
普段から家族の絵を描いたり、ままごとコーナーにお父さんごっこがどれだけ
盛り上がるような仕掛けが置いてあるか、新聞とかたばことかお酒など……。
そういうことが本当の意味で子どもの成長を育む
「普段の遊びのレベルを上げる」ということだ、とおっしゃっているのです。