虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

善悪を形だけしつけられても、心ではわかっていない

2011-09-12 08:53:59 | 日々思うこと 雑感

10年以上、小学校高学年以上の子どもたちのキャンプや合宿の手伝いに参加しているダンナ。

合宿から帰宅するなり、「困ったもんだ」とため息をつきながら、ちょっと怒っていました。

何でも、ひとりの子がお金を落として(それぞれ少額の小銭を持っています)「ない、ない」と困り切っているのに、

お金を拾った子が黙って拾ったお金を自分の物にして、しらんふりしていたのだそうです。

お金を拾うところを見ていた別の子の指摘でわかった様子。

問いただすと、「拾ったんだから自分のものだ」と主張したそうです。

ダンナが困惑していたのは、お金を落として、「ない、ない」と困り切っている友だちの姿を見ても、

まるでそんな姿は見えない、声も聞こえない、存在すら感じとれないように振舞う子が、

電車の中で大人に席を譲るとか、人に会ったら元気にあいさつするとか、周囲から目で見て評価される部分では

きちんとルールを守っていることのようでした。

また、優しい大学生のボランティアのお兄さんをいきなり足蹴りする高学年の子がいて、

注意しても何が悪いのかわかっていない様子なのに、

一方で「ご飯を残さず食べよう」とか「あいさつしよう」といった

標語として掲げられているようなルールはきちんと守ろうとすることに、とまどったようです。

 

その話を聞いたうちの子たちが、電車内では席が空いていても、

ずっと立っているとか、あいさつや宿題の提出などのルールは

徹底している友だちに限って、

他人がいないところだと公共物を壊したり、他人の物を勝手に持って帰ったりするから

びっくりしたことがある……と口々に言いました。

 

ふと先日の経済相の「放射能移してやる」発言のことが浮かびました。

おそらく経済相にまでなる方ですから、外から評価されるポイントは徹底して

きちんとしている方なのでしょう。

ただ、善悪を自分の心で判断したり、他人の気持ちを察したりする力は、

困ったちゃんの小学生でも、「それはまずい」とわかるレベルだな……とため息。

実体験や感情を通して、自分の心を使う機会が少なかったのかな?

と感じました。

 

この実体験や感情を通して心を使うのって、本当に大事です。

教室のグループレッスンで、他者の気持ちを類推することが難しいというハンディーキャップを持っている子たちの

レッスンを続けていると、突然お友だちを突き飛ばしてしまったり、おもちゃを奪い取っていたような子らも、

たくさんの失敗を経て小学1、2年生くらいになったときには、すっかり落ち着いてきて、

非常に気持ちが優しくて、善悪についてよく理解して行動できるようになっているのです。

でも、知力が高くて、幼稚園や習い事でもしっかりさんグループに属していた子たちが、

少し自由な環境だと、みんなで使うものを壊しても笑っていたり、

お友だちがいじめられていると、安易にいじめ側に加担したりすることがあって、

気になっているのです。

言われたことはきちんと守るのですが、そうでない部分で自分の心を使ったことがあまりない

という子が増えているように感じています。

大人の指示に従わすことだけがしつけと捉えられている現状、

遊びや自由な自分の判断でする行動の不足などが、ごく普通の子どもたちの心の成長を

ゆがめているのではないでしょうか。


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