虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

何をするにもグズグズのろのろ~(続きです)

2021-05-22 15:58:58 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

何をするにもグズグズのろのろ〜子どもを手伝いすぎたら何もできない子に育ちますか?

の記事に、続き希望のフィードバックをいただいていたので、

続きをアップさせていただきますね。(過去記事からの抜粋です)

 

日常の基本的なことを身につけるのに、一般的な子の何倍も何十倍もかかる子がいます。

何度も何度も口を酸っぱくして注意しても、

いっこうにきちんとするようにならない……という場合も、

「線」で対応するより、枠組みを作って「面」で対応した方がうまくいく時があります。

 

わたしが教室で、幼い子たちや発達に凹凸のある子たちに

新しいことを身につけさせるのに一番有効だと感じている方法は、

「何度失敗しても、初めて教えるかのように、気持ちよくお手本を見せてあげる」

ことです。

 

「また?」という表情をしたり、心の中でうんざりしたり、

「何回教えたら覚えるのか」と心配したりせずに、毎回、同じように対応するのです。

すると、いつの間にか、ちゃんとできるようになっています。

 

でも、わが子に向かって、そうも気長に接するのは難しいし、

親子間の甘えもありますから、毎回、見本を見せているつもりが

「お母さんがしてくれるならやってもらおう」とか

「叱られないなら、やらなくていいや」という依存につながることもあります。

ですから、ある程度、限度や段階を設定して枠を作っておいて、

その上で、多少の停滞や後退を気にせずに、子どもを見守るのがいいのかもしれません。

 

例えば、宿題を終えた後、机の上に出しっぱなしで

宿題忘れが続いているから、宿題が終わったらランドセルに入れるよう

繰り返し注意をしているとします。

「線」で対応していると、

「何度か机に忘れている宿題を見て、厳しく叱ったものの、翌日も机に出しっぱなし。

注意するとしばらくは片付けているけれど、気づけば元の木阿弥。

カミナリを落としてもダメ、チクチク嫌味を言ってもダメ、

失敗するまで放っておいてもダメ、褒めておだててもダメ、

何百回も注意してきた気がするが、いっこうに直す気配がないから、

きっと後何百回も注意しても直らないにちがいない……」という具合に、

親の対策も思考も袋小路に迷い込みがちです。

 

そこで、いったん「線」で考えるのをやめて、

ざっくりと枠を作ってみることにします。

 

基本的なことがなかなか身につかないのには、

ADHDやADDのような脳の特性や、

おっとりした性質、あまり親の言うことを聞く気がない自己中心な性格、不器用、

完璧主義すぎて柔軟性がなく新しく教えることを受け入れない……など

さまざまな理由があることと思います。

 

枠のサイズを決めるために、理由と思われることや

新しいことを身につけるのに、一般的な子の何倍くらい時間がかかるかなどを、

参考にします。

 

「もし一般的な子に3回言えばすむことが、

その子には30回は言わなければならない」と思ったなら、

覚悟を決めて、

「30回、正確にカウントし終えるまでは、

頭ごなしに叱ったり、愚痴を言い続けたり、子どもの態度に絶望したりするのは

なし」というルールを自分に課して、

30回は気楽な気持ちで、初めて教えるかのように教えて、子どもを支援します。

途中で「このまま、永遠にこの子はできるようにならないのではないか」と心配に

なったら、「そういう心配は、30回、教えたあとでいい」と自分に言い聞かせる

ようにします。

 

子どもはがんばってもできないことで叱られ続けると、

自分はダメな子だと自己肯定感を下げるだけで、いっこうにやる気にならないものです。

でも、そうした一定の猶予期間があると、

何度か「また、やっちゃった」という経験をしながら、

次には少しだけ気をつけるようになっていくものです。

親が自分の問題のように心配し、感情的になって、将来まで悲観していると、

自分の欠点を見つめるのも怖くなって、

やらなくてはならないことから目を逸らして、

困った事態に陥っては叱られるというお決まりのパターンに、

甘んじるようになっていきます。

でも、親が、一定期間、自分の不安な感情に飲み込まれないようにして

子どもに手を差し伸べていると、子どもはそれを乗り越えなくてはならない

自分の問題として捉えるようになるし、ゆっくりと義務感や責任感が芽生えていきます。

 

とはいえ、どんなにすばらしい手を講じても、親と子どもは別の人間ですから、

得意不得意も大いに違って、どうやっても親が満足するほどできるようにならない、

というものもあるはずです。

 

そんな時は、「子どもが将来、自分で付き合っていく短所であって、解決するなり、

そうした欠点を持ちつつ自分の長所を育みながら生活するなり、それはそれとして

子どもに預けよう」という心の柔らかさも必要なのかもしれません。

 

うちの子の困った習慣がなかなか直らない時や、受験期に机に座る気配がない時に

こうした方法で、あらかじめその子の性質や得意不得意から

どのくらいの時間をかけたらできるようになりそうか考えた上で、

「10回は教えるまでは、あれこれ思い悩まずにただ教えよう」と決めて接すると、

こんな発見がありました。

だいたい4回目あたりで、「もう何十回も注意しているのに、いっこうに直らない……」

という気分になってくるんですよ。

ネガティブな事柄に心はオーバーに反応するようです。

そこで、わたしがネガティブな気持ちに流されてしまうと、子どもにしても、

「どうせ自分は何度やってもダメなんだ」と取り組むことを放棄して

しまうのでしょうね。

でも、「10回までは、あれこれ考えない……と決めたんだから、

もう少し辛抱しよう」と思いなおすと、

今度は、6回目あたりで、たった10回の約束事が面倒になって忘れてしまいそうな

自分の姿にぶつかります。

他人にはちゃんとして欲しいと願うけれど、自分がちゃんとするのは難しいものですね。

 



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1 コメント

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こんばんは! (こげ)
2021-05-22 21:00:54
更新されると拝見しております!
今回のお話、身にもしみますし、感動しました。
昨年小学生だったかの作文で認知症のおばあちゃんを
介護しているサポートの方が「おばあちゃんは
認知症の方が300回言われてもわからないことを
たった100回言われただけで理解できている、
すばらしい方です」と言われて、おばあちゃんって
すごい!っておもったっていう作文を読んだとき
のことをおもいだしました。揶揄ではなくて、
待てるかどうかって ただ待てるかどうかって
ホントにだいじなことだなあと感じます。
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