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アフリカのキオスクの前で記念撮影♪
売り子になった気分を味わっています。
お家に帰ってから、地図で場所を調べるのも楽しみです。
国立民族学博物館に行ってみたけど子どもの反応がイマイチだった…という
声を聞くときがあります。
こうした場所は、楽しみ方をちょっと工夫しないと、
楽しめないかもしれないです。工夫の仕方は次回にでも書きますね。
それと、日ごろのお出かけで
遊園地のような刺激が強すぎる場所にしょっちゅう行ってると
それ以外の場所をよく見もしないで拒絶するようになるかもしれません。
遊具も派手で面白いものでばかり遊んでいると
想像力を使って楽しんだり
自分から創造的にものに関わっていこうとする姿勢が
失われていくように思います。
実際、民族学博物館には、巨大なてんぐ、だんじり、面白い顔をした獅子舞、
モアイ像、モンゴルのお家、ミニチュアの家々、お面や人形たち~
など幼い子が見ても
不思議だな、面白いな、これは何?
と感じるようなものがたくさんあるのです。
家も家財道具も台所の道具も
荒削りの木や石で作られているのを目の当たりにできるので、
自分たちが工作で切ったり貼ったりする延長線上に
世界が作られていたことに気づいて
深い感動があるのです。
現在は子どもの心や知能の成長にとって「お菓子」に当たるような
人工的な遊びの場がたくさんあります。
キッズプラザのような子供向け博物館でさえ
人が多すぎて刺激が強くなりすぎるので
あまり行き過ぎると子どもの心の成長に悪影響を与える気がするくらいです。
「お菓子」に当たる人工的な経験がたくさんになりすぎて、
自然の花を好奇心いっぱいに覗きこんだり、
民博で目にするような物に
興味をそそられたりしなくなっているな…と感じたら、
自然の中で外遊びをしたり
紙で工作をしたりして、子どもの心や知能にとって本当の栄養となる
遊びを増やすようにするとよいかもしれません。
web拍手を送る)
DVDのアニメが常についているらしいので、日常生活が刺激過多なんでしょうね。
そのような刺激をわざわざ大人が教えなくても・・・幼い感性が鈍ってしまって勿体無いと思っていました。
しかし彼女に言わせると、うちの子(テレビや刺激の強いものをなるべく与えてません)がかわいそうらしいです。
こんな世の中だからこそ、花鳥風月の趣のわかる子どもに育てたいと思っています。
なつゆうさんの仰るとおりだと思います。
機械的な刺激を与えられないことに”可哀想”と思ってしまうことに多少の危機感を感じてしまいました。
この時代、刺激から守ることが親としての務めかなと思っています。
うちは、子どもがいませんが、今度遊びに行ってみよと思いました。
でも、ブログは欠かさず読ませていただいています!
(お母様のこと、大変ご愁傷さまでした。ご冥福をお祈りいたします。)
先日からのこの飢餓感についての記事、
本当にうなづけます。
エデューにもあったように、地方の公立出身の東大生が増えているのも、
これと関係があるのでは?と思っています。
何もない(信号もない(笑))田舎出身の私の、子どもに与えたい遊び・経験・環境と、
大都市出身の主人の与えたい遊び・経験・環境の違いを、感じるようになりました。
長女は4歳。
日々いろんなことを吸収している今、
2番目が生まれて半年、
パパと行動することが多く、
週末ごとに、いろんなところに連れて行ってもらっています。
正直、とても助かるのですが、
でも、刺激過多になっているようで・・・。
土曜にそういうところにお出かけすると、
日曜は、家でお絵かきなどで過したがるそぶりを見せるように。
子ども自身が、じぶんの成長に必要なことを知っているように見えて、
不思議な感じをうけます。
先生の記事とあわせて、主人に話してみたいと思います。