![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/7a/73b5fc53e33e1805a556ebbec7bfa679.jpg)
個性的なその子その子の資質を伸ばしていく上で、
とても大事だな~と感じているのは、3歳の時期です。
1,2歳から親子レッスンで、子どものお世話をさせていただいている場合、
親御さんの考えと私の考えに微妙なずれが生じやすいのも、
この時期でもあります。
3歳の子というのは、
2歳のころの「大人の言うことや環境からの刺激を
吸い取り紙のように何でも吸収する姿」がまだ残っている上に、
「本人の意志でやりはじめること」は、
折り紙でしたら、ぐちゃぐちゃっとして、
名前をつける程度の
大人からすれば目を引かない……見栄えのよくない行動が多いのです。
3歳の子に、英語を習わせたり、音楽を習わせたりすると、
家に帰ってから習った英語を真似てみたり、
楽器を弾いたり、本人も楽しそうだし、親御さんも次はどんなことをさせてみようかとわくわくするようです。
また、幼児用のプリントを与えると、喜んで何枚もしたりして、
このまま学習習慣をつけてあげたいとも思うようです。
こんな風に3歳になったとき、
さまざまなことに積極的に集中してチャレンジできるのは、
2歳の時期に、目と手を協応させて、
遊びにじっくり関われるように育んできた結果でもありますから、
「いろいろやれる」のだから、無理強いはせずに「いろいろさせてみる」のは
何の問題もないように
見えるかもしれません。
私にしても、「これはまだ教えるのは早い」とか思うものはなく、「いろいろさせてみる」こと自体には何の問題も感じていません。
それなのに、親御さんと私の間に考え方の「ずれ」が生じるのは
なぜかというと、
親御さんが3歳の時に感動してあれもこれも伸ばしたいと注目しているポイントが、植物でいうと子葉の部分……つまり、3歳までの子の特有の長所に注目していることが多く、
私は、3歳ごろから芽を出し始めたばかりの
植物でいうと本葉の部分を見ていて、
まだ目立たない個性的な資質のあらわれを、守って、磨きをかけ、
大事に育んでいきたいと考えていて、
そこで、どちらに重点をおくかで、何度か話し合いになることがあるのです。
もちろん、どちらも大事にしていくことはできますし、私もそれを目指しています。
気をつけなくてはならないのは、
3歳という時期は、
「あまり重要でないもの」が立派に見えて、
「その子にとって重要なもの」は、生まれたばかりで目立たない
ということなのです。
この「重要でない」「重要」の差は、
写し絵と、本物の絵のちがいのようなものです。
まだ上手に絵が描けない子に、写し絵ばかりさせて褒めていれば、
何だか立派なものができたというパフォーマンスにはなっても、
絵を描く能力を衰えさせていくのは目に見えていますよね。
これは写し絵をさせてはダメだということでは、ありません。
写し絵をして伸びるかもしれない、手先の巧緻性を無意味だと
言っているわけでもないのです。
「重要でない」ことをさせて良いかどうかの問題ではなく、
「重要」なことは、他の何に気持ちが奪われていても
無視してはいけない
ということなのです。
とても大事だな~と感じているのは、3歳の時期です。
1,2歳から親子レッスンで、子どものお世話をさせていただいている場合、
親御さんの考えと私の考えに微妙なずれが生じやすいのも、
この時期でもあります。
3歳の子というのは、
2歳のころの「大人の言うことや環境からの刺激を
吸い取り紙のように何でも吸収する姿」がまだ残っている上に、
「本人の意志でやりはじめること」は、
折り紙でしたら、ぐちゃぐちゃっとして、
名前をつける程度の
大人からすれば目を引かない……見栄えのよくない行動が多いのです。
3歳の子に、英語を習わせたり、音楽を習わせたりすると、
家に帰ってから習った英語を真似てみたり、
楽器を弾いたり、本人も楽しそうだし、親御さんも次はどんなことをさせてみようかとわくわくするようです。
また、幼児用のプリントを与えると、喜んで何枚もしたりして、
このまま学習習慣をつけてあげたいとも思うようです。
こんな風に3歳になったとき、
さまざまなことに積極的に集中してチャレンジできるのは、
2歳の時期に、目と手を協応させて、
遊びにじっくり関われるように育んできた結果でもありますから、
「いろいろやれる」のだから、無理強いはせずに「いろいろさせてみる」のは
何の問題もないように
見えるかもしれません。
私にしても、「これはまだ教えるのは早い」とか思うものはなく、「いろいろさせてみる」こと自体には何の問題も感じていません。
それなのに、親御さんと私の間に考え方の「ずれ」が生じるのは
なぜかというと、
親御さんが3歳の時に感動してあれもこれも伸ばしたいと注目しているポイントが、植物でいうと子葉の部分……つまり、3歳までの子の特有の長所に注目していることが多く、
私は、3歳ごろから芽を出し始めたばかりの
植物でいうと本葉の部分を見ていて、
まだ目立たない個性的な資質のあらわれを、守って、磨きをかけ、
大事に育んでいきたいと考えていて、
そこで、どちらに重点をおくかで、何度か話し合いになることがあるのです。
もちろん、どちらも大事にしていくことはできますし、私もそれを目指しています。
気をつけなくてはならないのは、
3歳という時期は、
「あまり重要でないもの」が立派に見えて、
「その子にとって重要なもの」は、生まれたばかりで目立たない
ということなのです。
この「重要でない」「重要」の差は、
写し絵と、本物の絵のちがいのようなものです。
まだ上手に絵が描けない子に、写し絵ばかりさせて褒めていれば、
何だか立派なものができたというパフォーマンスにはなっても、
絵を描く能力を衰えさせていくのは目に見えていますよね。
これは写し絵をさせてはダメだということでは、ありません。
写し絵をして伸びるかもしれない、手先の巧緻性を無意味だと
言っているわけでもないのです。
「重要でない」ことをさせて良いかどうかの問題ではなく、
「重要」なことは、他の何に気持ちが奪われていても
無視してはいけない
ということなのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/2e/9c56b3716464085c00aca178b0ab3dc4.jpg)
3歳の時期、子どもの遊びは、
だんだん「意味」と「目的」を持ったものに
変化しはじめます。
遊んでいるうちに、「こうしたいな」「ああしたいな」と思いがふくらんだり、
前にうまくいった方法を発展させて何かしようとしたりします。
写真では、3歳の★くんが、ビー球が転がる先に鉄琴を置いてみて、
音を楽しんでいます。
その前に、鉄琴の上にいろんな物を落としてみて、音を面白がっていたのです。
それで、ビー球を転がしている時に、
それを思い出して、「転がったボールが鉄琴に当たるとどうなるだろう?」と
考えたようなのです。
3歳の時期には、
どんなことがやりたいか見つける(自分がやったら楽しいものがわかっている)
「こんなことがしたい」という思いを持つ
遊びながら工夫して、「さらにこうしたい」「こんなこともためしたい」と思いがふくらんでいく
前の経験を思い出し、今の遊びに活用する
ということができはじめます。
2歳の頃なら、ただ絵を描くだけだったのが、
いろいろな経験の幅を広げてあげると、
絵を描いたあとで、
「飾ってほしい」と言ったり、「切手を貼ってポストに入れよう」と言ったりします。
他の人のアイデアと、
自分のアイデアとに、ものすごく大きな興味の違いをしめすときでもあります。
他の人がすることよりも、
自分がすることは、「すごくてすばらしくて大満足!」
という時期でもあります。
面白いなと思うのは、3歳児の描いた何だかよくわからないプリキュアの
絵を3歳の子たちに見せると、
大人の描いた上手な絵よりも感心して、
「じょうず~」「りぼんじょうず~」と絶賛したりすることです。
この時期の子は、「自分でできそうだ」ということに
心が揺さぶられるようです。
だんだん「意味」と「目的」を持ったものに
変化しはじめます。
遊んでいるうちに、「こうしたいな」「ああしたいな」と思いがふくらんだり、
前にうまくいった方法を発展させて何かしようとしたりします。
写真では、3歳の★くんが、ビー球が転がる先に鉄琴を置いてみて、
音を楽しんでいます。
その前に、鉄琴の上にいろんな物を落としてみて、音を面白がっていたのです。
それで、ビー球を転がしている時に、
それを思い出して、「転がったボールが鉄琴に当たるとどうなるだろう?」と
考えたようなのです。
3歳の時期には、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/star.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/star.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/star.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/star.gif)
ということができはじめます。
2歳の頃なら、ただ絵を描くだけだったのが、
いろいろな経験の幅を広げてあげると、
絵を描いたあとで、
「飾ってほしい」と言ったり、「切手を貼ってポストに入れよう」と言ったりします。
他の人のアイデアと、
自分のアイデアとに、ものすごく大きな興味の違いをしめすときでもあります。
他の人がすることよりも、
自分がすることは、「すごくてすばらしくて大満足!」
という時期でもあります。
面白いなと思うのは、3歳児の描いた何だかよくわからないプリキュアの
絵を3歳の子たちに見せると、
大人の描いた上手な絵よりも感心して、
「じょうず~」「りぼんじょうず~」と絶賛したりすることです。
この時期の子は、「自分でできそうだ」ということに
心が揺さぶられるようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/ab/849f3888b71ad78135e8cac552c8a3f1.jpg)
3歳の時期、親御さんの考えと「ずれ」が生じる時があります~と書いたのは、
ちょうどこの頃から、
「難しいことはさせていないので、楽しくやらせているので、
~~をさせても大丈夫ですよね?」とたずねられることが増えるからです。
内容は、
ピアノや文字のワークや英語やリトミック、体操などです。
どの内容なら良いのか、どれくらいするのなら良いのか、さまざまな意見があるので、迷うそうです。
私が、う~ん、と返事に悩んでしまうのは、
子どもって、1歳でも、2歳でも、3歳でも、「楽」なことなんてしないで、
自分の能力の限界まで力を出しきっていろんなことをしているな、と感じているからです。
1歳児は懸命に歩こうとするし、2歳児は手を使う仕事に一生懸命です。
3歳児はというと、記憶したことを取り出したり、
自分で選んだり、
決定したり、目的を定めたり、自分の気持ちを言葉にしたり、
経験したことをごっこ遊びのなかで再現してみたりと、
自分の頭を使うことになら何でも真剣そのものです。
そのどれもが、録音、録画機能のある機械にも、計算機にも、ロボットにも
できないことばかりです。
そうした3歳児が「自分の頭を使いたい」と思っていることに
理解のある親御さんたちは、できるだけ子どもの言葉に耳を傾けて
周囲よりのんびりと生活しています。
子どもが上手にしたら、「上手に自分で達成できた事実」を、教えてあげています。
失敗したら、子どもが自分で気づくように見守っています。
あれこれすることを指示するのでなくて、
子どもがやりたい、達成したいと思う内容を
自分で見つけて
探求していくのを支援しています。
のんびりペースで、5歳、6歳を迎えると、想像力豊かで、思考力が高く、手先も器用で、意欲的な子に成長しています。また個性的なその子しかない才能は、その頃にはもう輝きだしています。
前の話題にもどって、
私が何をう~んと悩むのかと言えば、
3歳の子は、まだ自分の頭で考えることを始めたばかりですから、
しょっちゅう、考えるのを中断されたり、
自分で選んだり、決めたりできない場所でいろいろ指示されて真似することを繰り返したり、
自分の考えを実行に移すよりも
大人の求めるものを真似した方が褒められる体験をしていると、
「考えること」自体をやめてしまうからなのです。
集団でリトミックや英語などを体験するのが悪いわけではないのです。
大人の価値を置くものが外に向いていて、
お家でも、移動中も、お外でも、
あまりにも幼児の「頭で考える」時間が奪われている場合、
問題なのです。
脳の基本の操作がきちんと実行できるように、
この時期の子にはこの時期の子の
やっておかなければならない大切な仕事がたくさんありますよね。
見たり聞いたりしたことを、
遊びの中で再現しなおして、
記憶したことを、きちんとアウトプットできるようにしたり、
手で何か作ることで、
イメージしたものをアウトプットすることもそのひとつですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/cb/80f2b6485de33211e93568ea3f78f52d.jpg)
知的な課題が好きな子に育つお母さんの態度 嫌いな子に育つお母さんの態度
小学生と話していると、
「マンガを読むのもめんどくさい」
「ゲームをするのもめんどくさい」という子がけっこういます。
遊ぶのもめんどくさいし、何をしようかと考えるのもめんどくさいそうです。
以前、児童館でボランティアをしていたとき、
児童館の館長先生が、
「多くの子どもが、おもちゃで遊ばず、おもちゃを壊す、崩す、蹴ることばかりするのは、
どうしたものか……」と嘆いていたことがあります。
子どもたちの姿を見ていると、
どんなことをすれば自分が楽しい気もちになるか、それが持続できるかが
わからない様子でした。
子どもは、3歳くらいから、ひたすらそれを探求しはじめます。
どんなことをすれば自分が楽しい気もちになるか、それが持続できるか
は、探求すればするほど、
遊べば遊ぶほど、豊かになり、洗練されていき、
自分の個性的な潜在能力と結びつきます。
人は自分が最も得意としていて、
伸びる可能性のあることに
本気で取り組んでいるとき、一番楽しい気持ちになるし、
いつまでもそれをしていたいと思うからです。
幼児は、全身全霊をかけて自分の潜在能力探しをし続けている
と言っても良いくらいです。
大人がそれを手助けしようと思うなら、次のようなことが大切です。
★ まだ上手に言葉にできない部分を助けつつ、よく話やアイデアを聞いてあげること
★ 問題にぶつかったとき、自分で切り抜けられるように見守り、
適度に手をかすこと
★ 子どもの興味をより広い世界につなげてあげること
★ 大人が「ここは干渉しない方がいい」というタイミングを知り、我慢できること
★ 子どもが必要なもの(紙や描く道具やはさみやブロックやシンプルなおもちゃなど)と、前回の経験が生かせるような忙しくない生活リズムが確保されていること
小学生と話していると、
「マンガを読むのもめんどくさい」
「ゲームをするのもめんどくさい」という子がけっこういます。
遊ぶのもめんどくさいし、何をしようかと考えるのもめんどくさいそうです。
以前、児童館でボランティアをしていたとき、
児童館の館長先生が、
「多くの子どもが、おもちゃで遊ばず、おもちゃを壊す、崩す、蹴ることばかりするのは、
どうしたものか……」と嘆いていたことがあります。
子どもたちの姿を見ていると、
どんなことをすれば自分が楽しい気もちになるか、それが持続できるかが
わからない様子でした。
子どもは、3歳くらいから、ひたすらそれを探求しはじめます。
どんなことをすれば自分が楽しい気もちになるか、それが持続できるか
は、探求すればするほど、
遊べば遊ぶほど、豊かになり、洗練されていき、
自分の個性的な潜在能力と結びつきます。
人は自分が最も得意としていて、
伸びる可能性のあることに
本気で取り組んでいるとき、一番楽しい気持ちになるし、
いつまでもそれをしていたいと思うからです。
幼児は、全身全霊をかけて自分の潜在能力探しをし続けている
と言っても良いくらいです。
大人がそれを手助けしようと思うなら、次のようなことが大切です。
★ まだ上手に言葉にできない部分を助けつつ、よく話やアイデアを聞いてあげること
★ 問題にぶつかったとき、自分で切り抜けられるように見守り、
適度に手をかすこと
★ 子どもの興味をより広い世界につなげてあげること
★ 大人が「ここは干渉しない方がいい」というタイミングを知り、我慢できること
★ 子どもが必要なもの(紙や描く道具やはさみやブロックやシンプルなおもちゃなど)と、前回の経験が生かせるような忙しくない生活リズムが確保されていること
いつも、ハッとさせられる素敵な記事をありがとうございます
今回の記事、まさに3歳8ヶ月の息子がいる我が家にはとてもタイムリーな記事でした。
先日、公園で開催されている親子ボール遊び教室のようなイベントに連れていったら、それはもう、全力で拒否られました。
思えば、家で楽しそうにボール遊びをする姿に「よし、いっちょボール遊びが得意になるように連れていってみるか」という、親が価値を置くもの(下心?)が、彼個人の中ではなく外に置かれていることを敏感に察知されたのかなー、と。
一方で、電車を作る人になりたいという鉄道好きな息子を鉄道の工場のイベントに連れていくと、帰宅してからは手持ちのレールセットやブロックやミニカーを使って「これは仮台車でー」と、何やら学んできたことを再現しようと、自分の頭を一生懸命使う姿がみられるのです。
今回の記事で、改めて息子に育ちつつある豊かな内面を大事に見守っていきたいなーと思いました。
ありがとうございました!