前回と前々回の記事の●くんのレッスンで、
わたしにはすごく難しく感じたこと」と
とても驚いたことがありました。
[すごく難しく感じたこと]というのは、
●くんのお母さんに、●くんの不安や緊張を解除していく方法を
できるだけ的確に伝えて、理解していただくことの難しさです。
ひとつひとつの場面で、わたしが見せたり伝えたりすることは
誤解も生みやすく、
「こういう風にすればいいんだ」と●くんのお母さんが誤って解釈して
●くんに強く働きかければ、
かえって●くんの態度をこじらせてしまうことが危惧されたのです。
この問題は、ここのところわたしがずっと悩んでいる難題とも重なります。
というのも、●くんの場合、個性が強くて育てにくい面があるといっても、
人と関わる力や言語力や知力はしっかり発達している子ですから、
子どもの問題を改善する際に、正しく接すれば、打てば響くようにいい反応が返ってきます。
ほんの数十分の間にも、それまでの言動が変化していくという
外から見てわかりやすい面も持っているのです。
けれども重い問題を抱えている発達障がいの子の場合、
働きかけてもインプット時にうまくいかないという子、
子どもの内面は変化していてもアウトプットがうまくいかないという子、
過去の経験にフラッシュバックを起こしがちで、今この場の出来事を感じとってもらうのが難しい子、
物の理解に誤解が多くて、現実をまちがってとらえている子……など
どの子も絡まり合う複雑な要因を抱えていて、
こちらがしたことのフィードバックがきちんと返ってくるということは
まれなのです。
たとえ正しい働きかけ方の糸口を見つけても
変化が非常に微細でゆっくりで、いったんはさらに悪くなっているように見えることすらあるのです。
そうした暗闇のなかを手さぐりで進むような作業であっても、
当てずっぽうにあれこれするのではなく
その子の最重要課題に焦点を合わせて
ひとつひとつ確実にその子のなかに何かが積み上がっていくようにしなくてはなりません。
また、フィードバックがほとんどなくて先行きが不透明な段階でも
その子のなかに潜在的に眠っているものを把握して、
これから先の成長のおおまかな予想図をつかんでおくことも大事です。
でも現実には、明らかなフィードバックがあって、
自分の力で成長していく力をしっかり持っている●くんのような子でも、
不適応を起こしている一面やそれまでにこじれてしまった一面を
良い方向に変えていく手立てを説明していくのはすごく難しいのです。
ただ言葉にすればいいというものではなく、きちんと理解していただき、
正しく実践していただこうと思うと、
一筋縄ではいかないのです。
こちらの言葉足らずもあるでしょうし、
親御さんが囚われている思い込みもあるでしょうが、
なぜ難しいのかといえば、
方法がその子その子によって異なるという
「人間の個性」を
相手にしていることにもよるのでしょう。
また、こういう時にこうすればいいというマニュアルなど存在しなくて、
正しさはその都度、その場面場面で変化していくという
「人間関係の調節」などというややこしいものを扱っているという難しさもあるでしょう。
「ひとりひとりに対して、対応法が異なる上、
ひとつひとつの場面で正しさの基準が変化するなら、
そもそも正しい方法なんてあるの?」と 疑問を抱く方があるかもしれません。
わたしはその都度、目の前にいる子の表情、身体の状態、
呼吸の仕方、興味の移り変わり方、気分の変動、意欲の持続の長さ、
目の使い方、口調、話す内容、疲れの表現の仕方、
触れたがる素材、引きつけられる色、音への感受性、
お母さんへの振り返り方、お友だちへの視線の行かせ方、ユーモアを理解する度合い、
変化に対する許容度などのひとつひとつのあり方や強弱や回数が、
正しさの指針であって、
問題の提示もしているし、答えも示していると思っています。
ただ、変化を伴う問題解決には、
「ボタンを押したから、パッと結果が出る」といった単純なものではなく、
ある一定の時間の流れのなかで、
人の心がたどっていくプロセスに従って進んでいく
必要があるとも思っています。
その人の心がたどっていくプロセスというのは、
使い捨ての消費文化のなかでは、ないもののように無視されているものですが、
昔話や児童文学の世界では
当たり前のように存在しているものです。
これは先日、息子と会話していて気付いたばかりのことなのですが……。
またタオイズムのような宗教観や
ユングの心理学のなかにも存在しています。
次回に続きます。
3歳半の男の子を育てています。
今回の記事の2歳半の男の子さんの性質は息子と似ている部分が
とても多くいつも以上に興味深く読ませて頂いております。
独特の育てにくさ。
時々感じています。最近では鬱陶しさまで感じてしまうこともあり、
自分が情けなくなります。
一日中相手をしてもらいたい、
人への警戒心が強い、
(息子は様々なものを警戒しますが、
一番怖いのは人なのかも、と思うことがあります)
今は大丈夫なのですが、●くんと同じように
時計を怖がっていた時期もありました。
息子の場合はいつもは動いているはずの秒針が止まっている時にものすごく怖がっていました。
(電波時計で時間を合わせるために時々止まってしまうのですが、それが結構頻繁なのです)
感覚過敏を始め、その他にもいろいろと気になる部分があるのですが、それら一つ一つをとってみると幼児期にはよくある事だったり、時々みられる事だったりで特別な事ではないようですし、実際、発達相談などでもそのように言われてしまいます。
私自身は発達障害を疑ったりしているのですが
今のところ発達の遅れはないようです
(むしろいろいろな面で早い方だと言われます)
先生は記事の中で発達障害ではなさそうだとおっしゃっていますが、
そうだとしたら、それらの性質は後天的なもの、なのでしょうか?
このような性質のお子さんって時々いるのでしょうか?
その子たちに共通点はありますか?
例えば母親の性格だったり、育ってきた環境だったり、
お友達関係だったり。
それから、これはとても難しいかもしれませんが、
●くんのお母様にされたアドバイスを具体的に紹介していただけたら
嬉しいです。
先生の危惧されているような、そのアドバイスをそっくりそのまま我が子にあてはめるような事はしませんので…。
難しいようなら、こういう子の場合、これだけはしない方がよい、という内容だけでも参考にさせて頂ければ嬉しいです。
気になる部分が多々ある息子ですが、
息子をどうにかする前に私自身が変わらなければいけないのでは
ないのかと最近強く思っています。
でも、分からないんです、どう変わればいいのか。
もしかすると、今回の記事は大きなヒントになるかもしれない。
そう思い、コメントさせていただきました。
長々とすみません。
続きの記事も楽しみにしてます。
先生が「お母さんに伝えることの難しさ」を書いてくださっているとおり,私自身も,正しく理解することの難しさを感じ,あの日以降は悶々としておりました。
ただ,息子の,「怖がり」について,「原初的知覚」という言葉を使って説明してくださったことで,何か息子が今まで怯えていたものが見えてきたような気がしました。
それらは息子が集団やお友達の輪に入っていくのを躊躇すること,集団で楽しそうに行われていることにすっと楽しんで入って行くことに対する抵抗等にも,すべて繋がっているように,私には思えました。
そしたら,その抵抗感や怖さを乗り越えていくためにどうしたらよいか?といった点についても,お人形やぬいぐるみ,また私や別の人(家族でも友だちでも)が同じような体験をすることを彼が見守り,自分の中で消化することを重ねることで,乗り越えて行ける場合があること,と理解しています。
ただ,上記についてはとても慎重に行う必要があり,それこそ先生がブログで連日お書きになっているような,彼なりの
「ものさし」に私が近づき,彼の微妙な心の動きに注目しながら彼の心の緊張,不安の様子を捉えながら進めていく必要があるということも理解しております。
しかしながら,具体的な手だてといいますか,じゃあどういう場面でどうしたらいいのか?というものを,どうしても求めてしまいます。でもそうではなくて,こちらがどっしり構えて,まず息子の「怖さ」を理解できたこと,そこで第一歩。その先は,手だてをあれこれやってみる,のではなく、そういう「怖さ」を心の中に持つ息子の「ものさし」に私が近づいてみることーーそれが必要なのだと今は考えております。そうしていると,「あ,今,乗り越えられそうかな?」といった場面場面での瞬間がきっとあるはずで,その時にすっと支えてあげればよいのだと思っております。
言葉では言ってても,実践するのは本当に,難しいのですが…
同時に,「楽しいと思えること」の幅を広げてあげることも大切であると承知しながらも,それを実践することの難しさも感じております。この点について,何かご教示くだされば嬉しいです。
目の前にいる子の表情、身体の状態、呼吸の仕方等々が正しさの指針であり問題の提示も答えも示している。という記事で、表にあらわれているものだけでなく、内面を見る力をこういうことに注意をむけて子供に接していけばいいなと改めて思いました。レッスン時にも、娘は、強いから傷ついていてもやり過ごす、言葉で言っていることと気持ちが違うことがあるので注意が必要という指摘をいただいたことを、ずっと頭に入れていましたが、この記事のような部分にもっと目を向けて子供の内面をみる力つけていきたいです。