まだ発達途上の子どもの能力は、
ゆっくり大きく育つ子
自分なりの順序で育つ子
優越機能と劣等機能の関係
などから、
目に見える部分で比べても、あまり意味がありません。
私は他の子よりできることが少ない子や
物覚えの悪い子の方に、
将来すごく伸びていくすばらしいものを感じるときがあるし、何でもこなせ、テストで測れるものでは良い成果をあげている子に
先の伸びの不安を感じることもあります。
幼い頃、接していて、
今大きく成長した子たちに会うことがあると、
その予感があまりに的中していて驚くことがあります。
もちろん、物覚えが悪いほうがいい…できることが少ない方がいい…
などという表面的な判断ではないのです。
幼児期に表に表れている能力より、
その潜在意識のあり方や方向性が、
その子を将来に導いていく部分が大きい気がしているのです。
さまざまなことが、周囲の子よりたくさんできても
ままごとでは「ペット役」や「赤ちゃん役」ばかりやりたがる子がいます。
また、自由な時間に、疲れたサラリーマンのような
疲れを癒す活動にばかり向かう子がいます。
そうした子は、周囲の期待に必死で応えてはいるけれど、
本人そのものは、常に退行的なムードにとらえられている印象があります。
自分でより大きな夢を見つけたり、
目の前の課題をできそうもないことでも「やりたい!やりたい!」とごねたりはしないです。
そうした子は、小学校にあがったとき、最初は成績が良いけれど、
だんだん下がってきて、
親御さんは「知っていることばかりで、勉強が面白くないようです」と
おっしゃるのですが、実際には、無意識の世界の「退行したい」というムードに
流されている様子です。
一方、できることは少ないし、手先も不器用だけど、
自分は何でもできるし、何でもやってみたい!
という幼児特有の自分を大きく大きく成長させようとする
意欲の塊のような子がいます。
自分の作品はぐちゃぐちゃでも自信満々。
他の子は字を書けていて、自分は書けてなくても、
その違いには気づかず、自分も「書く!書く!」とさわいで
ぐちゃぐちゃ書きをした後で、自分の作品に惚れ惚れしている子。
そうした子は、「できるようになりたい!」という前向きな意志を
成長とともに大きく膨らましている場合が多いです。
5歳くらいになると大人が褒めてくれるからとか、
やりなさいと言われるから…となどとは関係なく
自分の知的好奇心からいろいろ知りたがり、
頭を使いたい要求からゲームや頭脳パズルを欲しはじめます。
虹色教室でも、ゲームや学習をやめたがらず、
半べそをかく子はたくさんいます。
4歳くらいまでの大人の評価を下さない態度と自己肯定感を育てる
あるがままを認めていく子育てが
5歳以降の自分で成長しようとする力の大きさを決めていくようです。
私は子どもが「何ができるか」より、
「何をやりたがっているか」にだけ
大きな関心を向けています。
ただそうして子どもが「やりたい」気持ちさえあればOK!で
育てている子たちは、幼稚園で知能指数を測ってくれば、IQ150以上
あったりするので、
大人の心のあり方、まなざしのあり方は子どもの
知能にも大きな影響を与えているように思います。
意欲があってやりたくてする子は、
親が子どものこなすワークのページ数を決めていて
させている子と
潜在意識のレベルでは
目指しているものがぜんぜんちがっていて、
1年生くらいでも「●●の学者になりたい!」といった大きな夢を
自分の心の中心にすえていたりします。
そうした子は
小学校受験でトップの成績を収めている子より将来有望な気もします。
幼児を育てる上での大人の仕事は、子どものあるがままを自分の潜在意識の部分からも
肯定することにあるように思います。
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このブログでの発見は、
あたりまえといえばあたりまえなのですが、
親は「子供に応じた環境作り」
にこそ、注力すべき、という立場だということ。
これを再認識しました。
どうも、娘は、私とは別の性格タイプのようです。それは、未熟だからそうみえるだけなのか、本当にそうなのかよくわかりません。
そして、判らない部分が多いながらも、
記事を何度も読み返しています。
子供は私の前では、それなりに従順で、しつけや勉強は私に従っています。
子供の好きな、サービス業(レストランの給仕が多い)ごっこを私と一緒に年がら年中しています。
よく保育所での事を話してくれます。
掃除も料理もお手伝いします。
私の機嫌も時々観察して、私が機嫌悪いときは近寄りません。
そして。
このところ、親としての「娘の成長の発見」が少なくなってきました。
(もちろん勉強は徐々に進んでいます)
私は間違っているのでしょうか?
娘を締めすぎているのでしょうか?
親のエゴで子供を従順にしているだけなのでしょうか?
今の「いい子」は、この先怖いです。
何もなくても、只の「いい子」で終わる、つまらないヤツになってしまうのでしょうか?
とても不安です。
(前から不安感は常にあったのですが、ついこの記事で爆発してしまいました)
うちも親主体のプログラムに沿って、学習を進めたり、遊ばせることが多いです。
子供は「お母さんが僕と一緒にやりたいと考えたことを一緒にやろう!」と言ってくるので、ついついそうなってしまいがちです。
でもそれでは目に見える成長があっても、後々、伸び悩むのではないかと、なんとなく感じていました。
この悶々とした予感は、こういう理由からだったんですね。
今回の記事で、不安の元を紐解くことができました。
子供の旬、やりたいことに目を向けること、そして何よりあるがままの子供を受け入れる懐の深さを身に着けることが、親である自分の最大の課題です。
それを見ていて、「できなくてくやしい。」とは思わないのかな?と、心配なのですが・・・
「できるようになりたい!」という前向きな意志が、見えない部分にあるといいのですが・・・
ところで先生、コメント欄から失礼なのですが、2/23付けでメールをしたのですが、届いていますでしょうか?
返信が遅れているだけなら安心なのですが、PCの調子が時々、おかしいので届いているのか心配しています。
というのが強すぎて、私が疲れ果ててしまいます。
保育園に行くのにも、バスか電車かタクシーか決めるとなかなか譲らず、雨の日は必ず歩かされます。遅れようが、ビチャビチャになろうがお構いなし。(私は4か月の赤ちゃんを抱っこしておつきあいするハメに)お弁当も作った後に、こっちのお弁当箱に変えて!と言ったり、途中で寄り道してお買いものさせられたり、例をあげればキリがないのですが、わがままを許しているのではないか、甘やかしすぎではないか気がかりです。
遊びもこちらが誘う前に誘われ、振り回されまわってます。私の思い通りになんて全くなりません。本当に好き放題で、躾と温かく見守る境目が本当に難しいです。
なおみ先生、またお時間がある時に好奇心の塊でなんでも壊したくなって、自己主張の強いこまったちゃんの育て方の記事もお願いします。
大人・親の心のありかた、まなざしが子どもの知能にも影響を与えていたなんて・・・
今息子は小2ですが、幼児期にもっとゆったりと息子に合った育て方で日々過ごしてあげれば良かったのに・・・と悔やまれてなりません。
一年前に、広汎性発達障害(軽度知的あり)と診断されて、それまでは周りの子達に遅れないようにとそればかりを気にして育ててきました。
息子の気持ちは置き去りにして・・・でもそれが息子の為だと思っていたからです。
できないのは息子のせいではなく、特性をもっているがゆえの事だと知り偶然なおみ先生のブログを見つけ、子育てのやり直しを今しています。遅いかもしれません。でも息子が毎日笑って過ごしてくれるなら、間に合いますよね?そして・・・
いつか、なおみ先生の教室に伺ってみたいです!!