King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

大化の改新

2011年01月25日 15時12分37秒 | 日々のこと
先日テレビを見ていたら、奈良の遷都の記念
イベントと纒向遺跡の発掘と古代の時代認識の
変化を思わせるものが取り上げられていました。

為政者が変わると歴史なんてコロコロと改竄され
てしまうものだと言うことです。

私たちが子供の頃習った歴史なんてのも実に
いい加減で、政府の方針に則った教え方をされて
いたのです。

それが歴史の真実とかけ離れていたかとか現在に
通じる意味など誰も考えてもみないのです。

大化の改新という歴史の事件も天皇支配の歴史の
始まりとして、喜ばしい事件のように教わるのですが、
この事件も日本書紀の通りの事件だったのかと言うのも
怪しいと言うことを唱える学者が出てきています。

最近の教科書では、大化の改新と言うイベントの様には
教えてなくて、何とかの変としてクーデターがあったと
記述しているようです。

それと最近気になったのは、天平の甍と言う映画と
平城京遷都のテレビ番組を見て、得心が行った事が
ありました。

というのも、天平の甍で鑑真和上が10年掛りで日本に
やってきて仏教を伝えたと言うのは、歴史の授業だけ
でなく、道徳の教科書にも載っていた誰もがしる話です。

しかし、この事件に誰も疑問を挟まないばかりか、当時の
事を世界情勢とともに教えている学校は今でもないのかも
しれません。

つまり、なんでそんな航海技術が急に衰えてしまったのか
と言う疑問です。

日本の文化なり、新技術は皆大陸より渡ってきたものであり、
それは農業から鉄やら銅やら産業から文化まで新しいものは
皆大陸から海を渡ってやってきたはずです。

つまり、奈良時代以前はるか昔から船で色々なものがやってきて
いたはずなのに、なんで鑑真だけ何度も渡航失敗を繰り返したのか。

これはただ運の悪い人だったのか。

そんな事さえ当時小学生の私は気がつかなかったのです。

奈良で唐招提寺を見た中学生の時にも、映画を見たこのあいだも
なんで急に船が日本に渡れなくなったのかとそもそもの疑問を
正そうとも思いません。

映画を見ると中国政府にちゃんと許可を取った渡航でなく、
こそこそと日本の船に乗ったりしているので、ちゃんと中国の
船に乗っていればそんな事はなかったのかとか考えましたが、
どうやらその時にも気になった渡航ルートにあるのです。

どういうわけか、船は皆わざわざ距離のある大阪から九州そして
五島列島から東シナ海を横断して蘇州へ至るコースなのです。

これは海流をまともにうけるし航海距離も長くなってしまいます。

どう考えてもそんなに危ないのなら、対馬朝鮮沿いに行くのが
安全そうです。

そうすれば常に陸地を確認しながら進めます。

学校ではそんな事まで教えないし、疑問にも思わなかったのですが、
一度は失敗して南海島まで行ってしまったなどと言う映画のシーンを
みるとなんとも荒唐無稽な話に思えてきます。

学校では仏教伝来のためなどと教わるのですが、授戒という儀式
をやる坊さんが日本にいないという理由でやってくるのです。

そんなにその儀式が重要なのかということよりその時の国際情勢
とか法関係がどうなっていたかをしるのが重要なことであると
今では解ります。

あるテレビ番組で取り上げた航路上の選択で朝鮮沿いの航路は
朝鮮と日本の関係で取れなくなったと言う説明をしているもの
がありました。

日本書紀には新羅に戦闘して勝ったと言う記述があるらしい
です。

当時朝鮮は一地方で国として統一した物がなく、三地方に別れ
中国もそれを攻めて統一して支配下におこうとしたり、朝鮮でも
国家意識が高まり、統一に向けた動きがあったらしいのですが、
日本も中国も地方としての扱いで終始したため、どちらにも
正式な記録が残らないという経緯らしいです。

はるか1300年も昔のことだから記録もないのも当然という
感じもしますが、実際はわずか10年でも昔の事で記録はない
と言うことはよくある事なのです。

最近は、OA機器の発達で何事も記録されていそうですが、
古代の文書が長く残っても、パソコンのデーターや電磁記録など
案外もろいものです。

長く残したい事は和紙と墨で記録しておくことです。
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