討ち入り後、47士の処遇について学者間でも議論がかわされた。林信篤や室鳩巣は義挙として助命を主張したそうだ。しかし荻生徂徠は「47士の行為は義ではあるが私的な仇討ちである。浅野は殿中抜刀の犯罪で死罪なのに、吉良を仇と言うのはおかしい。幕府の旗本屋敷に乗り込み多数を殺害する騒動には死罪が当然である」と主張した。この荻生の主張が採用されて浪士には切腹が命じられた。本来であれば磔獄門であってもおかしくない。ところが江戸の町では「赤穂の侍の仇討ち」というシナリオが作られてしまっている。「さすが赤穂のお侍、見事な仇討ち」と最大限の賛辞に湧いている。ここでもし素浪人の盗賊として磔獄門の沙汰を出したら江戸の町は混乱するだろう。というわけで幕府側は仇討ちの大義名分としては意味不明の部分を指摘しながらも、武士として最高に名誉である処遇として「切腹」を出さざるを得なかったのである。つまり大石は「してやったり」のはずなのである。だからこの正月のドラマでも「切腹に処する」と沙汰が読み上げられた時に大石は「ははっ、ありがたき幸せ」という喜びを満面で表してほしかったのである。それは水戸黄門の「印籠シーン」の予定調和に匹敵するものである。数時間もあのドラマをみて肝腎の最後が締まらなかったので疲れた。まっ、でも虚構の部分の多いドラマにこんな沢山コメントするのも、どーなんでしょーか。これまた新年早々くたびれましたわ(笑)。