この前の日曜日、大学時代の同級会が行われた。地方から出席するものもいるのでそう頻回の開催ではない。卒業以来の再会のものもかなりいた。不思議であるが、卒後数十年(にもなるのだが)、その空白期間はすぐに省略され、きのう部室で話をした続きをしているような感覚になったことである。若いころの交流とは不思議なものである。遠慮がいらない。これが当時学生から数年が経過し社会人になってからの知己との再会の場合では、なぜかしらどこかに遠慮がある。この差はいったいどこからくるのであろうか? さて100人いた同級生のうち1/4の人数が集まった。結構な人数であった。同級生の一人が麻布の老舗蕎麦屋の社長をしているので会場はそこになった。まあ彼も医者と社長業の兼任は大変そうである。
しかしながらすでに100人のうち6人が亡くなっている。もうそんな年齢なのかとさみしい限りである。各人の挨拶スピーチでは自分が深刻な病気を持っていても、それを自分の「病気自慢」として話してしまうところが、さすが医療関係者ならではと感じた。
帰り際に同級生の一人が「次回会える日のことを思うと涙ぐんでしまう」といっていた。そうである、やはり健康が一番なのである。
しかしながらすでに100人のうち6人が亡くなっている。もうそんな年齢なのかとさみしい限りである。各人の挨拶スピーチでは自分が深刻な病気を持っていても、それを自分の「病気自慢」として話してしまうところが、さすが医療関係者ならではと感じた。
帰り際に同級生の一人が「次回会える日のことを思うと涙ぐんでしまう」といっていた。そうである、やはり健康が一番なのである。