事件の性質は異なるが、あの「光市母子殺人事件」ですら夫君の怒りのパワーはものすごいものがあった。一度だけ夫君は「被告を極刑にしないのであれば無罪にして早く加害者を世の中に出してくれ。そうしたら自分が彼を極刑に処するから」と常軌を逸した発言をした。
しかし以後はその発言を撤回し、いつも淡々と主張をのべて、世の中を巻き込むような加害者厳罰化の署名活動などは一切行わなかった。しかしながらそれでも夫君のその後の活動で、初犯で犯行時未成年の被告を極刑にもっていった。
時代は異なるが、現代はネット社会であり、容易に無責任な大衆がすべて「裁判長」になりうるという恐ろしさがある。しかも今回の事件はマスメディアの誘導的な雰囲気づくりで社会感情が徹頭徹尾、加害者を悪者に仕立て上げている。
別に自分は加害者の刑を軽くしろと言っているのではなく厳罰化は必要なものと考える。しかし何となく誤報や偏向報道のメディアに乗せられた感情のまま、厳罰賛成署名のサイン数がふえるのならば、これはもう「人民裁判」であり法治国家のものではない。こんなメディアの偏向報道は好ましいものではなく、本来万人は法の下に平等であるはずだと思う。
しかし以後はその発言を撤回し、いつも淡々と主張をのべて、世の中を巻き込むような加害者厳罰化の署名活動などは一切行わなかった。しかしながらそれでも夫君のその後の活動で、初犯で犯行時未成年の被告を極刑にもっていった。
時代は異なるが、現代はネット社会であり、容易に無責任な大衆がすべて「裁判長」になりうるという恐ろしさがある。しかも今回の事件はマスメディアの誘導的な雰囲気づくりで社会感情が徹頭徹尾、加害者を悪者に仕立て上げている。
別に自分は加害者の刑を軽くしろと言っているのではなく厳罰化は必要なものと考える。しかし何となく誤報や偏向報道のメディアに乗せられた感情のまま、厳罰賛成署名のサイン数がふえるのならば、これはもう「人民裁判」であり法治国家のものではない。こんなメディアの偏向報道は好ましいものではなく、本来万人は法の下に平等であるはずだと思う。