それにしてもこのプール担当教諭の思考背景も気になるところである。公立学校であるなら、かなり厳しく地区の教育委員会からの指示やガイドラインがあって、プールの水質管理もそれに基づいて行われているはずである。
まさか教育委員会が「プールの水道栓は開放のままにせよ」という指導をしていたとは思えない。とするとその教諭の単独確信犯的行動なのであろう。
それにしても大昔の自身の話であるが小学校時代ひどい水飢饉で東京は大変な思いをした。毎日、小河内ダムの干からびてひび割れた湖底が報道されて、子供心にも「大変なことになった」と感じた。しかも学校では「水不足に対する標語を作ろう」とばかり、いろいろなスローガンを生徒につくらせた。誰がつくったかは知らないが「水の一滴、血の一滴」なんていう標語は生臭くて今でも覚えている。そんなこんなで小学校時代のトラウマから「水道の栓を開放にしたまま」なんて行為は自分では絶対にありえない感覚である。
まさか教育委員会が「プールの水道栓は開放のままにせよ」という指導をしていたとは思えない。とするとその教諭の単独確信犯的行動なのであろう。
それにしても大昔の自身の話であるが小学校時代ひどい水飢饉で東京は大変な思いをした。毎日、小河内ダムの干からびてひび割れた湖底が報道されて、子供心にも「大変なことになった」と感じた。しかも学校では「水不足に対する標語を作ろう」とばかり、いろいろなスローガンを生徒につくらせた。誰がつくったかは知らないが「水の一滴、血の一滴」なんていう標語は生臭くて今でも覚えている。そんなこんなで小学校時代のトラウマから「水道の栓を開放にしたまま」なんて行為は自分では絶対にありえない感覚である。