なんとも、いろいろな考え方があると思う。別に天ぷらで転倒したのは店の責任であると問うことが特に不当だと自分は言わない。不当であるとは「思わない」ではなく「言わない」のである。これは現代はなんでもかんでも多様化の時代なので、不当だと思っても、不当であるとは「言わない」ほうがいいのである。
それよりもこの一審判決は、あの数十年前の米国の判決と同じく「店が悪い」としたのである。つまり日本でも地裁レベルでは一般的に「店が悪い」という常識?にしようとしたのである。一方、高裁では「店に責任はなし」となったが、ここで次に原告側は最高裁まで上告したのである。驚いたのはここである。まあ本人にしてみれば大ごとなのであろうが、死亡事故ではない些細な怪我で最高裁もっていくのかという驚きである。ああ世知辛い世の中である。
それよりもこの一審判決は、あの数十年前の米国の判決と同じく「店が悪い」としたのである。つまり日本でも地裁レベルでは一般的に「店が悪い」という常識?にしようとしたのである。一方、高裁では「店に責任はなし」となったが、ここで次に原告側は最高裁まで上告したのである。驚いたのはここである。まあ本人にしてみれば大ごとなのであろうが、死亡事故ではない些細な怪我で最高裁もっていくのかという驚きである。ああ世知辛い世の中である。