今となっては、明暦の大火の真相は不明である。しかしながら例証した事実と、当時の政情から考えると、どうも老中の屋敷が火元である可能性が高そうである。もし老中の家が火元ならば江戸は政情不安をおこし大混乱をきたしただろう。本妙寺はうまい隠れ蓑だったかもしれない。しかもお寺さんを火元に仕立てることにより、あの「若くして死んだ美しい娘の振袖」にかこつけてしまえば、重罪ものの失火もロマンの中に埋もれさせることができる。これは誰も責任を負わずにすむ、とてもよい責任回避の手段であったろう。10万人の焼死者数は大きい。この責任回避は消えた年金~社会保険庁の図式に似ており現在にも通ずるものかもしれない。
疑惑その3であるが、その風上に位置する本来の火元であろうと目されている老中阿部家から、以降200年にわたって、火事の死者に対する回向供養料が納められ続けたことである。なんと関東大震災のころまで払われていたというのだから驚きである。しかも奇異なのは本来、明暦の大火の死者を供養するために回向院が建てられたのであるから、実際はそちらに供養料が払われるのがスジであるが、ここで本妙寺に払われたというのだからますます疑惑である。
理由のその2であるが、本妙寺はその後「触頭(ふれがしら)」という、重責をさずかったようである。これは配下の寺の意見をまとめて幕府に上申したり、あるいは幕府からの通達を関連のお寺に伝えるための役目をしていたようである。これはそれなりの権威と地位をもつものであるので、とても本当に火元であるお寺に授けられるものなのか疑わしいものである。やはり幕府側としては本妙寺に「借り」を作ったようである。
江戸の半分を焼き尽くし、10万人が焼死した火事の火元となれば、お寺とはいえ、改易か取り潰しには絶対なるだろう。しかし数年後には同地に復興しているところをみると、やはり何かしら大きな力が働いたことを臭わせるのである。しかも復興においてその資金は幕府側からでたという話も聞いている。いくら徳川家由来のお寺とはいえ、ここまで手厚く保護されるのにはワケがありそうだと誰でも思うだろう。
実は火元は、本妙寺の風上に位置する幕府老中阿部家らしいというのだ。当時、火事は江戸の災害の中では一番怖いもの。したがって付け火となれば磔・獄門と相場が決まっているくらい罪が重いくらいで、失火であっても相応の咎があったことは想像に難くない。よって幕府の重鎮が火元となれば幕府の御威光は失墜するのでこの火元を本妙寺に仕立てたというのが真相らしい。しかも本妙寺は本来、徳川家と関連があるお寺のようであり、そこでこの責を被ったらしいようである。
本来ブログとは自分の日記を公開しているわけだから、何をどう書いてもいいのであろうが、この前の本妙寺の振袖火事の件(6/23-6/25)では、少々曲解もあったので訂正しておこう。この本妙寺が火元になって明暦の大火が起こり10万人もの江戸町民が死んだ話は書いた。しかし本当は本妙寺は火元ではなかったのだということである。諸説ふんぷんであるが、幕府の計画的火付け説もある。しかしもっとも有力そうな説は実は・・・。
10月4日でちょうど開業2年がたちました。医療崩壊の狭間に開業してから、はや2年ですか・・・、でもなんとかここまでたどりつけました。これもひとえにスタッフの協力の賜物でしょう。今年の1月ごろは経営も厳しく閉院か?とも思っていました。しかし今では黒字にこそなっていませんが、なんとか「自転車操業」のところまでこぎつけました。やはり「地域に根ざした医療」とはいいますが、実践医療のなかではこの地域医療と言うのが一番難しいのかもしれません。地域で信頼されるまでには最低でも3年かかると同僚にいわれました。まだまだ2年、されど2年、これからが勝負です。
歩行中に 「店先に品物を見つけた」「信号を急に渡ろうとした」「二人でのお喋り(会話)を継続したい」などの理由があると、歩行者は予期せぬ進路変更をするようである。こちらとしても、視界に入っては消えていくという行き交う人達の「次の行動」を予測し、瞬時に自分の進路をきめるのは容易なことではない。きっと今のゲーム世代の若者なら瞬時に判断ができるのかもしれないが、自分はもう若者ではないので無理である。それにしても不思議なのはぶつかりそうになった(ぶつかった)人はみな女性である。何か性別的行動特異性でもあるのだろうか? あるいはただ単に女性の方が行動的なためなのか? あぁ、それにしても転んだら痛いことを再確認した(笑)。そして、「誰も大丈夫ですか?」と声をかけないことも今回の一連の経験でわかった。
以前こんなことがあった。横に並んでお喋りをしながら歩いてくる中年のご婦人二人に正面から遭遇した。小さな路地に差し掛かるところでちょうどすれ違おうとしたその瞬間、一人のご婦人が私の前を横切ってその路地に右折しようとした。まあ比較的余裕があって一人目は自分のスレスレ直前で右折した。しかし一緒に話をしながら歩いているもう一人のご婦人も、その直後に「くっついて」右折してきたからたまらない。この二人目のご婦人と衝突した。二人目のご婦人には一呼吸待ってもらえればぶつからなかったのに。「お喋りをしている時の二人の距離」とはかくも強固で離れがたいものなのだと教訓を得た。
街中での歩道をストレスなく軽快に走れることはない。自転車もそうだが歩行者には特に注意がいる。以前も書いたが、歩行者を追い抜くときは、後ろを確認せずに急に横に進路を変えることがあるので要注意である。特に店先に自分の興味のある品物を見つけたときには、それにスーッと引き寄せられるようである。しかし今回のように歩行者の横から近づく時も要注意であることが理解できた。今回は「黄色信号を渡る」という目的が急に生じたためいきなり走り出したのである。