いまのところ、インフルエンザAが猛威をふるっている。例年、この時期は少しずつB型も出てくるのであるが、いまだに一人も出てこないのはちょっと不気味である。このままA型だけで終わるわけではないので、きっとこのあと、もしかしたら3月あたりのB型のピークが訪れるのかもしれない。今シーズンはインフルエンザの流行は早めに始まってダラダラつづき、そして今もまだまだ感染者は後をたたない。今シーズンも数百人はインフルエンザ迅速試験のため、患者さん(患児を含む)の鼻腔に綿棒を挿入させていただいた。もちろん大人でも嫌な検査である。しかも発熱直後の来院では検査が陽性にでないことも多い。幼稚園、保育園などでは、近年なにかあると「『今すぐ』医療機関にいきなさい」と、まるでそれをいうことで自分たちはきちんと健康管理をしていますよというリスクマネジメントあるいは免罪符のつもりでいるのか、すぐに両親に連絡をいれて迎えに来させるようである。発熱直後の検査で陰性に出ても「お母さん、まだ何とも言えませんね。今日の夕方か、明朝まで熱続くならまた同じ検査しましょう」と、辛い綿棒検査の再検をすすめるのである。子供は「やだよ~、またやるのやだよ~」と大泣きするが、でもしょうがないのである。結構2回目で陽性にでる子は多いのである・・・。
今回このアイドルの女の子はヘリウムボンベのガス(ヘリウム80%、酸素20%)を吸って、直後に意識不明になったという。今回の空気塞栓発症において不思議なのは、窒素における空気塞栓の機序と異なっていることである。それは①周囲環境の気圧が急に高くなっていないこと ②そしてそれに引き続く「急な周囲環境の減圧」と言う事実がないこと ③そして通常、空気塞栓発症から意識を失うまで数十秒~1分程度の余裕があると思われるのだが、吸入した直後の意識消失(報道では)であることに納得がいかない。経過から推測するとよっぽど大きな気泡による空気塞栓と考えられる。細かい気泡が脳の末梢動脈につまっても、いわゆるラクナ梗塞と同じで、急激にガツンといきなり意識がなくなるわけではない。今回は「吸入直後に倒れた」ということである。いきなり大きな気泡が発生し脳の主幹動脈を突然閉塞すればありうるだろうが、それこそ「意図的に」頸動脈に注射器で空気を送り込まない限り突然の意識障害は起こりえないと考えるのだが・・・。
まあヘリウム自体には毒性はない。あとは酸素欠乏にならないよう20%の酸素さえ混ぜておけば人体に影響はないと考えるのが妥当である。今回のヘリウムによる空気塞栓の発症原因を医学的に解明してくれる人はないかなーと思うが、結局真相は闇の中なんだろうなー?
まあヘリウム自体には毒性はない。あとは酸素欠乏にならないよう20%の酸素さえ混ぜておけば人体に影響はないと考えるのが妥当である。今回のヘリウムによる空気塞栓の発症原因を医学的に解明してくれる人はないかなーと思うが、結局真相は闇の中なんだろうなー?
吸入した気体のヘリウムは物理特性としてすぐ血管内に入るのであろうか? もちろんいきなりガス(気泡)自体が血管内に入り込むなどと言う経路は「健康な」身体ではありえない。まず分子レベルのHe(ヘリウム)なら肺胞を通過し血液中には入るだろう。因みに肺胞とは、気道の一番奥の部分であり、ここで気体中の物質が分子レベルで血中へと交通する(気泡などの大きいものは通過しない)。しかし血液に分子レベルの大きさのヘリウムが溶け込んだとしても、それが血管内で気泡化するのであろうか? 血管内で気泡化しなければ空気塞栓にならないはずである。果たして血管内のヘリウムが気泡化するに至る原因はあるのであろうか? 通常、スキューバダイビングの場合、血液中の溶存窒素は、高圧環境からいきなり急減圧すると気泡化して血管内をふさぐ。窒素の場合の機序は理解できるが、ヘリウムの場合、分子レベルのヘリウムが気泡化するには何らかのきっかけがあるはずと思うのだが・・・。まあ気圧の急激な変化なくとも溶存ヘリウムは気泡化するのが物理特性なんだと言われれば今回の話はそれで終わりである。ただそうであれば、すでに今まで何人もの空気塞栓がこのグッズ吸入者で報告されているはずである。
昨日、アイドルグループの女の子が、TVのイベントでパーティグッズの声色の変わるヘリウムガスを吸って意識不明になったと、ニュースでやっていた。診断は「脳空気塞栓」だそうだ。諸検査でそうなのであるから空気塞栓なのだろうが、通常では考えられない病態である。まずこのグッズであるが、その組成は「ヘリウム80%、酸素20%」とTVで報道していた。これを聞いて「ああそうか」と思った。我々がいつも普通に呼吸している大気の酸素濃度と同じにしてある。これなら「低酸素血症」になることはない。でもたぶんスプレー缶に注入されているのでそれは高圧に充填されているのであろう。一方空気塞栓が時に見られるものでスキューバダイビングは有名である。確かにダイビングでは空気塞栓は注意すべき合併症ではあるが、エアボンベの酸素濃度も空気を詰めているので大気(窒素80%、酸素20%)と同じである。この場合の空気塞栓は、海底深く潜っていったとき水圧が高い状態になり、その後、急浮上などの急な減圧をしたときに血液中の溶存窒素が気泡化して脳の血管をふさぐのである。それが空気塞栓である。
一方ヘリウムは今回の場合周囲環境が1気圧で、しかも気圧の変化もないところで果たしてこのように血液中で気泡になるのであろうか?
一方ヘリウムは今回の場合周囲環境が1気圧で、しかも気圧の変化もないところで果たしてこのように血液中で気泡になるのであろうか?
先日、自分が校医をしている小学校から新年度の年間スケジュールが送られてきた。何の因果か自分が入学した小学校である。途中で転校してしまったが、登下校時の徒歩通学や、夏休みの子ども会での思い出は数十年以上たった今でもよく覚えている。とにかく楽しかったのである。1学年に何クラスもあったが、今では1学年1クラスのみである。近隣の他の小学校は数クラスあるのであるが、この学校だけは1クラスのみであまり周辺の家庭からの人気が高い方ではない。昔は学区割があって、居住地によって行くことのできる学校が決まっていた。自分の住まいの学区割ではこの小学校だった。今のように「どこでも」好きなところに行けるのとは事情が違うのである。子供が少なくなってきた今、しかも希望の小学校にいけるとなると遠くても希望した小学校に通学させるのはやむをえまい。しかし生徒数の少ない学校はそれなりのメリットも多い。学校側のメリットは目が行き届くであろうしきめの細かい教育そして健康管理が可能である。しかし生徒側にとってのメリットは何であろうか? 自分は子供がやたら多い時代に育ってきたので少ないクラス人数での経験がない。周囲の近隣小学校とくらべ、極端に人気がないのには何か理由があるのか不思議なのである。
顔が見えないご家族というのは、奇妙な表現であるが「不気味」なのである。長く通院する患者さんの診療の中でよく話題にでてくるご家族のことは、患者さん本人はもちろんよく知っているが、付き添いでクリニックにこなければ自分は一度も会っていないのである。ここで話によく出てくるからといって自分もご家族のことを熟知していると誤解してはいけないのである。その人がいい人なのか、いい人ではないのか、あるいは患者さんの病気の程度をどのくらい把握しているのか、あるいは実生活の上で患者さんとどの程度かかわりを持っているのか?(つまりキーパーソンなのかどうか)が分からないのである。そのような人から「~してもらえ」と要望がでても、なかなか「はいそうですか」と100%聞き入れるのは抵抗があるのである。診療とは「契約上に成り立つ」とはいうものの、実は信頼関係が重要である。もちろん患者さんから自分が信頼されるかどうかというのも何回か診察に来られてからであろうし、その逆でこちら側が患者さんを信頼するのも何回かの診察のあとのことである。ましてや後ろにいる「ご家族」とやらは、一度もお会いしたことがなければ、いつまでたっても信頼するには至らないのである。
『○○から~してもらえと言われました』という言葉を患者さんから聞くたびに「ん? だからどーした」と思うのもやむを得まい。
『○○から~してもらえと言われました』という言葉を患者さんから聞くたびに「ん? だからどーした」と思うのもやむを得まい。
時々、患者さんから言われる言葉がある。それは例えば、お年寄りが具合が悪く来院した時に、「息子から『よく診てもらえ』といわれました」と言われることである。またご婦人からは「主人から『レントゲンやってもらえ』といわれたのでお願いします」とも言われることもある。でもこの言葉には少々違和感を覚えるのである。自分は目の前の患者さんと相対して診療をしているのである。患者さんの訴えを聴いて診察し、自分が判断して診療方策をすすめるのである。もちろん患者さん自身の希望があればできる限りその意向に沿う形で診療をすすめる。しかしながら現在、この場にいない人から、しかも多くの場合会ったこともない人から『~してもらえ』といわれても、こちらとしては局外者からの「顔の見えない指令」には困惑するだけなのである。もちろん診察室に同席して、「私は、患者の息子なんですが、ちょっとご相談で○○の検査もどうでしょうか?」と相談を受ければ話が進むことも多い。つまり、正直言って患者さんの後ろにいる会ったこともないご家族というのは顔が見えない関係なので不安なのである。
まさかと思うがよくある話である。
私:「あっ、かぜのようですね、じゃあ咳止めと、風邪薬と・・・出しておきますねー」 患者さん:「あー、今飲んでいる薬と一緒に飲んでも大丈夫ですか?」 私:「えっ、何かどちらかからお薬をもらっているんですか?」 患者さん:「ええ、薬をずっと飲んでいるんですよ」 私:「じゃあ、お薬手帳見せてください」 患者さん:「は? 手帳?持ってません」 私:「ではお薬の名前を教えてください」 患者さん:「えっ? 薬の名前❓ 知らないなー」 私:「じゃあ、どんなご病気で薬が出されているんですか?」 患者さん:「えーっ、よくわかんないなぁ~、中性? 内臓シボー? 血圧? はっきり知らないなー」 私:「ではどちらの医療機関ですか?」 患者さん:「ええっと?、ほら、あの駅から南にいって、あるでしょう、あのコンビニの角から・・」 私:「・・・残念ながら薬が分からないと併用していいのかどうかもわかりません」 患者さん:「えっ? 分からないのですか? でも大丈夫でしょ?」 私:「・・・・(言葉に窮している)」
どうも、私の「大丈夫」と言う保証を聞きたがっているようだがこれでは無理である。でもこれに類似する患者さんは別段一人や二人ではない。今更、驚くこともない。ごく普通に来院されていることがすごいのである。
私:「あっ、かぜのようですね、じゃあ咳止めと、風邪薬と・・・出しておきますねー」 患者さん:「あー、今飲んでいる薬と一緒に飲んでも大丈夫ですか?」 私:「えっ、何かどちらかからお薬をもらっているんですか?」 患者さん:「ええ、薬をずっと飲んでいるんですよ」 私:「じゃあ、お薬手帳見せてください」 患者さん:「は? 手帳?持ってません」 私:「ではお薬の名前を教えてください」 患者さん:「えっ? 薬の名前❓ 知らないなー」 私:「じゃあ、どんなご病気で薬が出されているんですか?」 患者さん:「えーっ、よくわかんないなぁ~、中性? 内臓シボー? 血圧? はっきり知らないなー」 私:「ではどちらの医療機関ですか?」 患者さん:「ええっと?、ほら、あの駅から南にいって、あるでしょう、あのコンビニの角から・・」 私:「・・・残念ながら薬が分からないと併用していいのかどうかもわかりません」 患者さん:「えっ? 分からないのですか? でも大丈夫でしょ?」 私:「・・・・(言葉に窮している)」
どうも、私の「大丈夫」と言う保証を聞きたがっているようだがこれでは無理である。でもこれに類似する患者さんは別段一人や二人ではない。今更、驚くこともない。ごく普通に来院されていることがすごいのである。