吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

こんにゃくゼリー その1

2016年02月10日 06時04分55秒 | 日記


 冷蔵庫の奥からこんにゃくゼリーが出てきた。
家族の誰かが買って保管しておいたものだと思う。
見ると「高齢者と子供は食べないでください」と但し書きがマーク付きで記載されている。食品には似つかわしくない危険なイメージが飛び込んでくるようだ。何やらタバコのパッケージの「健康に与える被害」の注意喚起を彷彿とさせた。

でもこちらは食品である。危険な食べ物としてのレッテルを貼られている理由は、この食品で幼児や高齢者が窒息したためである。おそらくは遺族が提訴して訴訟となり、ついに「この形」で販売されることになったわけであろう。昔のグリコ森永事件でチョコレートのパッケージに「毒入り危険 食べたら死ぬで」という張り紙がなされていたことを連想した。

 製造会社の関係者の想いはいかばかりであろうか? 自社製品に自分たちの手で「危険」というレッテルを貼って販売するのである。内心忸怩たる思いであろう。
 以前にもこの日記で触れたことがある。餅との比較である。お餅での窒息による死者は毎年あとをたたない。死亡者0という年はない。餅だってある意味危険な食べ物と思うのだが・・。

たぶん急性硬膜外血腫かも? その6

2016年02月09日 07時09分55秒 | 日記
 さてその1で提示した交通事故の事例である。「ひき逃げ」を立件できるかどうかと報道されていたが、それは難しい所である。  
 もしかしたら意識清明期に傷病者が「仕事だからもう行きますよ」と言って立ち去った可能性もある。
 そしてそのまま歩いて現場から傷病者がいなくなれば、バイクの男もしょうがないとばかりに警察に届けずに自分も立ち去るであろう。
 まさかその後、傷病者が大変なことになっているとは素人では想像もできない。

 前にも述べたが大昔の法医学の講義で、意識清明期に医療機関を受診し、意識がしっかりしているので帰宅させたところ、しばらくして自宅で死亡して発見された事例を教わった。
 医師が診察した後の急死では、特に事故の場合では極めて医師の立場が悪くなるとその時教わったのである。
 まああの時代はCTのない時代だったのでまだしょうがない部分もあるが今では受診後の急死は言い訳ができないだろう。

 もっともこれは医療関係者の話であって、一般市民に急性硬膜外血腫の意識清明期を見逃すなと義務を課するのも無理な話である。
 よって傷病者の予後を素人が予見できるはずがなく「ひき逃げ」の立件には無理がある。

 まあ相手が歩いて立ち去ったとしても結果的に警察には届けておくべきだったのかもしれないが。

たぶん急性硬膜外血腫かも? その5

2016年02月08日 05時46分20秒 | 日記
 人口当たりCTの台数が世界一多い(多すぎる)と揶揄されている日本である。脳震盪の有無でふるい分けすれば急性硬膜外血腫の見落としは随分少なくできるはずである。
しかしながら、CTができてからの数十年は、ただ単に「頭を打っているから大変なことになるといけないので」と、少しばかり頭をぶつけた子供に対してまで救急車が呼ばれることが多い。過剰反応すぎるのである。
脳震盪もなく神経症状もなく元気な子供であれば、簡単な診察で帰宅させることはできるのであるが、「病院に連れてきたのにCTすらとってくれない」とクレームをつけられることも多い。医者の判断・診断よりも、(医者はいらないから)CT検査さえしてくれればいいと言わんばかりの家族も多い。
あるいはほとんど打撲すらないような交通事故でも、いわゆる加害者が「何かあるといけないので」と救急車を呼んでしまう。

なんだか以後のクレーム対策か、あるいは誠意をみせるふりをするのか救急車が乱用されるのである。医療機関でも、医者が「どうしましたか?」と問診すると「いや、特にどこもなんともないんですけど、相手方の人が救急車呼んじゃったので・・・」と答えられて、こちらもさてどうしたもんかと・・・。

たぶん急性硬膜外血腫かも? その4

2016年02月06日 06時42分13秒 | 日記
 頭部外傷後、歩いて帰宅して、その後亡くなっているという病態は戦慄的である。

 しかし、よく話してみるとこの「意識清明期」では、清明といっても完全に清明ではないのである。
 目を開けて喋ってはいるが、つじつまが合わなかったりわずかな記憶障害があったり、あるいはそれら症状がなくとも「どこか変」なのである。

 事故前から傷病者を知る人であれば「あれ?いつもとどこか違うな」と気が付くはずである。初対面であれば「性格的に変」な人もたくさんいるので区別がつきにくい。

 そこですぐに医療機関を受診させるかどうかの一般人の判断は「最初の脳震盪」があったかどうかである。
 頭部外傷とは言え最初に脳震盪がなければほぼ経過観察でよい。

 とりあえず脳震盪があったなら、問題ないことも多いが、まあ早いうちに頭CTスキャンでもやっておいたほうがよい。

 外来に来た場合、「頭うった直後、意識失いましたか?」あるいは子供であれば「お母さん、頭ぶつけた直後、大泣きしましたか?」と聞けば、脳震盪の有無が判断できる。脳震盪で意識を失った子供は直後から「泣く」はずはないのである。

 以上のことさえ気を付ければ一般人の判断でも大事に至ることはない。

たぶん急性硬膜外血腫かも? その3

2016年02月05日 06時20分33秒 | 日記
 この病態の特徴は、打撲直後の脳震盪(これはすぐに目を覚ます)、そしてしばらくの意識清明な時間があり、その後、しばらくして徐々に意識が悪くなって死亡するという流れである。
 この意識清明である時間の長さは頭部打撲の強さや傷病者の持病、年齢、体質などによりさまざまである。数分後に次第に意識が急速に悪化するものもあれば、数時間後から意識が低下するものまである。

 実はこの数時間後から悪化するような場合がやっかいなのである。その1で提示した事例のように自分で歩いて帰宅したりする。家人や周囲の人は「歩いて帰ってこられるくらいなら大丈夫である」と錯覚する。
 そして例えば家で休んでいるうちに家人が気が付いたら亡くなっていたなどというパターンとなるのである。

 自分は大昔、医学生時代、この病態を法医学の講義で習った。なんで法医学かというと、やはり歩いて帰ってきてから亡くなったというパターンで警察が呼ばれ法医解剖となっていたからである。

 自分が法医学を習っていた当時はCTスキャンなどまだない時代であった。

たぶん急性硬膜外血腫かも? その2

2016年02月04日 05時36分10秒 | 日記
 急性期の頭部外傷で、十数分~数時間後から徐々に意識が低下し、そしてそのまま亡くなってしまう病態は「急性硬膜外血腫」である。頭部を強打すると、脳震盪という数分間の一時的な意識消失がある。これは数分後にまた自然と意識が戻る。しかしこの時、頭蓋骨に骨折がみられた場合、頭蓋骨の裏側に密着している細い動脈まで損傷される場合がある。この動脈損傷から徐々に頭蓋骨の内側を覆う「硬膜」と頭蓋骨の間に血液が溜まってくるのである。そして徐々にその出血が広がってくると脳を圧迫してくるので、経時的に徐々に意識が低下してくるのである。そして出血が進行すれば脳が血液の塊に押しつぶされて、いわゆる「脳ヘルニア」を起こし死亡するのである。救命するには意識が徐々に低下しているうちに手術で血腫を除去しないと難しい。完全に脳ヘルニアを起こしてからでは間に合わないのである。つまりこの意識清明なうちにこの病態に気が付くかどうかである。

たぶん急性硬膜外血腫かも? その1

2016年02月03日 05時54分59秒 | 日記
古い話で恐縮である。
2014.2.27  産経新聞より 

 ミニバイクで歩行者をひき逃げし、死亡させたとして、京都府警伏見署は26日、自動車運転過失致死と道交法違反(ひき逃げ)の疑いで、京都市伏見区、金属加工会社社員の男(41)を書類送検したと発表した。
 書類送検容疑は、平成24年12月10日午後5時40分ごろ、同区向島東定請の市道で、歩いて出勤していた同市上京区の派遣職員、西田仁さん=当時(75)=にミニバイクで衝突し、救護措置をせずに立ち去ったなどとしている。
西田さんは頭蓋骨骨折などの重傷で病院に搬送され、約2カ月後の25年2月22日、転院先の病院で死亡した。
 同署によると、西田さんは事故後、男と会話をしたあと約100メートル離れた職場に出勤。同僚の男性が頭から血を流していることに驚き、110番した。出血の理由を尋ねると西田さんは「よくわからない」と答えたという。
 同署は事故後、現場に残った破片からミニバイクの車種を特定し、現場付近で登録されている同型のミニバイク121台の捜査を開始。25年9月、120台目で男が浮上し、任意で事情を聴いていた。
 事故後、西田さんが職場に出勤している状況などから、ひき逃げが成立するかなどについて慎重に捜査していたが、西田さんの命日の前日の今月21日、書類送検した。同署幹部は「ご遺族のためにも、一周忌までに送致したかった」としている。

おそらく意識清明期のある頭部外傷なので、急性硬膜外血腫かもしれない。

責任の取り方 その5

2016年02月02日 05時45分35秒 | 日記
 ということで芸能人の責任の取り方についてであるが、一発完全アウトというのは「反社会的組織との交流」、「覚せい剤などの非合法的薬物の使用」、そして今回SMAPの一連の動きでもわかったのであるが、「事務所からの円満的ではない独立」などがあげられる。もっとも最後の場合はタレントが売れっ子になっていることが条件であろうが・・・。

 例えば昔の俳優では宍戸錠や梅宮辰夫などは昔から、そちらの方ではならしたらしい。しかし絶対に有名女優にはアプローチをしなかったというのだ。つまりわざわざ「火中の栗」を拾うようなことはしなかったようである。

 もっとも芸能界では不倫スキャンダルで時々マスコミをにぎわすことにより、自分の名前を継続させているタレントもいるので、不倫騒動などはある意味タレントの生き残り戦術の一つなのかもしれない。
 芸能界での責任の取り方とはどうも一般社会とは別個のものであるようだ。
「これで(小指をたてて)会社をやめました」という責任の取り方は一般社会での話であり、芸能界にはあり得ない話なんだろうと感じた。
あー、いいなぁ~・・・、あっ、いやっ、以下自粛!

責任の取り方 その4

2016年02月01日 06時20分16秒 | 日記
つまり一般社会人の責任の取り方は仕事を辞めることである(のが常である)。奇しくもリアルタイムで甘利さんの辞任がいい例となった。
このミュージシャンが「このまま音楽を作り続ける」のであれば責任を取ったことにならない。何だかライブ会場での高揚感や一体感の中、「俺はやるぞー」的な問いかけで「おー、そうだ、いいぞ」と反応するばかりがファンではないと思うのだが。贔屓の引き倒しか?
 でも芸能界は一般社会と違うと言えばそれまでである。彼のスキャンダルも彼の音楽的才能と同等の才能?と評価されるのが芸能界なのかもしれない。このまま彼は何事もなく許されていくのであろう。
まあ、よく政治家が「私がこのまま政治活動を続けていく姿を皆様に見ていただくことが禊(みそぎ)であると確信しております」と訳の分からん理屈をつけて議員辞職しないこともあるが、おそらくそれに似たようなことなのであろう。

 自分は彼個人を非難しているのではない(推しているわけでもないが)。どちらかというと世の中に寄与した業績と個人的スキャンダルは別物であると思っているだけである。ある意味個人的スキャンダルは誰にでもあることである。これをあげつらったなら切りがない。内心、彼の今回の不倫スキャンダルによる失脚よりも、これからもいい曲をかいて世の中に寄与してくれた方がずっといいと思っている。
それはそれでいいのだが、なぜかしら芸能人だけ「仕事を辞める」ことが要求されないという風潮を不思議に思っているだけなのである。