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<写真>は路線価の上昇著しい名古屋駅前付近。
下は、完成間近のトヨタ系高層ビル。
この度発表された路線価を見て、思わず考え込んでしまいました。
名古屋駅前が全国でトップ(26.4%)の大幅アップであり、それは、トヨタを中心に名古屋経済が元気だとのことですが、それはそれで事実でしょう。
しかしです、しかし、名古屋市を除く愛知県下の全都市、岐阜県、三重県の全都市において、すべて軒並み数%(中には10%近いものもある)の下落なのです。
ということは、名古屋駅前は一人勝ちというか、これら他都市の商業基盤や地場産業の衰退を尻目に、ひとりわが世の春を謳歌しているということなのです。
これは、勝ち組、負け組、格差社会が単なる言辞にとどまらず、歴然と示された数値といえます。
他都市の下落の数値は、名古屋に近いところほど大きいのです。これは、あらゆる経済活動が名古屋偏重になっていて、これらの諸都市の地盤低下と、名古屋駅前の高騰とは相関関係にあることを示しています。
私の住む岐阜は、僅か18分で名古屋と結ばれています。買い物客の多くは名古屋へ出かけます。そればかりか、象徴的なのは、岐阜駅の近くに高層マンションが建てられつつあるのですが、そのほとんどがトヨタによって買い占められたという事実です。
これは、上に掲げた写真にあるトヨタ関連の超高層ビルが名古屋駅前に建てられつつあり、そこへ勤務する人達のための住宅確保なのです。
衛星都市という言葉がありますが、それはまだ、その連携を通じて双方向のメリットがクロスし合うことを指すのですが、現況はもはや、植民地というほかありません。
岐阜県の多治見、大垣、そして、三重県の四日市、桑名などでも事情はほぼ同様です。愛知県内の諸都市でもそうです。
日本経済政策は戦後、多かれ少なかれ、あまりにも格差が大きくならないように、また、格差が出た場合には、それを福祉や地域振興策で救済する措置をとってきました。
その背景としては、いわゆる社会主義体制との競争の中で、国内での矛盾をあまり広げたくないという配慮が働いたものと思われます。
しかし、社会主義体制が崩壊した今、資本主義はもはや裸でその本性を露呈し、生産手段をもつ者のみが富み、そのシステムの仕組みから外れた者は、「自己責任」で野たれ死ねという政策に転換しつつあります。
経済はむろん、地域、教育、文化、社会保障などなど、あらゆる面にわたっての格差の拡大(先進国中第二位)は、やはり、これをチェックする主張の再構築、二大政党といいながら同じ穴の狢のような政党ではない、庶民の政治を実現する立場と層の再結集を必要としているのではないでしょうか。
現在の生産関係(=資本主義)は、決して自然的な事象ではなく、人為的に、しかも原始的蓄積段階という暴力をも伴って出現したものであることを、今一度思い起こしてもいいかも知れません。