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瀬見井久君 ご苦労様! 君は偉いっ!

2009-10-20 17:31:22 | ラブレター
 瀬見井久君が12年間つとめた犬山市の教育長を辞任するそうです。
 瀬見井君などと君付けで呼ぶのは、彼が私の学生時代の同級生だからです。
 特別に親しかったわけではありませんが、会えばもちろん挨拶のみならずいろいろ言葉を交わす仲でした。まだ犬山市の教育長になる前、愛知県職員のころには私のやっていた居酒屋にもしばしば来てくれて、私もその席に招かれ歓談したものでした。

 瀬見井君が辞任などというと、しばらく前でしたら、回りの頭の固いどうしようもない連中に責め立てられて、刀折れ、矢尽きたかといったところだったでしょうが、この時点での辞任は、彼の教育への情熱と理念が堂々と認められた結果の凱旋ともいえるものです。

             

 彼を一躍有名にしたのは、文科省が現場の意見(組合だけではないですよ、校長など管理者にも反対が多かったのです)などを無視して一方的に進めた全国学力調査への参加を、唯一見合わせてきた自治体の教育長だったことです。
 今では明らかですが、この「調査」と名付けられたテストは、自治体別、学校別の学力を競わせる一種のレースで、学校や地方によっては、点数を底上げしたり、成績の悪い子を当日無理矢理休ませるなど、ただただ、教育現場を荒廃させるものにすぎませんでした。

 はたせるかな、調査の結果は、成績とその都道府県や自治体の一戸当たりの所得とがほぼ比例することを示し、ようするに、教育投資というゼニ・カネの問題に還元されるというものでした。そして敢えていうならば、そんなことは毎年百億近い金をかけて全国一斉にテストをしなくとも、ちょっと想像力を働かすならば誰にでも分かることなのです。
 そこで現れた結果が現場を締め付け、「学力調査に向けた教育」という本末転倒の結果すら生み出し、教育現場をいっそう混乱させるものでした。

 

 瀬見井君もちろんそれらを予見して参加しなかったのですが、彼の功績はそうしたマスコミが取り上げやすいセンセーショナルな事柄にあったばかりではなく、もっと地味な、本当に子供に向き合った教育の場を築き上げたことにあったのです。
 そのひとつは、少人数学級の実現でした。一クラス30人ほどをめどにそれらは進められ、学童と教師の触れ合いの機会を多くしました。
 また、国の学習指導要綱では不十分な点を副教本の作成で補うなどの試みが実施されました。
 さらには、一方的な暗記授業から脱却するために、「自ら学ぶ力」を付ける学習や、子供たちが教え合う「学び合い」の授業を押し進めてきました。

 そうした、マスコミではほとんど取り上げられなかった地味な努力があったればこそ、教育現場に不正や荒廃をもたらす「学力調査」という名のドッグ・レースへの参加を拒否したのでした。
 しかしそれは、子供たちの方ではなく県教委や文科省の顔色ばかり窺う連中には忌避され、彼も苦戦を強いられてきました。
 ネットなどでも内実を知らない連中の、無責任な悪口雑言が飛び交ったりもしました。
 しかし、それも過去のことです。

 

 冒頭に、その辞任を「彼の教育への情熱と理念が堂々と認められた結果の凱旋」と書きました。
 そうなのです。
 彼の真摯な主張がついに認められて、文科省も全国一斉のそれを「無駄な事業投資」と認定し、来年度からの学力調査を、その本来の目的に即して「抽出調査」にすることを内定しました。
 これにより、上に述べた過当競争や、それが引き起こす不正やインチキが防げ、その上毎年、数十億円の無駄な出費が削減されるのです。

 瀬見井君の努力の結果は、今、上のような形で全国規模で結実しようとしています。
 しかし、本当の彼の成果は、目隠しをされた上でむち打たれて駆け出すような無機的な教育ではなく、自分たちで学ぶ力を付けるという犬山方式の教育で育った子供たちの中にこそ実を結ぶのではないかと思います。

 瀬見井君、本当に御苦労さんでした。
 しばらくはゆっくりお休み下さい。
 


コメント (15)
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