病院へ行きました。いつもは診察前に体重を量ります。
しかし、久々に身長も測ることになりました。
そんなもの改めて測らなくとも、ちゃんと記憶しているのにと思ったわけです。
体重の増減はもちろんありますが、身長にはそんなものはないはずです。
しかしです、しかし、その計測結果は私の記憶と違っていたのです。
しかも3センチも!もちろんダウンです!
私の記憶が違っているわけではありません。
身長の伸びが止まって以来、何十年にわたり何度も測ってきて、いつもその結果だったのですから。
私の身長は、小学生時代は小さかったようですが、中学、高校ではクラスで五番目以内を維持していました。高校へ入学した折りは、バスケット部から勧誘をされ、当時、岐阜の市民センターで見たハーレム・グローブトロッターズのトリッキーなプレイに魅せられた私は、実際にバスケット部に入部したのです。
ただし、自分にスポーツの才能はないと悟って一年で辞めたのですが・・・。
後年、大学の体育の授業でバスケットを選択し、実技試験でフリースローが五発五中、ランニングスローも五発五中で「優」をもらいました(もちろん、マグレです)。それを見ていたバスケット部の人から、また勧誘を受けたのですが今度は入りませんでした。
運動は運動でも、別の運動にかまけていたことは知る人ぞ知るです。
もっともこれらの話は、半世紀以上前のことで、数年前に読んだ新聞記事では、当時の高校生の平均身長と、その折りの私の身長とがほぼ同じでした。
ところで、以前に身長を測ったのは何年ぐらい前か思い起こしてみました。
多分、三年ぐらい前です。
ということは、一年間に一センチの割合で減ったことになります。
もしそうなら、あと一〇年生きたらさらに一〇センチ減ることになります。
そして、あと百何十年ほど生きたら、私はすり減ってなくなってしまうわけです。
年を経ると身長が減ることを知らなかったわけではありません。
父や母の晩年には、この人たちはもっと大きかったはずなのにと思ったものです。
そして、それは心理的なものではなく、実際に小さくなっていることにも気付いていたはずです。
にもかかわらず、うかつにもそれが自分にも生じることだということに思いを致さなかったのです。
さて、身長が減るということは、実際にはどんな結果をもたらすのでしょうか。
若い連中に見上げてものを言わなければならなかったりしますね。
それと、自分の視線が今までより下がることによって世界が違って見えるかも知れませんね。
キリンの視野とミミズの視野は、そしてそれらの世界像は違うはずです。
ヒールの高い靴を履いた方がいいでしょうか?
昨年、芥川賞をとった川上未映子さんは、いつも高いヒールの靴を履くといっていました。
あ、また話が逸れました。
ちょっと心配なのは、私を前から見知っている人と会った折り、私が挨拶をしても無視されるのではないかということです。
私の実像をご存じのみなさん、どうか私の身長が一年に一センチずつ減っていることを念頭に置いていただいて、あなたの傍らを通りかかったあまり身長のない男が挨拶など致しました折りにも、物貰いやたかりの類と間違えて交番に突き出したりしないようにお願い致します。
あまり歩き回ると減るのが早いのかなあ。
いや、やはり脊椎の問題だろうなあ。
一昔前に流行ったぶら下がり健康器って今もあるのかなあ。
いずれにしても這いずり回って生きてきたようなものだから、まあ、いいかっ。
*写真は気まぐれに載せたもので本文とはまったく関係ありません。
しかし、久々に身長も測ることになりました。
そんなもの改めて測らなくとも、ちゃんと記憶しているのにと思ったわけです。
体重の増減はもちろんありますが、身長にはそんなものはないはずです。
しかしです、しかし、その計測結果は私の記憶と違っていたのです。
しかも3センチも!もちろんダウンです!
私の記憶が違っているわけではありません。
身長の伸びが止まって以来、何十年にわたり何度も測ってきて、いつもその結果だったのですから。
私の身長は、小学生時代は小さかったようですが、中学、高校ではクラスで五番目以内を維持していました。高校へ入学した折りは、バスケット部から勧誘をされ、当時、岐阜の市民センターで見たハーレム・グローブトロッターズのトリッキーなプレイに魅せられた私は、実際にバスケット部に入部したのです。
ただし、自分にスポーツの才能はないと悟って一年で辞めたのですが・・・。
後年、大学の体育の授業でバスケットを選択し、実技試験でフリースローが五発五中、ランニングスローも五発五中で「優」をもらいました(もちろん、マグレです)。それを見ていたバスケット部の人から、また勧誘を受けたのですが今度は入りませんでした。
運動は運動でも、別の運動にかまけていたことは知る人ぞ知るです。
もっともこれらの話は、半世紀以上前のことで、数年前に読んだ新聞記事では、当時の高校生の平均身長と、その折りの私の身長とがほぼ同じでした。
ところで、以前に身長を測ったのは何年ぐらい前か思い起こしてみました。
多分、三年ぐらい前です。
ということは、一年間に一センチの割合で減ったことになります。
もしそうなら、あと一〇年生きたらさらに一〇センチ減ることになります。
そして、あと百何十年ほど生きたら、私はすり減ってなくなってしまうわけです。
年を経ると身長が減ることを知らなかったわけではありません。
父や母の晩年には、この人たちはもっと大きかったはずなのにと思ったものです。
そして、それは心理的なものではなく、実際に小さくなっていることにも気付いていたはずです。
にもかかわらず、うかつにもそれが自分にも生じることだということに思いを致さなかったのです。
さて、身長が減るということは、実際にはどんな結果をもたらすのでしょうか。
若い連中に見上げてものを言わなければならなかったりしますね。
それと、自分の視線が今までより下がることによって世界が違って見えるかも知れませんね。
キリンの視野とミミズの視野は、そしてそれらの世界像は違うはずです。
ヒールの高い靴を履いた方がいいでしょうか?
昨年、芥川賞をとった川上未映子さんは、いつも高いヒールの靴を履くといっていました。
あ、また話が逸れました。
ちょっと心配なのは、私を前から見知っている人と会った折り、私が挨拶をしても無視されるのではないかということです。
私の実像をご存じのみなさん、どうか私の身長が一年に一センチずつ減っていることを念頭に置いていただいて、あなたの傍らを通りかかったあまり身長のない男が挨拶など致しました折りにも、物貰いやたかりの類と間違えて交番に突き出したりしないようにお願い致します。
あまり歩き回ると減るのが早いのかなあ。
いや、やはり脊椎の問題だろうなあ。
一昔前に流行ったぶら下がり健康器って今もあるのかなあ。
いずれにしても這いずり回って生きてきたようなものだから、まあ、いいかっ。
*写真は気まぐれに載せたもので本文とはまったく関係ありません。