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【老化防止対策】ある若いひととの対話

2011-08-18 03:12:00 | 現代思想
 以下はタイトルに記したとおり、ネットで知り合った若い方とのやり取りの過程で、私が書いたものを抜き書き的に書き出したものです。
 この方の了承を受けていませんので、前後は省略させて頂きます。
 こういうやりとりは私にとってもとても勉強になり、刺激をうけるものです。

        

 <以下本文>おっしゃるようにR・ローティはプラグマティストの系統に属しますが、なぜ私がそれを援用するかというと、「プラグマティストには正義や真理の基準がない」というそれへの批判自身が持っているある種の危険性を感じるからです。

 ご存知のように、20世紀は革命と戦争の歴史であり、その中で多くの人命が奪われ、多くの悲惨があらわになりました。その最たるものがナチズムやスターリニズムなどの全体主義であり、戦前の日本もまたそれへの傾斜をもっていました。

 そうした立場を思想的に総括すると、その背後には、「世界には唯一の正義、唯一の真理があり、それは我が方にある」という信念があり、さらには、「そうした正義や真理を実現するためには、自他共に生命を厭わず」、つまりそのためには人を殺してもいいし、自分が死してもいいという論理に行き着きます。
 あらゆる戦争、あらゆる独裁や抑圧はこうした論理のうちで行われました。

 こうした、「世界には唯一の真理や正義があり」その必然性のうちに世界は動いているという立場を、哲学的には一般に「形而上学」といいます。
 こうした形而上学への批判は20世紀後半から様々な形で展開されてきて、いわゆるポストモダンと言われる思潮はその流れにあるといえます。その意味では、ローティのプラグマティズムもそうした反=形而上学、ポストモダンのひとつの流れといえます。

 ローティの場合は、「残酷さと苦痛の減少」をひとつの起点にし、「われわれ」と「かれら」という差異の境界を曖昧にし、緩やかな連帯を生み出してゆくというのがその戦略のようです。
 そしてそれが、 《「照応(correspondence)」の明滅する空間的対話 》という〇〇さんのおしゃる語彙に私が反応しコメントさせていただいた理由です。

 ローティを絶対視しているわけではありません。ほかにその分野に切り込んだ人として、ハンナ・アーレントというひとにも興味をもっています。

 なお、「世界には唯一の真理、唯一の正義があり、それは我が方にある。したがってその実現のためには、自他ともに生死を厭わず」という思考の幾分カリカチュライズされたものとして、「連合赤軍事件」や「オウム真理教」をあげることが出来るかも知れません。


 

コメント (1)
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