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小野田さんの死去とこの国の棄民の歴史について

2014-01-17 15:07:36 | 歴史を考える
 ルパング島から帰還した小野田少尉が亡くなったという。
 右翼的な妻の影響で自分自身が大変な目にあった過去の戦争や、そこで行われた諸外国への残虐行為を肯定するかのような発言をして晩節を汚したのは残念だが、ただ、彼がなめた29年の辛酸の年月を考えると、彼を責めるのは酷かもしれない。

 むしろ問題なのは、戦中戦後を通じて、日本国が諸外国に対してと同様、日本人をもないがしろにしてきた事実が問い直されねばならない。
 小野田氏に先立つグアムの横井氏(小野田氏の前年に帰国)などなど、戦後何十年の歳月、彼らは劣悪な条件に放置された。
 そして、彼らは国家の手によってというより、もっぱら民間の努力によって探し当てられたのだった。

        
                 小野田さんと横井さん
 
 南方のみではない。
 中国大陸では、時の関東軍は満蒙開拓団などの民間人を放置したまま、自分たちだけがさっさと撤退し引き上げてしまった。そのために、いわゆる中国残留孤児が大量に発生した。
 
 また、山西省では、将校が自分の軍隊の兵士を国民党軍に売り渡し、それと引き換えに自分たちのみがさっさと帰国してしまった。そのため、残された兵士たちは「勝手な戦線離脱」とみなされ、戦後補償から取り残されたという事実がある。この経緯を描いたドキュメンタリー映画に『蟻の兵隊』がある。

 外地ばかりではない。唯一の地上戦となった沖縄では、撤退する軍が、情報が漏れるからと一般住民を殺戮したという痛ましい事実もある。
 その沖縄は今も基地に苦しんでいるのだが、その是非を問う名護市の選挙にあたり、石破自民党幹事長は16日、現地入りをし、500億円の振興資金をちらつかせ、名護市を買い取る意志を示した。なんとも露骨な利益供与の選挙違反ではないか。

 話はそれたが、先の戦争での棄民は、戦闘行為の中での玉砕にも現れている。この根幹にある「戦陣訓・八」の、「生きて虜囚の辱めを受けるなかれ」は、敗走か投降をすれば助かった多くの兵士の命を無為に殺すことになった。その数は数十万人にものぼる。
 その極めつけが「特攻」である。人間を武器弾薬の類として扱い、「死んでこい」というわけだ。もはやこれは、通常の戦術のうちではない。これにより、6,000余の生命が奪われている。

 かくして、先の大戦における「お国のために」は、決して「日本人のために」を意味することはなく、もっぱら抽象物である国体=皇国のために、日本人にも死を強要し、あるいは弊履のごとく棄民することだったのである。
 
 こうして小野田少尉の訃報に接すると、ビルマ(現ミャンマー)のジャングルで無念の死を遂げた実父や、ソ満国境で九死に一生を経験し、そのままシベリアへ連れて行かれて悲惨な数年を過ごし、ボロボロになって帰国した養父の事どもが去来する。

 国家は戦争をする。しかしそれは国民のためではない。一人ひとりの国民からは遊離した国益や体制のためであることが多い。
 安倍氏がいう「積極的外交」というスローガンはきな臭い。
 いざとなったら軍事力の動員をもちらつかせてコワモテをする外交という意味を含んでいるような気もする。
 先の靖国参拝が、そのための戦勝祈願でなければよいのだが。

 なにはともあれ、小野田さんの御霊に 合掌。








コメント (4)
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