私が棲息している二階の窓越しに一本の柾(マサキ)の樹がある。
この樹が今年も新年度を迎えた。
なぜ新年度などという言い方をするかというと、もちろんそれには訳がある。
この柾、いわゆる常緑樹である。
ようするに一年中緑の葉をつけている。
しかし、何年も同じ葉をつけているわけではない。
葉の寿命は一年であるが、その交代を実に巧みに行うので、通りがかりの視線では、あたかも何年も同じ葉をつけているようにみえることだろう。
ちょうどその交代が一年のうちでこの時期に当たる。
具体的にいうと、3月の初め、各地で卒業式が行われる頃から去年の葉が散り始める。
それとほとんど同時に新しい幼葉がつき始め、次第に成長する。
そしてこの4月の初め、新学期の頃にほぼその交代が終わる。
これを称して「柾の新年度」という次第である。
ご覧のようにこの柾は葉に白い文様などがある斑入りではなく、もっとも単純なものであるが、その新葉が実に鮮やかで美しい。
PCいじりや読書に疲れて目を上げるたびに、この柔らかい緑が私の目を潤す。
「小さは至福」などとつぶやいて一人で悦に入っている。
新葉のお出ましで嬉しいのは、それとともに小さくて目立たないが、可愛い花のつぼみが現れることだ。やがて5月から6月になると、慎ましやかで目立たないけれど、実に可憐な黄緑色の花を付ける。
人の視線には小さく目立たないが、小動物たちにはけっこう人気があって、開花の時期には蜂や蝶(モンシロやアゲハ、ツマグロヒョウモンなど)がひっきりなしにやってくる。
下の方の黄色い葉が昨年度の葉
これはその落葉したもの お疲れさん
この小さな花、一丁前に秋には結実し、当初は地味な色だが熟すに従って表皮が裂開し、赤い数ミリの実が点在することとなる。
すると今度は、鳥たちの出番である。雀やキジバト、ムクドリやヒヨドリもやってくる。
そういえば去年は、秋口にキジバトがこの樹に巣をかけたのだった。
雛の巣立ちと台風の襲来とが重なりそうでずいぶん気を揉んだが、どうやら二羽の雛は無事に巣立ったのだった。
小さくポツポツ見えるのが花の蕾
どうということはない一本の樹だが、それなりの物語を醸し出していて、私の視界には不可欠なものである。
樹齢としてはもう40年以上になると思うのが、それらしい手入れもしないままこれまできた。今後はどうであろうか。
ここまで書いて、不意に笑いがこみ上げてきた。
相手の樹齢を気にするまでもなく、私自身がもうじゅうぶん老いているのだ。
これは通行の邪魔でやがて払わねばならない しばし留めおく
でも、周りのちょっとした自然が、慰めてくれるのは嬉しいものがある。
それは同時に、こちらにそれを受容する能力がまだ残っている証だからだ。
柾よ、お互い今年度もがんばろうではないか。
そしてこの年度も、四季折々の物語を見せておくれ。
この樹が今年も新年度を迎えた。
なぜ新年度などという言い方をするかというと、もちろんそれには訳がある。
この柾、いわゆる常緑樹である。
ようするに一年中緑の葉をつけている。
しかし、何年も同じ葉をつけているわけではない。
葉の寿命は一年であるが、その交代を実に巧みに行うので、通りがかりの視線では、あたかも何年も同じ葉をつけているようにみえることだろう。
ちょうどその交代が一年のうちでこの時期に当たる。
具体的にいうと、3月の初め、各地で卒業式が行われる頃から去年の葉が散り始める。
それとほとんど同時に新しい幼葉がつき始め、次第に成長する。
そしてこの4月の初め、新学期の頃にほぼその交代が終わる。
これを称して「柾の新年度」という次第である。
ご覧のようにこの柾は葉に白い文様などがある斑入りではなく、もっとも単純なものであるが、その新葉が実に鮮やかで美しい。
PCいじりや読書に疲れて目を上げるたびに、この柔らかい緑が私の目を潤す。
「小さは至福」などとつぶやいて一人で悦に入っている。
新葉のお出ましで嬉しいのは、それとともに小さくて目立たないが、可愛い花のつぼみが現れることだ。やがて5月から6月になると、慎ましやかで目立たないけれど、実に可憐な黄緑色の花を付ける。
人の視線には小さく目立たないが、小動物たちにはけっこう人気があって、開花の時期には蜂や蝶(モンシロやアゲハ、ツマグロヒョウモンなど)がひっきりなしにやってくる。
下の方の黄色い葉が昨年度の葉
これはその落葉したもの お疲れさん
この小さな花、一丁前に秋には結実し、当初は地味な色だが熟すに従って表皮が裂開し、赤い数ミリの実が点在することとなる。
すると今度は、鳥たちの出番である。雀やキジバト、ムクドリやヒヨドリもやってくる。
そういえば去年は、秋口にキジバトがこの樹に巣をかけたのだった。
雛の巣立ちと台風の襲来とが重なりそうでずいぶん気を揉んだが、どうやら二羽の雛は無事に巣立ったのだった。
小さくポツポツ見えるのが花の蕾
どうということはない一本の樹だが、それなりの物語を醸し出していて、私の視界には不可欠なものである。
樹齢としてはもう40年以上になると思うのが、それらしい手入れもしないままこれまできた。今後はどうであろうか。
ここまで書いて、不意に笑いがこみ上げてきた。
相手の樹齢を気にするまでもなく、私自身がもうじゅうぶん老いているのだ。
これは通行の邪魔でやがて払わねばならない しばし留めおく
でも、周りのちょっとした自然が、慰めてくれるのは嬉しいものがある。
それは同時に、こちらにそれを受容する能力がまだ残っている証だからだ。
柾よ、お互い今年度もがんばろうではないか。
そしてこの年度も、四季折々の物語を見せておくれ。