24日から25日にかけて、この地方ではほぼ24時間、雨が降り続いた。
そう、名古屋駅で地下鉄が水浸しになった時のことだ。
時折激しい降りもあり、累計の雨量はかなりのものになったが、災害に至る程度ではなかったと認識している。
名古屋地下鉄のアクシデントも、雨の量もさることながら、隣接するビル工事現場の排水溝のトラブルという人為的なミスであることがほぼ判明している。
ところがである、名古屋と同じ程度の降りだった私の地方で、というより私の目の前で、とんでもない被害をもたらしたのである。それがここに掲げた一連の写真である。
私の居住する二階の窓から見下ろせる田んぼ(2反ないし1反半)のほぼ3割から4割の稲が、無残にも倒壊してしまったのだ。
これをご覧になると、さぞかし強風が吹き荒れたのではと思われるだろう。
しかしそれはなかった。上記のように雨は降り続いたが、ほとんど風を感じたことはなかった。ようするに、稲を物理的に強制して押し倒すような上方や横からの力は加わらなかったといっていいのだ。
それと奇妙なのは、「スワッ、これは」と思って他の田んぼをひととおり見て回ったが、私が歩きまわった範囲では倒壊はここだけの現象なのだ。
とすれば謎を解く鍵はこの田んぼ、ないしはここでの稲の育て方に限定されることになる。そして、それに心当りがないわけではない。
ひとつにはここで使われている農機具が、ある程度機械化されているとはいうものの、他の田のものとは格段に違って旧式のものであるということである。
これは農機具メーカーに勤務するネットで旧知の友人が驚く程のものである。
しかし、そのせいではないと思う。なぜなら、私はこの田をもう何十年とウオッチしているのだが、こんなことは、ましてやこの田だけというのは初めてのことなのだ。
もうひとつ心当たりがあるとすると、この田が、いわゆる有機農法に近いものを採用していて、土壌を入れ替えたり、下肥を鋤きこんだりしているしているのを目撃していることである。しかし、有機農法によって稲株が弱体化して倒壊するという話はとくに聞いたことがない。
ただし、これはいえる。昔は台風シーズンなど、よく稲の倒壊を目撃したものだが、最近はそれはほとんどない。何か稲株を強化する技術が開発されていて、この田の主はそれを怠ったのだろうか。
いずれにしても気がかりなのはこの稲の行く手である。ひとつはもう立ち上がることはできないのかどうかである。一日以上経った現在、その気配なあまりない。
もうひとつは、倒壊したままで、平均的にいってあと2週間ほどの稲刈りまでの間に、実を熟成させることができるかどうかである。
私は1944年から1950年まで、母方の実家に疎開児として身を寄せながら、おぼつかないままに田植えや稲刈りなど農作業を手伝ったことがある。それだけに田を見る目もどうしても農家に寄り添ったものになる。
だから、心のうちで「稲よ、立ち上がれ」と叫んでいるのだが、自然の掟は厳しいようだ。
この田が、所定の収穫はともかく、最低限の減収で済むことを祈りたい。
そう、名古屋駅で地下鉄が水浸しになった時のことだ。
時折激しい降りもあり、累計の雨量はかなりのものになったが、災害に至る程度ではなかったと認識している。
名古屋地下鉄のアクシデントも、雨の量もさることながら、隣接するビル工事現場の排水溝のトラブルという人為的なミスであることがほぼ判明している。
ところがである、名古屋と同じ程度の降りだった私の地方で、というより私の目の前で、とんでもない被害をもたらしたのである。それがここに掲げた一連の写真である。
私の居住する二階の窓から見下ろせる田んぼ(2反ないし1反半)のほぼ3割から4割の稲が、無残にも倒壊してしまったのだ。
これをご覧になると、さぞかし強風が吹き荒れたのではと思われるだろう。
しかしそれはなかった。上記のように雨は降り続いたが、ほとんど風を感じたことはなかった。ようするに、稲を物理的に強制して押し倒すような上方や横からの力は加わらなかったといっていいのだ。
それと奇妙なのは、「スワッ、これは」と思って他の田んぼをひととおり見て回ったが、私が歩きまわった範囲では倒壊はここだけの現象なのだ。
とすれば謎を解く鍵はこの田んぼ、ないしはここでの稲の育て方に限定されることになる。そして、それに心当りがないわけではない。
ひとつにはここで使われている農機具が、ある程度機械化されているとはいうものの、他の田のものとは格段に違って旧式のものであるということである。
これは農機具メーカーに勤務するネットで旧知の友人が驚く程のものである。
しかし、そのせいではないと思う。なぜなら、私はこの田をもう何十年とウオッチしているのだが、こんなことは、ましてやこの田だけというのは初めてのことなのだ。
もうひとつ心当たりがあるとすると、この田が、いわゆる有機農法に近いものを採用していて、土壌を入れ替えたり、下肥を鋤きこんだりしているしているのを目撃していることである。しかし、有機農法によって稲株が弱体化して倒壊するという話はとくに聞いたことがない。
ただし、これはいえる。昔は台風シーズンなど、よく稲の倒壊を目撃したものだが、最近はそれはほとんどない。何か稲株を強化する技術が開発されていて、この田の主はそれを怠ったのだろうか。
いずれにしても気がかりなのはこの稲の行く手である。ひとつはもう立ち上がることはできないのかどうかである。一日以上経った現在、その気配なあまりない。
もうひとつは、倒壊したままで、平均的にいってあと2週間ほどの稲刈りまでの間に、実を熟成させることができるかどうかである。
私は1944年から1950年まで、母方の実家に疎開児として身を寄せながら、おぼつかないままに田植えや稲刈りなど農作業を手伝ったことがある。それだけに田を見る目もどうしても農家に寄り添ったものになる。
だから、心のうちで「稲よ、立ち上がれ」と叫んでいるのだが、自然の掟は厳しいようだ。
この田が、所定の収穫はともかく、最低限の減収で済むことを祈りたい。