ここんところ、さすがに朝夕涼しくなってきたのはありがたいのだが、連日、一日に一回、日によっては二回ほど激しい雨がやってくる。
今はもう夜半だが、閃光とともに雷鳴が轟き、車軸を流すような雨が降りだした。午後にも一度そうした降りがあったので今日は二回めだ。
降雨のメリットは、それによってぐんと涼しくなるのと、庭木に水をやるの手間が省けることだ。これは重なる雑用でやや忙しい私にとっては、とても助かる。
それと、私にいわせれば、理不尽にとられているある経費が助かる。
それは下水道料金である。
わが家は井戸水を用いている。夏は冷たく、冬は温かく快適である。
その上、水道料金はかからない。
しかしだ、下水道の料金はしっかりとられている。
それは、井戸用のポンプの傍らに取り付けられたメータで計算される仕組みとなっている。

しかしである。
この猛暑の中、私が連日庭の草木にやる水の量はかなりのものになり、場合によっては、一日の水の使用量の何十%かを占めるのだが、それらは庭の土壌に吸収されるのであって、下水道のお世話になるわけではない。
ある日それにはたと気付き、水道局にかけあってみた。
「庭の草木にやる分は下水道料金から除外してもらえないか」と私。
「しかし、用途別に計量できるメーターなどは不可能ですから」と水道局。
さらに追い打ちがかかる。
「水道を利用して庭木に水をおやりになっていらっしゃるご家庭では、その分の水道料金はもちろん、下水道料金もお支払いいただいています」
敵もさるもの引っ掻くものだ。
で、究極のクレーマーにはなりきれない私はこの段階で敗北宣言。
だからして、ここ数日のように降雨があり、庭木への水やりが不要なのはとても助かるのだ。
しかしである。この連日の一時的とはいえ激しい降雨はもう一つの不安の種なのだ。

それは、ここ一〇日ほど前から、庭のマサキの枝にキジバトが巣をかけて産卵し、連日、親バトが抱卵している最中だということだ。
ひなの孵化も近いと思われる。
この激しい雨のなか、身じろぎもせずにいる親鳥が不憫でならないのだ。
人間と違って、滅多なことでは育児放棄はしないと思うのだが、それでも時折の激しい雨はとても心配だ。
今日はまた、一段と強い降雨の時間が長い。
こんな状況下、ひなは無事、孵化し、巣立つだろうか。
親鳥は大丈夫だろうか。
そんなことを考えると、「世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」(在原業平)ではないが、「わが庭ににたえて鳩の巣のなかりせば 秋の驟雨ものどけからまし」なのである。
こんなことを書いているうちに、幸い、雨の勢いは弱まってきたようだ。
《続報》朝一で巣を見ると、ちゃんと親鳥が身じろぎもせず頑張っている。あの篠突く雨のなか、よく頑張ったものだ。
今はもう夜半だが、閃光とともに雷鳴が轟き、車軸を流すような雨が降りだした。午後にも一度そうした降りがあったので今日は二回めだ。
降雨のメリットは、それによってぐんと涼しくなるのと、庭木に水をやるの手間が省けることだ。これは重なる雑用でやや忙しい私にとっては、とても助かる。
それと、私にいわせれば、理不尽にとられているある経費が助かる。
それは下水道料金である。
わが家は井戸水を用いている。夏は冷たく、冬は温かく快適である。
その上、水道料金はかからない。
しかしだ、下水道の料金はしっかりとられている。
それは、井戸用のポンプの傍らに取り付けられたメータで計算される仕組みとなっている。

しかしである。
この猛暑の中、私が連日庭の草木にやる水の量はかなりのものになり、場合によっては、一日の水の使用量の何十%かを占めるのだが、それらは庭の土壌に吸収されるのであって、下水道のお世話になるわけではない。
ある日それにはたと気付き、水道局にかけあってみた。
「庭の草木にやる分は下水道料金から除外してもらえないか」と私。
「しかし、用途別に計量できるメーターなどは不可能ですから」と水道局。
さらに追い打ちがかかる。
「水道を利用して庭木に水をおやりになっていらっしゃるご家庭では、その分の水道料金はもちろん、下水道料金もお支払いいただいています」
敵もさるもの引っ掻くものだ。
で、究極のクレーマーにはなりきれない私はこの段階で敗北宣言。
だからして、ここ数日のように降雨があり、庭木への水やりが不要なのはとても助かるのだ。
しかしである。この連日の一時的とはいえ激しい降雨はもう一つの不安の種なのだ。

それは、ここ一〇日ほど前から、庭のマサキの枝にキジバトが巣をかけて産卵し、連日、親バトが抱卵している最中だということだ。
ひなの孵化も近いと思われる。
この激しい雨のなか、身じろぎもせずにいる親鳥が不憫でならないのだ。
人間と違って、滅多なことでは育児放棄はしないと思うのだが、それでも時折の激しい雨はとても心配だ。
今日はまた、一段と強い降雨の時間が長い。
こんな状況下、ひなは無事、孵化し、巣立つだろうか。
親鳥は大丈夫だろうか。
そんなことを考えると、「世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」(在原業平)ではないが、「わが庭ににたえて鳩の巣のなかりせば 秋の驟雨ものどけからまし」なのである。
こんなことを書いているうちに、幸い、雨の勢いは弱まってきたようだ。
《続報》朝一で巣を見ると、ちゃんと親鳥が身じろぎもせず頑張っている。あの篠突く雨のなか、よく頑張ったものだ。