五月の末、高校時代からの友人一人を亡くしたことはここにも書いた。
15歳の時からの友人だから63年の付き合いということになる。
以下はその息子たち二人に宛てたメールである。
二人共彼の自慢の息子で、彼はその二人をそれぞれイギリスとフランスに海外留学させ、そのうちの一人は、エネルギーや環境関連の研究調査機関にいて、もうひとりはフランスを拠点にした写真家である。
この二人は、親父の最後をよく看取ったと思う。
メールの内容はたわいないもので、残されたもう一人の友人・H氏と私とが、亡くなった彼と飲み歩いた足跡を辿ったというだけの報告である。ようするに、ていよく彼を肴にして飲んだというだけのことである。
言い訳はともかく、出したメールは以下のようなものである。
=====================================
親父殿は、惜しいことをしました。
ただし、あなた達二人が最後までよく看てやったこともあって、満足して旅立った
ことと思います。
通夜や葬儀の際には、家族葬のところ押しかけてたいへんお世話になりました。
その後のH氏と私の件につき若干の報告を致します。
通夜の際、彼の遺言でその枕辺で飲んだ彼愛飲の酒、哀しくも美味かったです。
つい最近、同じものを近所のスーパーで見かけ、5 缶あったすべてを買い、そのう
ち2缶はH氏におすそ分けをしました。

7月4日には、かねてよりH氏と示し合わせていましたように、親父殿と飲み歩いた
足取りを辿って、居酒屋一軒とカラオケスナックとに参りました。
どこも親父殿のことを憶えていて、その死を悼んでくれました。
盃はちゃんと三つ用意して、彼への献杯といたしました。
カラオケスナックでは、親父殿がよく歌っていた歌をと思ったのですが、彼は割合
もって回ったような曲を歌っていましたので、H氏や私には難しく、まあ同時代の歌
謡曲といったところでお茶を濁してきました。
といったようなことで、親父殿を肴にした私たちの飲み歩きといったところでした
が、それでも、あいつこのカウンターであんなこと言ってやがったなどという思い出
が断片的によぎるなど、しんみりした場面もありました。全体的にいって、賑わし役
の親父殿のいない寂しさは覆いようもなかったことは事実です。
私たちも、いつまでこんなふうに過ごせるかは定かではありませんが、可能な限り
こんな機会をもとうといいあってH氏とは別れました。

自慢の息子のあなた達が、それぞれの分野で活躍されること、それが親父殿への、
そして、先に逝かれた母御殿への孝行であろうと言わずもがなのことを言い添え、他
愛もないことで申し訳ありませんが、私たちの近況の報告と致します。
H氏もよろしくいっていました。
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*私は、このイラストのような好々爺ではありません。
15歳の時からの友人だから63年の付き合いということになる。
以下はその息子たち二人に宛てたメールである。
二人共彼の自慢の息子で、彼はその二人をそれぞれイギリスとフランスに海外留学させ、そのうちの一人は、エネルギーや環境関連の研究調査機関にいて、もうひとりはフランスを拠点にした写真家である。
この二人は、親父の最後をよく看取ったと思う。
メールの内容はたわいないもので、残されたもう一人の友人・H氏と私とが、亡くなった彼と飲み歩いた足跡を辿ったというだけの報告である。ようするに、ていよく彼を肴にして飲んだというだけのことである。
言い訳はともかく、出したメールは以下のようなものである。
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親父殿は、惜しいことをしました。
ただし、あなた達二人が最後までよく看てやったこともあって、満足して旅立った
ことと思います。
通夜や葬儀の際には、家族葬のところ押しかけてたいへんお世話になりました。
その後のH氏と私の件につき若干の報告を致します。
通夜の際、彼の遺言でその枕辺で飲んだ彼愛飲の酒、哀しくも美味かったです。
つい最近、同じものを近所のスーパーで見かけ、5 缶あったすべてを買い、そのう
ち2缶はH氏におすそ分けをしました。

7月4日には、かねてよりH氏と示し合わせていましたように、親父殿と飲み歩いた
足取りを辿って、居酒屋一軒とカラオケスナックとに参りました。
どこも親父殿のことを憶えていて、その死を悼んでくれました。
盃はちゃんと三つ用意して、彼への献杯といたしました。
カラオケスナックでは、親父殿がよく歌っていた歌をと思ったのですが、彼は割合
もって回ったような曲を歌っていましたので、H氏や私には難しく、まあ同時代の歌
謡曲といったところでお茶を濁してきました。
といったようなことで、親父殿を肴にした私たちの飲み歩きといったところでした
が、それでも、あいつこのカウンターであんなこと言ってやがったなどという思い出
が断片的によぎるなど、しんみりした場面もありました。全体的にいって、賑わし役
の親父殿のいない寂しさは覆いようもなかったことは事実です。
私たちも、いつまでこんなふうに過ごせるかは定かではありませんが、可能な限り
こんな機会をもとうといいあってH氏とは別れました。

自慢の息子のあなた達が、それぞれの分野で活躍されること、それが親父殿への、
そして、先に逝かれた母御殿への孝行であろうと言わずもがなのことを言い添え、他
愛もないことで申し訳ありませんが、私たちの近況の報告と致します。
H氏もよろしくいっていました。
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*私は、このイラストのような好々爺ではありません。