2016年にはオックスフォードの「ワード・オブ・ザ・イヤー」(今年の言葉)には「ポスト真実」が選ばれました。ようするに「嘘」が選ばれたのです。なぜでしょうか。
この頃、イギリスのEU離脱=ブレクジット、トランプの当選、そして日本での安倍の森友加計問題など、嘘をついている側が勝利をおさめるという事態が続いたのです。
ただし、この表現が、単に「嘘」ではなくて「ポスト真実」になっていることに注目すべきでしょう。ここには、客観的事実を捻じ曲げるという従来の嘘からさらに進んで、「オルタナティブ・トゥルース=もうひとつの真実」といった積極的な嘘がまかり通るようになった事情が反映されています。
これを、早くも前世紀の中頃に指摘したのがハンナ・アーレントでした。彼女は、不都合な事実を隠蔽しようとする「伝統的な嘘」と現実世界に代わる虚構の世界を作り出そうとする「現代的嘘」との識別を指摘しました。彼女はそれらを、ナチズムやスターリニズムの全体主義の分析を通じて抽出したのですが、この後者の危険性がいま一般化しつつあることを、先のオックスフォードの「ワード・オブ・ザ・イヤー」は指摘しているのです。
面白いことに、アーレントは政治においての一定の嘘は多かれ少なかれついてまわるもので、それは布地にちょっとした穴をあけるようなものだと言っています。
そればかりか、嘘の積極的な効用すら語っているのです。
その一つは、アメリカの独立宣言です。
「我々は、以下の真理を自明のこととする。すなわち、すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」
いまひとつは、キング牧師の「I have a dream=私には夢がある」です。
「私には夢がある。それは、いつの日か、この国が立ち上がり、「すべての人間は平等に作られているということは、自明の真実であると考える」というこの国の信条を、真の意味で実現させるという夢である。・・・・・・・・」
これらは、現実にはそうではないという意味で「嘘」です。しかし、この現実を抜け出てこうなりたい! こうなろう! と訴えることには極めて積極的な「真実への接近」の願望を語ったものです。
ようするに、その記述によって現実を変えていく行為遂行的な文章であり、将来実現されるべき状態の先取りであり、われわれが未来に向かって進むべき方向の指示なのです。
これは、アーレントの「活動」という言葉、それによって何か新しいことを始める営み、創始する、始めると言う意味、他者との共同行為によって何かそれまでになかったものを生み出し、予想できなかった方向へ物事が動き始め、それによって世界に新たな始まりがもたらされる・・・・をよく表しているといえます。
ハンナ・アーレント
これに対して、アーレントが「あってはならない」とする嘘があります。先程、伝統的な嘘は布地に穴をあけるようなものだといいましたが、それに対し、現代的な嘘は事実の織物全体の完全な編み直しとでもいうべきものなのです。
現実的でリアルな世界を否定し、それに代わるフィクション、あるいは別のリアリティーを作り出し、そのイメージのうちに住まおうとするところに現代的な嘘の特徴があります。現実を隠すのではなく、新たな現実を事実を無視して生み出し、そのうちに住めというものです。
だから、これらの嘘をつく人は、それが嘘だと指摘されてもまったく動じません。真実?それは「君たちの世界」での出来事であって、「われわれの方」ではこうのだと居座るばかりです。自分が生み出した虚構の世界こそが現実だと言い張るのです。
これが、居直りだけで済む段階を過ぎ、その虚構の世界のみが許され、それが暴力を伴って押しつけられるようになった場合が全体主義の始まりなのです。
まだ居直りの段階でしょうが、トランプは2017年のみで2,140回の嘘をつきとおし、わが安倍は、森友関連で139回、桜問題では118回の嘘をつき通しました。
しかし、全体主義に至らなくとも、これはとても危険な状況なのです。
まず、嘘の乱用や「ご飯論法」の多用は、対話の不可能、言葉そのものの無効化、コミュニケーション不全を生み出します。
哲学者ハイデガーは、「言葉は存在の住処」といいましたが、それが歪められると言う事は、我々にとっての世界そして我々の存在自体も貧しいものになっていくということなのです。
ここで危機に至るのは、私たちが住まう「共通世界」や「公共性」すなわち「人間の条件」そのものなのです。
人びとは、トランプや安倍のいう「あんな人たち」と「こんな人たち」とに分断化されます。つまり、この両者では、まったく違う世界に住まっているのです。
まとめてみますと、「現代的な嘘つき」たちは現実の方にリアリティーを感じておらず、それに代わる別のリアリティーを作り出し、その虚構の家に住まっていて、そうした人々は複雑で偶然性に満ちた現実の世界よりも、「首尾一貫した虚構の世界」の方に強いリアリティーを感じ、その虚構へと現実を合わせていこうとしています。
それでは、そうした状況を解決するにはどうすべきでしょうか。アーレントは、人びとの活動によって共通世界が再構築され、それを守ってゆくことを強く訴えましたが、それの今日的適用とは何でしょうか。
この書の著者・百木 漠もそれに明確に答えているわけではありませんが、若干の示唆はしています。それは、アーレントのいう「仕事」による産物としての「公共物」あるいは「公共の場」の重要性です。
公共物とは、例えば人びとが共有できる物・事・場などです。例えば、「公文書」などもその一つです。諸外国などでは、それが厳重に保管され、後日、事態の真実が明らかにされることが結構あります。
しかし、この国では、2014年に始まる安倍の官僚支配に伴い、本来公共物である公文書が、為政者の意志に基づき、隠蔽・廃棄・改ざんが行われるという異常な事態に成り果てました。赤木さんの死を賭しての抵抗にも関わらずです。
この再構築がひとつの課題です。事実が事実として記録されるという当たり前のことが復活されねばならないのです。
もうひとつは、複数の人びとの意見(なかには臆見=ドクサも含まれます)が、自由に交換できる「公共の場」の構築です。
前世紀後半、そうした場としてネットが華々しく登場しました。たしかに、そうした機能は一応もったのですが、 同時に、陰謀論に基づくフェイクニュースの蔓延の場と化したり、ヘイトスピーチの乱用をも招きました。また、SNSなどを中心にエコーチェンバー現象とかフィルターバルブ現象(下記にその解説)などが横行し、相互の意見の交換の場としての機能は薄れたといわねばなりません。
こうしたネット上の意見交換の場の修復、再構築等と並行して、それ以外の複数の意見が交換される公共の場の設置も課題になります。
それらは、アーレントがテーブルの比喩で明らかにしたような、「人々を分離しながら、なおかつ人々を結びつける」場所の構築だということになります。
例え、意見や立場が違っても、それが共通の事実(=テーブル)を挟んだものであるならば、共存しうる地点が見いだせるはずなのです。
『嘘と政治 ポスト真実とアーレントの思想』 百木 漠 (2021・4 青土社) 2,200円
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*エコーチェンバー現象 近しい意見を持つ者同士がSNSなどで同種的なコミニケーションを繰り返すことによって特定の信念が増幅または強化される現象 意見の共有は加速度的に進むが、他方ではそれとは異なる声がほとんど聞こえなくなってしまう
* フィルターバルブ現象 ウェブサイトのフィルター機能によって各ユーザがまるでバブルに包まれたように自分が見たい情報しか見えなくなる現象 自ら好む情報のみを享受しているうちに逆に自分にとって不快な 情報や意見は全く耳目に入らなくなる