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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

病院で(1)自分の屍体の脚に触る

2023-06-18 11:39:26 | よしなしごと
 退院して三日目を迎えようとしています。
 退院にあたっての医師の注意事項(行動の制限、入浴の禁止、飲酒の禁止)などを順守していることもあって、徐々に回復しつつあると信じています。
 短い入院期間でしたが、そこで経験した事共を少々、書いておきます。

新しいい経験・・・・自分の屍体の足に触る
 手術が終わり、下半身の麻酔が醒めないまま病室に戻された折の経験です。下半身の感覚は全くありません。ただし、手は動きます。そこで、その手を伸ばして自分の下半身、太ももの外側に触れてみたのです。何やら少し冷たい「物体」があります。「ん、これが私の脚か」と納得するまでに少し時間がかかりました。なぜなら、通常、自分の体に触るという感覚とは全く違ったからです。
 
 これは、フランスの哲学者、メルロー=ポンティという人が知覚を通じての身体と精神を論じたところにも書いていたと思うのですが、普通、自分の身体に触れた場合、触る方の部分(たとえば手)と触られる部分(例えば脚)との間には、互換性=互感性があり、手の方が触っていると同時に、逆転して脚の方が触っているともいえるわけです。
 ようするに、触る側と触られる側が混然一体となって、どっちも触っている側で、またどっちも触られている側なのです。わかりやすいいイメージでいうと、両手で拍手をする場合、どちらが打ち、どちらが打たれている方かわからなくなるということです。

       
 
 もちろんこれが他人との間ですと、「触っている」と「触られている」は上のように混然とすることはありません。私が他人の足に触る場合、「触る」という感覚はありますが、「触られている」という感覚はありません。それは他人の方が感じるわけです。
 
 つまり私の場合は、麻酔で感覚が遮断されているせいで、まるで他人に触っているような、つまり手の方には「触る」という感覚があったにも関わらず、脚の方には「触られている」という感覚は全くなかったのです。先にみた、自分の体同士では起こる感覚の互換性=互感性はまったくなかったわけです。そればかりか、冷たく感じられたので、生きているそれではなく、結局「自分の屍体の脚に触っている」ような経験をしたのでした。

 それから、これもメルロー=ポンティが触れていることですが、戦争や事故などで手脚のどれかを失った人が、ないはずの部分、例えば右脚を失った人がそのつま先や、あるいはもっと具体的に、親指が痒いとか痛いとか感じることがあるのだそうです。
 私も、それに近い経験をしました。下半身麻酔が効いたまま病室に寝ていた私は、自分の下半身の姿勢が、両脚を揃え、膝を立てて寝ているとばかり思っていました。感覚がないのですからその根拠はないのですが、何故か自分の意識ではそういう姿勢だと思っていました。
 そんなこともあって、巡回に来た看護師さんに、「麻酔が醒めても今夜はこうして膝を立てたままのほうがいいのですか」と尋ねました。看護師さんは一瞬、怪訝そうな顔をして、「いいえ、あなたは足を伸ばして寝ていらっしゃいますよ。今夜はそのまま動かないようにしておやすみください」と答えてくれました。私は、なお信じられない感じ(意識の上では膝を立てていた)でしたが、やがて麻酔が醒めてくるに従い、私のその感覚のほうが幻覚であったことを知ったのでした。

 自分の身体というのは、客観的には他人の身体同様一つの物質です。しかし、自分で自分に触るという経験は、少なくとも意識の上では身体が単なる物質ではないと感じられることを知ることができます。
 そこに、身体と意識の不思議な関連があるのですが、私も不勉強で、「だからどうなのさ」と尋ねられてもよくわかりません。
 ですから、私の経験を記すにとどめます。

 

コメント
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