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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

蔵書の一部を手放す それでもなお・・・・

2021-03-28 16:23:04 | よしなしごと

 前にちらっと書いたが、蔵書のかなりの部分を手放した。名古屋の人文系の古書店にまとめて引き取ってもらったのだ。

 すわ、終活かと思われそうだが、そんな意識はあまりない。生まれてきたのも偶然ひょっこりとであるから、その終焉もそんなに計画的にする必要もあるまいと思っている。遺族への忖度もあまりない。自分が死んだらああしろ、こうしろとは要求しないし、葬式やその他面倒な儀式はしてもらわなくてもいいから、あとの整理も勝手にしてくれというのが本音だ。

         
          著者別、ジャンル別に整理して古書店を待つ書たち

 とはいえ、蔵書についてはある種の思い入れがある。
 私の蔵書はわが家の遺族たちにとっては紙くず同然だろうが、私自身の自己形成には少なからず貢献してくれた。それが死後、ゴミとして処分されるのはやはり心残りである。できるならば、これを必要とするひとによって読み継がれることが望ましい。さいわい、私は書を汚さないで読む方だからその面での状態は悪くない。

 蔵書のほとんどは人文系のしかも思想書の系統に属するものだ。地元岐阜では市場も狭いだろうと、名古屋の古書店に来てもらった。
 今回、引き取ってもらったのは、1980年代以降の、いわゆる「現代思想」系を中心としたものである。しかし、近年のものは少ない。最近はもっぱら図書館の利用を中心としているからだ。

      フォト フォト
   今どき価値があるかどうか 林芙美子のサイン入り 戦前のものだから右から左へ

 それでも、売り物になりそうなものをジャンルや著者別に仕分け整理したら数百冊になった。もちろんこれで全部整理できたわけではない。私の青年時代、1950年代から60年代、そして80年代に至る書のほとんどはもはや売り物にはならない。書の内容もだが、書籍そのものがマテリアルに劣化していて市場価値がないのである。
 それらも含めて、およそ千冊あまりが手元に残ったことになる。まあ、これらはゴミとして風化するに任せるほかあるまい。

         
        上記の書の奥付 昭和12(1937)年 私が生まれる前年の書

 しかし、書というものは不思議なものだ。紙に文字という記号によって印字されたものを私が目にする。書き手も、読み手の私も、その記号のコードを共有している限りにおいて、何がしかが伝達されると思っている。しかしそれらはそれほど単純な過程ではない。伝わるべきものが伝わらなかったり、伝えるつもりではないものが伝わったり、書き手の側からも読み手の側からも、全く予想外のものがそこに形成されたりする。

 しかし、何も伝わらないということはけっしてない。遅配や誤配を含みながら、というかそれを常態にしながら、何ものかが伝わる。

         
               まだ残っている書たち

 手放す書についての感傷や思い入れはない。ありそうなものは手元においたままということもあるが、書そのものへの物神崇拝的な思いはもともと希薄なのだ。

 とはいえ、たとえ劣化しているとはいえ、半世紀前の青春時代、私の関心を満たしてくれた古い書物をゴミとして捨てるにはいささか忍びないものある。
 もう一度読み返してみようかとも考えている。

なお、購入して未読のもの、いま同人誌に書いている連載ものに必要な資料、愛蔵の画集、古典の一部、辞書類などは手元に残してある。


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