「きっこのブログ」という人気ナンバーワンのブログをご存知でしょうか。
今日現在でアクセス数が5,700万件を上回るという巨大ブログです。
ちなみに私のこのブログはご覧のようにやっと25,000を超えたばかりです。ですから、例えていえばこのタイトルのようになるわけです。
森羅万象を軽快なリズムの文体でばっさばっさと切り捨てるのは結構痛快で、また、メディアが報じないいわゆる暴露記事などがあって面白かったり、参考になったりするのでときどき覗きに行っています。
どうも本人は、社民党支持を表明しているようなのですが、この際それは良いとして、最近のものについては、やや危うさが感じられるような気がするのです。
そのひとつは、朝青龍問題についての悪態に近い罵倒がしばし続いたことです。
この問題についてはすでに述べたように、今回明らかになった時津風部屋の殺人事件を隠蔽するために特別に過分なバッシングが仕組まれたのではないか、それはまた、協会や横綱審議委員会も承知の上であったのではないかと当初から囁かれていました。
朝青龍に関するそれはそれとして、この殺人事件は親方の解雇というトカゲの尻尾切りに終わらせてはならない問題であることは衆目の一致するところでしょう。
しかし、この段階に至っても、あれだけ朝青龍に対し口を酸っぱくして罵っていたこのきっこ氏の文面からは、この殺人事件に関する一切の記述を見ることがないのです。
あれだけ何にでも口を突っ込む氏の今までのありようからいって、これは不思議というほかありません。故意にではないにしろ、協会のしくんだ一連の工作の中で、積極的な役割を果たしてしまっていたことを認めるべきでしょう。
もうひとつは、福田総理への批判なのですが、その思想や政策への批判よりもむしろ彼の風貌への悪口が著しいのです。鼻の下が長いとか、オランウータンに似ているとかそんな悪口が延々と続くのです。
一部にはそうしたものが痛快として受け入れられているようですが、私にとってはそれはあくどい差別発言に思えます。
誤解されるといけませんのでいっておきますが、私は別に福田氏を支持しているわけではありません。むしろ批判的なのですが、あのレベルでの批判(?)にはくみするわけには行きません。
人の風貌と思想信条は必然的な関連あはりません。
もしそれがあるとしたら、世紀の美男子である私の言説は絶対的であるはずです。
彼女(?)が形成しているある種のポピュリズムは、他にも危険な要素を持っています。
それは、名古屋で起きたネットで知り合った者たちの女性殺人事件に対し、被害者の母親が極刑を求めるための署名活動をはじめたのに対し、きっこ氏が全面的に同意し、むしろ増幅してそれをアジテーションしていることです。
私も、こうした凶悪犯罪に対し、「罪を憎んで人を憎まず」といった柔い対応では済まされないものを感じてはいます。しかし、それをも含めて、それはあくまでも現行の法の元で判断されるべきなのです。
法の規定を越えてという被害者感情は分からなくもないのですが、それは法治国家の壊滅でもあります。
現行法規が現状に合わないようなら、法規の改正なり判例の整備なりをすべきなのです。超法規的な罰則への要請は危険きわまりないものです。
それを巡って、あくまでも被告人の立場に立つべき弁護人への脅迫などが行われるのはもってのほかです。
それは、KKKの超法規的報復の論理への首肯に他なりません。
現に、きっこ氏のブログは、絞首への紐を懸命に引っ張っている感があります。
報復としての憎悪が押さえ難いものであることは分かります。
しかし、それがポピュリズムに介されながらズルズルと拡大することは危険なのです。
そうした人々はある種の想像力を欠いています。世の中には悪人と善人がいて、自分は常に善人側にいるという幻想です。にもかかわらず、犯罪者の何人かは、つい先ほどまで、他の犯罪を見て、何であんなことで人を殺すのかなあと思っていた人も多いのです。
繰り返しますが、凶悪犯罪には私自身怒りを禁じ得ません。しかし、それは法が定める刑罰でもって罰せられるべきです。
それが著しく矛盾しているようでしたら、まず法を改正すべきです。
署名活動などによって刑が定められるのは異常な事態です。
それとオーバーラップして、裁判員制度の問題があります。
現行のポピュリズムの謳歌の中で、素人の裁判員は、ある程度客観的な判断をなし得るでしょうか。
加えて、鳩山法務大臣の死刑囚ベルトコンベアー発言があります。
そんなことを考えている折から、昨日こんなニュースを眼にしました。
「外山恒一被告に求刑の8倍判決」
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071005i203.htm
彼は先般の都知事選にも立候補し、現行の法秩序がもたらしているものにも異議を唱えています。
しかし、検察が法や判例に照らして求刑したものの8倍の判決は、裁判官の恣意的な報復の意志が介在していると思わざるをえません。
裁判官という法の専門家が、あきらかに報復に基づいて判決を出すとき、この国の司法はどうなって行くのか不安がいっぱいです。
そして、こうした時代背景の中で、きっこ氏流のポピュリズムを喚起するようなアジテーションは危険ではないかと思うのです。
冒頭に述べたように、5,700万人という人たちの視線が注がれるブログだけに、その批判精神を萎縮させる必要は全くないのですが、差別的な発言や、不用意なアジテーションはやはり今一度咀嚼し直したした上で書かれるべきではないかと思うのです。
その辺にある与太な偏狭ナショナリストのブログとは明らかに異なった、積極性を持つ面白いブログだと評価しているだけに、いっそう以上のような注文を付けたいのです。
今日現在でアクセス数が5,700万件を上回るという巨大ブログです。
ちなみに私のこのブログはご覧のようにやっと25,000を超えたばかりです。ですから、例えていえばこのタイトルのようになるわけです。
森羅万象を軽快なリズムの文体でばっさばっさと切り捨てるのは結構痛快で、また、メディアが報じないいわゆる暴露記事などがあって面白かったり、参考になったりするのでときどき覗きに行っています。
どうも本人は、社民党支持を表明しているようなのですが、この際それは良いとして、最近のものについては、やや危うさが感じられるような気がするのです。
そのひとつは、朝青龍問題についての悪態に近い罵倒がしばし続いたことです。
この問題についてはすでに述べたように、今回明らかになった時津風部屋の殺人事件を隠蔽するために特別に過分なバッシングが仕組まれたのではないか、それはまた、協会や横綱審議委員会も承知の上であったのではないかと当初から囁かれていました。
朝青龍に関するそれはそれとして、この殺人事件は親方の解雇というトカゲの尻尾切りに終わらせてはならない問題であることは衆目の一致するところでしょう。
しかし、この段階に至っても、あれだけ朝青龍に対し口を酸っぱくして罵っていたこのきっこ氏の文面からは、この殺人事件に関する一切の記述を見ることがないのです。
あれだけ何にでも口を突っ込む氏の今までのありようからいって、これは不思議というほかありません。故意にではないにしろ、協会のしくんだ一連の工作の中で、積極的な役割を果たしてしまっていたことを認めるべきでしょう。
もうひとつは、福田総理への批判なのですが、その思想や政策への批判よりもむしろ彼の風貌への悪口が著しいのです。鼻の下が長いとか、オランウータンに似ているとかそんな悪口が延々と続くのです。
一部にはそうしたものが痛快として受け入れられているようですが、私にとってはそれはあくどい差別発言に思えます。
誤解されるといけませんのでいっておきますが、私は別に福田氏を支持しているわけではありません。むしろ批判的なのですが、あのレベルでの批判(?)にはくみするわけには行きません。
人の風貌と思想信条は必然的な関連あはりません。
もしそれがあるとしたら、世紀の美男子である私の言説は絶対的であるはずです。
彼女(?)が形成しているある種のポピュリズムは、他にも危険な要素を持っています。
それは、名古屋で起きたネットで知り合った者たちの女性殺人事件に対し、被害者の母親が極刑を求めるための署名活動をはじめたのに対し、きっこ氏が全面的に同意し、むしろ増幅してそれをアジテーションしていることです。
私も、こうした凶悪犯罪に対し、「罪を憎んで人を憎まず」といった柔い対応では済まされないものを感じてはいます。しかし、それをも含めて、それはあくまでも現行の法の元で判断されるべきなのです。
法の規定を越えてという被害者感情は分からなくもないのですが、それは法治国家の壊滅でもあります。
現行法規が現状に合わないようなら、法規の改正なり判例の整備なりをすべきなのです。超法規的な罰則への要請は危険きわまりないものです。
それを巡って、あくまでも被告人の立場に立つべき弁護人への脅迫などが行われるのはもってのほかです。
それは、KKKの超法規的報復の論理への首肯に他なりません。
現に、きっこ氏のブログは、絞首への紐を懸命に引っ張っている感があります。
報復としての憎悪が押さえ難いものであることは分かります。
しかし、それがポピュリズムに介されながらズルズルと拡大することは危険なのです。
そうした人々はある種の想像力を欠いています。世の中には悪人と善人がいて、自分は常に善人側にいるという幻想です。にもかかわらず、犯罪者の何人かは、つい先ほどまで、他の犯罪を見て、何であんなことで人を殺すのかなあと思っていた人も多いのです。
繰り返しますが、凶悪犯罪には私自身怒りを禁じ得ません。しかし、それは法が定める刑罰でもって罰せられるべきです。
それが著しく矛盾しているようでしたら、まず法を改正すべきです。
署名活動などによって刑が定められるのは異常な事態です。
それとオーバーラップして、裁判員制度の問題があります。
現行のポピュリズムの謳歌の中で、素人の裁判員は、ある程度客観的な判断をなし得るでしょうか。
加えて、鳩山法務大臣の死刑囚ベルトコンベアー発言があります。
そんなことを考えている折から、昨日こんなニュースを眼にしました。
「外山恒一被告に求刑の8倍判決」
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071005i203.htm
彼は先般の都知事選にも立候補し、現行の法秩序がもたらしているものにも異議を唱えています。
しかし、検察が法や判例に照らして求刑したものの8倍の判決は、裁判官の恣意的な報復の意志が介在していると思わざるをえません。
裁判官という法の専門家が、あきらかに報復に基づいて判決を出すとき、この国の司法はどうなって行くのか不安がいっぱいです。
そして、こうした時代背景の中で、きっこ氏流のポピュリズムを喚起するようなアジテーションは危険ではないかと思うのです。
冒頭に述べたように、5,700万人という人たちの視線が注がれるブログだけに、その批判精神を萎縮させる必要は全くないのですが、差別的な発言や、不用意なアジテーションはやはり今一度咀嚼し直したした上で書かれるべきではないかと思うのです。
その辺にある与太な偏狭ナショナリストのブログとは明らかに異なった、積極性を持つ面白いブログだと評価しているだけに、いっそう以上のような注文を付けたいのです。