午後から従前よりときどき行っていた外科医へゆく決断をする。なぜ決断かは後述するとして、そのために少し早めの昼食を摂る。食事をしてすぐに動くと消化器系が動揺して調子が悪いからだ。
ラーメンを作る。インスタントではない。
麺は業務用の生麺、スープは前の晩に作ったつくね団子を煮た折のものを使ったので基本的に鶏風味、それに塩、醤油で辛味を整える。さらにコクをつけるためにごま油を少々。
具はキャベツにもやしをさっと炒めたもの、そして昨夕の残りのつくね団子を数個。
あとは小口切りのネギのみ。シンプル・イズ・ベストだ。
これが意外とうまかった。つくね団子を多目の出汁で煮て、その折のスープを残しておいてそれ使ったのが勝因。
消化器系を十分休ませてから外科医へ。ゆく用件は腰痛。
もう一年以上前から自覚症状があって、中腰の姿勢が続いたり、炊事などの立ち仕事が長引くと腰に痛みを覚えたのだが、まあこのくらいは歳が歳だから仕方がないだろうと我慢してきた。
しかしそれがここしばらくでかなり悪化したようで、今は何もしていなくとも痛みを感じるようになってしまった。これはやはりヤバイのではないかと、たとえ気休めでも外科医を訪れることを決断した次第だ。
そんなわけで、病院の窓口へ。
「今日は院長先生ではなくて、大学病院からの若い先生ですがいいですか」と窓口で念を押される。
「またか」という思いが走る。
実は前回この病院を訪れた際(その時は自転車で転倒し、胸部にかなりの痛みがあった)、同じことを訊かれ、医師の資格があるのなら大して変わりないだろうと、「いいですよ」とその診察を受けたのだった。
その折の自己診断では、これは肋骨にヒビぐらいはあるだろうと思っていたのだが、そうした私の訴えを単なる老人の不定愁訴と受け止めたのか、レントゲンもとることなく、「あゝ、それは打ち身ですね」と湿布薬を処方されて追い返されたのだった。
しかし、2、3日しても一向に痛みがとれないため、その病院を再訪したら今度は院長が診てくれて、即レントゲン、そして骨折の確認、胸部保護のためのテーピングの帯を支給とトントン拍子に進んで快方へと向かった。
最初のものは若い医師の明らかな誤診だが、院長が言外にそれを詫びていたのでそれ以上は追求しなかった。
で、今回もまた「大学病院からの若い先生」というので、私は文字通り腰が引けた。それで窓口で前回の経緯をぶちまけ、そのときの「若い先生」ならこのまま帰ると申し出た。
窓口の係は、しばらく私のカルテを調べていたが、やがて、「今日の先生はこの前の方ではありません」とのこと。それではせっかく来たことだしと、診てもらうことにした。
診察室に入ると、やはり頼りなげな若い医師だった。
腰痛の模様を告げると共に、30年にわたってずーっと立ち仕事をしてきてひどい時には一日12時間以上に及んだことを述べ、したがって、脊椎が損傷を被っているのではないかという自己診断を述べたのだが、どこまでちゃんと聞いてくれたのかは心もとない。
しばらく間があって、傍らの婦長格の看護師さんが、「先生、そういう方のためのコルセットを用意してありますが・・・」と助言。
「あ、そう、じゃそれと湿布薬を処方しましょう」と若い医師。
「それではサイズなど確認しますから、◯号室へお回り下さい」と看護師さんの指示。
場を仕切っているのは完全に彼女。私もその方が安心できる。
それで支給されたのが写真のコルセット。もちろん対処療法の最たるもので、これをつけていたら良くなるわけではない。しばらくはこれでしのぎながら、その先には車椅子の影がちらつく。
老いはいろんな方向から私を攻め立てる。今は必死で応戦しているが、そのうちに気持ちが萎えてしまうと、今の段階では想像がつかない暗黒の世界が待っているのかもしれない。
一生、悟りなどの境地には至るまいと思っている私にとって、そうした老いの暗黒とはどんな世界だろうか。一生、ジタバタして過ごそうとしているのだが、それ自体がどこまで可能なのだろうか。
私という「主体」は実は「外部」の「虚焦点」のようなものだと現代の哲学はいう。
たしかにそうだろうと思う。
しかし、虚であろうがそこに一つの点があるとしたら、それはうつろいゆく「私」という点であり、それもが崩壊してゆくとしたら、私はもとの「外部」へと送り返されるということだろうか。
晩秋だからといって別にセンチメンタルになっているわけではない。
私はいつだって乾いている、いや乾いていたい、可能な限り・・・。
ラーメンを作る。インスタントではない。
麺は業務用の生麺、スープは前の晩に作ったつくね団子を煮た折のものを使ったので基本的に鶏風味、それに塩、醤油で辛味を整える。さらにコクをつけるためにごま油を少々。
具はキャベツにもやしをさっと炒めたもの、そして昨夕の残りのつくね団子を数個。
あとは小口切りのネギのみ。シンプル・イズ・ベストだ。
これが意外とうまかった。つくね団子を多目の出汁で煮て、その折のスープを残しておいてそれ使ったのが勝因。
消化器系を十分休ませてから外科医へ。ゆく用件は腰痛。
もう一年以上前から自覚症状があって、中腰の姿勢が続いたり、炊事などの立ち仕事が長引くと腰に痛みを覚えたのだが、まあこのくらいは歳が歳だから仕方がないだろうと我慢してきた。
しかしそれがここしばらくでかなり悪化したようで、今は何もしていなくとも痛みを感じるようになってしまった。これはやはりヤバイのではないかと、たとえ気休めでも外科医を訪れることを決断した次第だ。
そんなわけで、病院の窓口へ。
「今日は院長先生ではなくて、大学病院からの若い先生ですがいいですか」と窓口で念を押される。
「またか」という思いが走る。
実は前回この病院を訪れた際(その時は自転車で転倒し、胸部にかなりの痛みがあった)、同じことを訊かれ、医師の資格があるのなら大して変わりないだろうと、「いいですよ」とその診察を受けたのだった。
その折の自己診断では、これは肋骨にヒビぐらいはあるだろうと思っていたのだが、そうした私の訴えを単なる老人の不定愁訴と受け止めたのか、レントゲンもとることなく、「あゝ、それは打ち身ですね」と湿布薬を処方されて追い返されたのだった。
しかし、2、3日しても一向に痛みがとれないため、その病院を再訪したら今度は院長が診てくれて、即レントゲン、そして骨折の確認、胸部保護のためのテーピングの帯を支給とトントン拍子に進んで快方へと向かった。
最初のものは若い医師の明らかな誤診だが、院長が言外にそれを詫びていたのでそれ以上は追求しなかった。
で、今回もまた「大学病院からの若い先生」というので、私は文字通り腰が引けた。それで窓口で前回の経緯をぶちまけ、そのときの「若い先生」ならこのまま帰ると申し出た。
窓口の係は、しばらく私のカルテを調べていたが、やがて、「今日の先生はこの前の方ではありません」とのこと。それではせっかく来たことだしと、診てもらうことにした。
診察室に入ると、やはり頼りなげな若い医師だった。
腰痛の模様を告げると共に、30年にわたってずーっと立ち仕事をしてきてひどい時には一日12時間以上に及んだことを述べ、したがって、脊椎が損傷を被っているのではないかという自己診断を述べたのだが、どこまでちゃんと聞いてくれたのかは心もとない。
しばらく間があって、傍らの婦長格の看護師さんが、「先生、そういう方のためのコルセットを用意してありますが・・・」と助言。
「あ、そう、じゃそれと湿布薬を処方しましょう」と若い医師。
「それではサイズなど確認しますから、◯号室へお回り下さい」と看護師さんの指示。
場を仕切っているのは完全に彼女。私もその方が安心できる。
それで支給されたのが写真のコルセット。もちろん対処療法の最たるもので、これをつけていたら良くなるわけではない。しばらくはこれでしのぎながら、その先には車椅子の影がちらつく。
老いはいろんな方向から私を攻め立てる。今は必死で応戦しているが、そのうちに気持ちが萎えてしまうと、今の段階では想像がつかない暗黒の世界が待っているのかもしれない。
一生、悟りなどの境地には至るまいと思っている私にとって、そうした老いの暗黒とはどんな世界だろうか。一生、ジタバタして過ごそうとしているのだが、それ自体がどこまで可能なのだろうか。
私という「主体」は実は「外部」の「虚焦点」のようなものだと現代の哲学はいう。
たしかにそうだろうと思う。
しかし、虚であろうがそこに一つの点があるとしたら、それはうつろいゆく「私」という点であり、それもが崩壊してゆくとしたら、私はもとの「外部」へと送り返されるということだろうか。
晩秋だからといって別にセンチメンタルになっているわけではない。
私はいつだって乾いている、いや乾いていたい、可能な限り・・・。