私の生命はおそらくあと数年だろうと思います。
しかし、私はこの世に生を受けた結果、私がそこに属すことになり、まあまあ私と親しく付き合ってくれた人類というもののことを考えざるをえないのです。
今生きている人類については、私の限定された視野の中で何ごとかをいったり、お付き合いをしてきましたが、ここで述べようとしているのは何万年先の人類についてなのです。
その題材は原子力発電所です。
私はかねてより(3・11以前より)これに反対してきましたが、ここでそれを繰り返そうとは思いません。
否、むしろ、原発賛成派、再稼働推進派の原発安全神話をすべて肯定した上で話を進めようというのです。
その人たちの言うように、原発は絶対に安全であることをとりあえずは認めましょう。
ところで、これはそれらの人も確認している事実ですが、原発からは使用済みの核廃棄物が出ます。その量は、この国だけで毎年、1,000トンになるそうです。
それらはどのように保管されているのでしょうか。
まず、放射線量の低いものはドラム缶に入れて地下4メートルに何年か保管するのだそうです。では高放射線量で人類の生命や健康にかかわるものはどうするのでしょうか。この高放射線量というのは数万年間の隔離が必要だといわれています。
それらは、300メートルの地下に埋めるのだそうです。
ただし、NHKのニュースセブン(17日)によれば、現在のところその埋設に同意する自治体は皆無だとのことです。
しかし、そのうちに、特別地方助成金などにつられて埋設を承認する自治体も出てくることでしょう。
めでたし、めでたしですね。
しかし、私の不安はここから始まるのです。
おそらく、その埋設物には、万一それを掘り出したとしても、決して開けたり毀損してはならないという注意書きや記号が様々な形や言語で記されていることでしょう。
ですから、これから十年先、数十年先の人がこれを掘り出したとしても、彼らはそれを理解し、決して開けたりはしないでしょう。
しかし、話は何万年か先まで続きます。
例えば、これから一万年先の人類がそれらを掘り当てたとします。
彼らが今よりはるかに進んだ種族に進化しているか、あるいは、たえざる争いや文明の荒廃のせいで退化しているかそれはわかりません。
問題は、その廃棄物に付与された危険表示やそれが何ものであるかの文字記号を彼らは解読できるかということです。ようするに、一万年後の彼らは、進歩や退歩はともかく、今日私たちが使用している文字記号などを解読できる共通のコードをもっているでしょうか。
彼らは、今日のわれわれの言語を媒介としたコミュニケーションとは全く違ったコミュニケーション・スキルへと到達していることは十分考えられます。
あるいは、言語や文字に相当するコミュニケーション・ツールをもっていると仮定しても、それらが、私たちの現今の文字記号を解読しうる共通のコードをもっているとは考えにくいのです。
考えても見て下さい。私たちはわずか2,000年余前のロゼッタストーンの解読に20年余を要しているのです。5,000年以前の楔形文字に至っては、その存在は明らかなものの、ほとんど解明には至っていないのです。
現在、人類の文化は幾何級数的に変化しています。デジタル文明は始まったばかりです。これにより、コミュニケーション・ツールはPCを始めとしたハードの面ばかりではなく、言語記号などのソフトの面で飛躍的に変化するでしょう。
ようするに、一万年後の人類に、危険なものを危険と伝えるコードを私たちが持ち合わせている保証はないのです。
にも関わらず私たちは、将来の人類を滅ぼしかねない危険なタイムカプセルを、我が国だけで毎年1,000トン、世界では何万トンかを埋め続けなければならないのです。
冒頭に書いたとおり、私の余命はさほど長くはありません。
しかし人類は、地球規模の核戦争などがない限り、生き延びるかもしれません。
その未来の人類に、数万年単位の危険なタイムカプセルを押し付けて私たちが生きているのだということを知るべきです。