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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

身近な考現学(?)あれこれ

2023-12-16 14:30:03 | フォトエッセイ

完全な冬空のなか、一瞬の陽射し。それに反応する南天。

えっ、えっ、えっ、これがまだ生きてたなんて信じられない。しかも撮影場所は岐阜の中心街、柳ケ瀬の近く。これは戦前戦中戦後しばらくまでのゴミ箱の定番。上からゴミを捨て、正面から掻き出す仕組み。まさに有形文化財クラス。

          

いま、岐阜の街を実験運転で走っている無人運転小型バスをJR岐阜駅のバスターミナルで見かけた。私の運転免許返納の時期も近いが、その代わりにこのバスが足代わりになるまで、私は生き続けられないだろうな。ただし、私の死後に展開されるであろう技術の片鱗に触れるのは面白いことではある 

          。

       

【続報】以下のような記事を載せたのは今月1日のことであった。

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「帰りなんいざ 田園まさに荒れなんとす」というのは陶淵明の「帰去来」という詩の一節らしい。下の写真は昨年と今年、ほぼ同じ日に私が撮った近所の田園風景である。これを観て思わず冒頭の一説を思い出した次第。私の家の前を走る岐阜駅へと続くバス路線のうち、唯一残されていた田園の名残がかくして消えてゆく。
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それがいま、埋め立てられ、工事が進んでいる。これでわが家の前のバス路線の両側に、田んぼの、あるいはそれがあったという痕跡もすべてなくなる。
どこにでもある郊外の街筋を目指してまっしぐら。わが家の古さが一段と目立つ。(一番上は数年前のもの)
 
       
       
      
 
もう、10年近く前になくなった私の友人が、一番キレイな紅葉はサクラのそれだと言っていたというのを先ごろ別の友人から聞いた。
 うちにも桜桃のなる木が一本あるが、年によって紅葉の度合いは随分違う。
 この横長の写真のがうちのもので、縦長で赤くきれいな方が近くの桜並木のソメイヨシノのものである。たぶん、亡くなった友人は、こういうのを指して愛でていたのだろう。
 
      
          
          
コメント
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