きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

父と食べるパン

2008-02-11 | 父の記録と母の思い出
妹が義理父のお見舞いに行くと言うので父と昼食を取った。
(前から入院されていたが容態が悪いそうだ)

コンビニでカルビ弁当を買って、久しぶりに焼いたパンと持って行った。
チャイムを押すと、しばらくしてよろよろ父が玄関を開けようとするが、鍵がうまく開かないようだ。様子を見て持ってきた合鍵で中に入った。

買ってきたコンビニ弁当も袋から出すのに時間がかかる。
手で持つための穴から弁当を出そうとしているからだ。
ここまで目が悪くなっている?
私は父が自分で気がつくように見て見ぬ振りをする。ここで手を貸したら、また父を一つ否定してしまうような気がしたからだ。

「これはなんだ?」
「こっちはパン。午前中に自分で焼いたの。」
「こっちを食べるか。」

と言いながら、まだ父はコンビニ弁当を袋から出すのに苦戦した。
それでもやがて、小さな穴からムリヤリ弁当を力づくで取り出した。ラップはうまくはがせたようだ。

「こっちはなんだ?」
「パンだよ。私が自分で焼いたの。ソーセージパンとメロンパン。」
「こっちを食べるか。」
「どっちがいい?ソーセージとメロンパンだよ。」
「メロンパン。」
「牛乳飲む?」
「うん、持ってきてくれ。」
それは自分ではできないだろうと思って、私は冷蔵庫に向かった。
流しの横に割れた皿が二枚ある。
父が割ったのか・・まさか妹がこらえきれなくなって割ったんじゃあるまいな、勝手な想像も働く。

父はパンを食べて「うまいじゃん。」と言った。
でも、次の瞬間は覚えてないのだろうけど。


「これ(入れもの)はなんだ?」
「ソーセージパンだよ。さっき家で焼いて持ってきたの。」
「これを食べるか。」

そしてまた、おいしいよと言った。

父はそれですっかり忘れてしまったようだが、この小さな二つのパンだけでは足りないと思って、「カルビ弁当があるよ」と教えた。
全部は食べられないなと言うので、残してもいいんじゃない?と言った。

「これは何だ?」
「さっきお薬飲んだ水だよ、こっちが牛乳。」

こうして食事をしてみると、どちらだか分からないが(認知症だか目だか)確実に進んでいるのが分かる。
これではもう1人で外に出ることはできない・・はず。
家にじっとしていられなくて、年中外に出ていた父だったのだが。


父も母も毎日好きなことをして、楽しく生きていた。
何かのために自分を殺して犠牲にしている、ようには見えなかった。
毎日好きなものを食べて、パチンコをして、酒を飲んで、歌を歌って・・・。

今、父はどう思っているのだろう。
「最近やる事がなくて」と言いながら、何かをしたいと言う特別な要求がありそうでもなく、目の前に居る人、あることに淡々と応えるだけの日々。。。

たまにこうして父の顔を覗くだけの私が言うのはおこがましいのかもしれないが、介護とはどこまですべきものやら、と本当に思う。
誰だって親は好きだ。できるだけの事をしてはあげたい。
でも、心のどこかで我慢して「自分が犠牲になっている」と思うくらいなら、人に任せた方が逆に親のためなのではなかろうか。
自分の子供を、誰が自分のために犠牲にしたいと思うのだろうか。
毎日笑って楽しく生きていく方が正論ではないのか。
「親の介護なんてたまらん!」それが正直な答えなのではなかろうか。

その答えをいつか自分の胸に問いかける日も来るのだろうか。

父が食後の薬を飲み終えて、しばらく話すでも何でもなく、父も眠そうだったので「そろそろ帰るわ」と言った。
そうか、と言って、父は玄関まで送りだしてくれた。
そして手を振って別れた。

しばらく玄関の外でたじろいで、私は玄関を開けてみた。
やっぱり鍵を掛けてない。
合鍵でそっと鍵を閉めて、家に帰った。
もうすぐ妹も帰ってくるだろう。