ネズミの続報である。
あれから毎日のように朝、ネズミが引っ掛かった。
私はあまり凝視しないように注意して、でも間違いなく掛かっている事を確かめてMさんに電話した。
最初は「いちいちそのたびに回収に行くんですか(苦笑)」と言うMさんだが、Aさんが交渉すると月極めで来てくれることになった。
そして翌日もネズミが引っ掛かり、その次の3日目の朝またもや電話をするとMさんは「またですか。」アハハハと笑いだした。
こんなに年中引っ掛かることはそうそうありませんよ、と言う。
そして引っ掛かる場所は決まって私の後ろにあるガスヒーターの脇であった。
「この配管の隙間から出入りしてるのでしょう」、とMさんは言い、3日目の朝にはガムテープでその周りのすき間をグルグル塞いだ。そして今日はとうとう引っ掛からなかった。
罠を置いてから、フンらしきものも見かけていない。
本当にこれで平和になったと思って心を許していいのだろうか。
しかしそれ以外の人間はnanuさんにも課長にも「ネズミがつかまりましたよ」と言っても見向きもしない。
ZENさんは今日お茶場のネズミ取りを踏んでしまい(ちゃんとドアに注意するよう書いておいたのに)、文句まで言う。
Aさんに「あんなに当たり前にネズミを処理できてすごいですね」と言うと「もっと汚い所もたくさん見てるからね」と言う。
そうか!と私は思い、もっと想像つかない汚い所やネズミよりひどい物がたくさん現場にはあるのだろうと考えた。
みんな、そんな所で今日も稼いでくれてありがとう。
お陰さまで私は子供と今日もご飯を食べれてます。
そう言えば主婦の時代もこうして元旦那に感謝していただろうか。
それを思うと耳が痛い。
耳は痛いが、もうそんなのははるか遠い昔のことだ。
もう宇宙規模のごとく昔のことになっているから「あぁあれは私もいかんかったよな」と思う。思える。
私も反省すべき点があるが、だからと言って妻子を置いて去って行くことが正当でもなかろう。
お互い若かったのだ。
kekeには可哀想な事をした。
だからと言って、今たとえ涙を流して反省した所で何が変わるんだろう。
あれから不運なこともあったけど、たぶんよいこともあったはず。
道行く買い物づれ。
楽しそうなカップルや老夫婦。
みんないろんなことがあるだろうし、あっただろう。
私ももしも一緒にいたら、あの老夫婦のように寄り添って感謝していたかもしれないね。
今だったなら。
よいも悪いも何でも無くてみんなまとめてそう言うのを「運命」と呼んだら、今日も春の風があたたかい。
あれから毎日のように朝、ネズミが引っ掛かった。
私はあまり凝視しないように注意して、でも間違いなく掛かっている事を確かめてMさんに電話した。
最初は「いちいちそのたびに回収に行くんですか(苦笑)」と言うMさんだが、Aさんが交渉すると月極めで来てくれることになった。
そして翌日もネズミが引っ掛かり、その次の3日目の朝またもや電話をするとMさんは「またですか。」アハハハと笑いだした。
こんなに年中引っ掛かることはそうそうありませんよ、と言う。
そして引っ掛かる場所は決まって私の後ろにあるガスヒーターの脇であった。
「この配管の隙間から出入りしてるのでしょう」、とMさんは言い、3日目の朝にはガムテープでその周りのすき間をグルグル塞いだ。そして今日はとうとう引っ掛からなかった。
罠を置いてから、フンらしきものも見かけていない。
本当にこれで平和になったと思って心を許していいのだろうか。
しかしそれ以外の人間はnanuさんにも課長にも「ネズミがつかまりましたよ」と言っても見向きもしない。
ZENさんは今日お茶場のネズミ取りを踏んでしまい(ちゃんとドアに注意するよう書いておいたのに)、文句まで言う。
Aさんに「あんなに当たり前にネズミを処理できてすごいですね」と言うと「もっと汚い所もたくさん見てるからね」と言う。
そうか!と私は思い、もっと想像つかない汚い所やネズミよりひどい物がたくさん現場にはあるのだろうと考えた。
みんな、そんな所で今日も稼いでくれてありがとう。
お陰さまで私は子供と今日もご飯を食べれてます。
そう言えば主婦の時代もこうして元旦那に感謝していただろうか。
それを思うと耳が痛い。
耳は痛いが、もうそんなのははるか遠い昔のことだ。
もう宇宙規模のごとく昔のことになっているから「あぁあれは私もいかんかったよな」と思う。思える。
私も反省すべき点があるが、だからと言って妻子を置いて去って行くことが正当でもなかろう。
お互い若かったのだ。
kekeには可哀想な事をした。
だからと言って、今たとえ涙を流して反省した所で何が変わるんだろう。
あれから不運なこともあったけど、たぶんよいこともあったはず。
道行く買い物づれ。
楽しそうなカップルや老夫婦。
みんないろんなことがあるだろうし、あっただろう。
私ももしも一緒にいたら、あの老夫婦のように寄り添って感謝していたかもしれないね。
今だったなら。
よいも悪いも何でも無くてみんなまとめてそう言うのを「運命」と呼んだら、今日も春の風があたたかい。