きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

酒をぬいた日

2014-01-08 | 息子keke
取引先の人の訃報がはいる。

60歳だと書いてある。
半年前にここに来た時は全然元気だったのに。
病気で急に亡くなったそうである。

社長は「お互い、明日は我が身だからせいぜい稼ぎましょう」なんて電話で話している。
私達がこんな風に言っていられるのは、どこか他人事なのだろうな、なんてボンヤリ考える。

60歳と言えば、あと12年後だ。
まだどこか自分には関係ないような気がするけれど、12年経って自分と同じ年の人の訃報を目にするようになったら、どんな気持になるのだろう。

今日は食事の支度を終えてから、kekeにちょっとコンビニ行ってくる、と言って出て行った。
そしてノンアルコールビールを買ってきた。

「たまには内臓を休ませることにした。」と私は言う。

「しかし、ノンアルビールはまずいな。夜飲むと特にまずい。」
「他のものにすればいいんじゃないの?ジンジャーエールとか。」

「それだと意味が無いんだよね。」アハハと私は言う。
「しかしまずいな」と言うと、kekeは「わがままだ」と言う。

なんで私は急にそんな風に思うようになったのだろう。
この前までは「この先いいことなんてない、いつ死んだってかまわない」と思っていたんだけど、そう思うことが自分に対して非常に失礼な気がしたのだ。
自分に申し訳ない、と言うのか。

今まで、自分って情けない、何をやってもダメ、だから何をやっても人にケチをつけられる、だから誰にいつ傷つけられるか分からない、誰をも油断ならない、と思ってきていて、だから「どうせ私は~」と言うのがとても得意だったのだ。
それは魔法のように、ダメな私を救ってくれた。

でも、それじゃ自分がかわいそうな気がして、どうしてこんな気持になったのかよく分からないけれど、そう思っている自分と、そうじゃないもう1人の自分がいるような気がして、自分で自分を守ってあげようと思ったんだ。

そしたら、まだ死ぬのはイヤだな、怖いな、って素直にフツーに思えたんだよね。


私はアハハと照れて、「長生きしようと思ってね、週に2回休肝日にしようかと思うんだ。おじいちゃんとおばあちゃんもそうしてたから。続かないかもしれないけど。」と言い、恥ずかしいので「kekeがちゃんと自立できるまで心配だしな。」と言った。

kekeは「(アンタは自分にとって)必要な人間にカウントされてない。」と言い、「いなくても大丈夫」と言う。

「例えば今日の夕飯は誰が用意したんだよ?」と言うと、「やろうと思えばできる」と言う。

まぁたまげたよ。
ほんとに早くそうなってほしいものだ。

私はビールを1缶飲むと、満腹感覚がなくなってしまい、腹8分目でいいところをずるずると11分目ぐらい食べてしまう。酒を止めればダイエットにもなるはずなんだ。

その通り昨日はいつもの半分ぐらいの量で食事が済んだ。