きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

ありのままの自分で

2014-01-20 | 読んだ本
前回紹介した「バカボンのパパと読む老子」を読み続けた。

この老子さんは、中国の昔、春秋戦国時代と言う時代の人だったようだ。
戦争には反対の姿勢をとっており、それは当時では大胆な発言だったようである。

戦争は仕方なくやらねばならない場合もあるが、戦争をしていることを悲しみなさい、戦争に勝ったとしても喜んではいけない、葬儀のような神妙な気持を持つべきだと書いている。戦争に勝って喜ぶことは人を殺して喜ぶのと同じである、と書いてある。

何千年前の人がこう説くのに、世界のあちこちでいまだに争いが絶えない。

どうして戦争なんてするのだろう。
ニュースも詳しくないのでその事情がよく分からないが、一言で言えば「欲望」が過ぎているのではないのだろうか。よその国の人を意のままにしたい、よそが儲かりすぎているのが面白くない、領土を少しでも多いしたいとか・・・宗教もうちはうち、よそはよそと割り切ることはできないのだろうか。

人より勝ちたい、人を意のままに動かしたい、そういう欲望、そして上手く行った時の自分のお陰だ、すごいだろ的気持を、老子さんは「よろしくない」と考えている。そこで使われる「正義」についてもあまり評価していない。
人はあるがままに生き、今あるべきものを受け入れる、それをよし、とするのである。

ちなみにこの老子さん、自分は3つの宝を持っているという。
1つは慈愛の心、2つめに倹約、3つめに「人の上には立たない」ことだそうである。

私は慈愛の心は分からないが、2つめと3つめは当てはまっているようなので、この気持をこれからも大切にしていこう。倹約倹約でケチババアみたいな所があるが、質素に暮らせるということは、よく言えば「見栄を張らずに」暮らしていけるのである。そのまま、ありのままの自分のままで暮らしていける素質がある。

それはやってみると、とてもラクチンである。
このまんまの自分でよいので、そこにストレスがない。


kekeもそういう素質がある。
20年経っても、きっとこの子は、謙虚に生きていけるだろう。
見栄なんて張らなくていい。そんな自分を信じていけばいいのだ。
大きく見せる必要なんてない、こんな自分をありのままの自分を広げて、時に悩んだり、相談したりしながら、前に進んでほしい。

今はまだ世の中を渡れる勇気や強さが備わってこないだけなのだ。
その力は、時間が経てば自然についてくるだろう。

ありのままの自分を信じられるように。
優しい心をずっと大切にしてほしい。


私はその後で古本屋に行って「求めない」と「受いれる」を買った。
そして、書棚に置くことにした。