きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

わき道で発見

2014-01-10 | 日記
今日はわき道から出ようとしてる車を入れてあげた。

普段こういうことはめったにしない。
バックミラーを見て後ろの車との距離をはかり、ゆっくりブレーキを踏んで止まる、と言うことが私には瞬時にできないのだ。そうしようと思っているうちに、もう車は通り過ぎている。

それからこの前はわき道に止まってた車が実は7台ぐらい連なっていて、私が入れようとしたら、それが図々しくも全部次々に出てきたのである。自分はちっとも進めず損した気分になった。

それでも今日はバックミラーを見ると、後ろの車と距離があったので、「これなら止まれる」と思って、入れてあげた。そして「いいことをしたなぁ(^o^)」と思いながらまた車を走らせた。

ハッ!

「いいことをしたなぁ」と、「何台も入れてあげて損した」と言うのは、こちらの受け止め方の違いだけなのでは?!やったことは同じなのに。。。@@


・・・という事は、こちらの受け止め方を変えれば「不愉快な思い」と言うのは無くなるのではなかろうか。

今まで山ほどブログに「悔しかった!」「悲しかった!」「憤った!」ことを書き連ねてきたが、これらは全部私の思考を変えれば、喜びに変えられるかもしれない。

例えば、「むかつくことを言われる」
これをテーマに考えると、まずその場で自分の考え(反論)を言ってみたらどうかしら。

今まではこういうことはできなかった。
自分が反論されたらイヤだから、相手もされたらイヤだろうなと思ったからである。

でも、自分がそこで言わなければ、相手はそれでイイとずっと思ってしまうから、また同じことを言われる、それが積み重なって最終的に嫌悪になる。。。それよりはまだ、一度は思ったことを言ってみた方が、最終的にはお互いのためになるのでは?

言い方を穏やかに、傷つけないように気を配れば、自分の意見を述べても良いのでは。

それでも平行線のままのこともある。そんな時は自分で自分をほめてあげよう、「一歩譲ってあげてsakeさん偉かったね」と私が言ってあげればいいのだ。

そういう考え方に切り替えれば「あんなこと言われて悔しかった」「こんなこと言われて悲しかった」にはならないのでは?

言われたら、その場で不快であることを配慮しながら表現する。
自分の感情を信じる。
それでも拒否されたら、最終的に自分が傷ついたら「でも、私はそこで譲って偉かった」と自分をほめる。
  ↑
こう言う風にしてみたら、どうだろう?!

これからそういう風にしてみる。(^o^)丿