今、栗原はるみさんの「おべんとう100」と言う本を借りている。
最初のページをめくると、まず「チャーシュー弁当」なるものが出て来る。これが緑と黄色でおいしそうで、しかもすぐに作れそうな弁当なのである。
ホームページでも同じレシピが紹介してあった。
私はこういうのを見ると、すぐに自分が作った気持になってしまうのである。
そしてその気分に酔いしれながら、これから弁当に凝ってみようと思い、今日はお赤飯まで炊いてみた。
というのも、栗原はるみさんの弁当は大抵ご飯も味がついていたり、色がついていたり、何らかのリアクションがあるのだ。
そして時にサンドイッチとおにぎりが組み合わさっていたり、一口ケーキやフルーツもサイダーシロップみたいなものに漬かってておいしそう。おかずもいろんなおかずが、ちょっとづつギュギュと詰まっていて、見るだけでワクワクするのである。
さっそく私もそういうノリで作ってみた。

お赤飯ご飯に、ホウレンソウはごまあえ、筑前煮、甘い卵焼き、メインはぶりの照り焼きである。
(ちなみにちょっと気取って、ワックスペーパーなるものでご飯とおかずを仕切ってみた。)
・・・・・
しかし、やはり疲れる。
ごまかしてきたが、今日は帰るとたくさんの汚れた皿が私を待っているはずだ。
弁当を作ると、特に気合を入れて作ると汚れる皿が倍増するのはなぜだろう。今日こそはあれを洗わないと、使える皿が無い。
やはり限界を感じる。
これらを十分にこなすためには、週末作りおきをしなくてはならないようだ。
しかも、kekeはこの手づくり弁当をさほどありがたく思っていない。
なぜなら、煮物や卵焼きは私が彩り(自己満足)のために入れているだけで、自分の為ではないことを見抜いているのだ。(そういう所はなかなか鋭い。)
あの子は種類が多いより、自分の好きな肉ばかりが単品で入っている方を好むのである。そういう性格なのだ。
この数年で少しは大人になり、こういう弁当も喜ぶかと思ってみたが、決してはそうではない様子。
食べたくないものは残して冷蔵庫に戻している。
私も特に何も言わない。
作るのも勝手なら残すのも勝手なB型親子である。
(ちなみに上の弁当の卵焼きと煮物は、前日kekeが弁当で残したものを黙ってチンして自分の弁当にした。)
それでも、もうしばらく弁当に酔いしれて、無駄な弁当作りを続けてみよう。
自分でも実は、そんなに続かないことだとは分かっている。
でもそんな時代も楽しいじゃないか。
しばらく、あたかも楽しく弁当を作っているような気になって、自分自身をもだまして楽しんでみようと思う。
明日は何にしようかな、っと。
最初のページをめくると、まず「チャーシュー弁当」なるものが出て来る。これが緑と黄色でおいしそうで、しかもすぐに作れそうな弁当なのである。
ホームページでも同じレシピが紹介してあった。
私はこういうのを見ると、すぐに自分が作った気持になってしまうのである。
そしてその気分に酔いしれながら、これから弁当に凝ってみようと思い、今日はお赤飯まで炊いてみた。
というのも、栗原はるみさんの弁当は大抵ご飯も味がついていたり、色がついていたり、何らかのリアクションがあるのだ。
そして時にサンドイッチとおにぎりが組み合わさっていたり、一口ケーキやフルーツもサイダーシロップみたいなものに漬かってておいしそう。おかずもいろんなおかずが、ちょっとづつギュギュと詰まっていて、見るだけでワクワクするのである。
さっそく私もそういうノリで作ってみた。
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お赤飯ご飯に、ホウレンソウはごまあえ、筑前煮、甘い卵焼き、メインはぶりの照り焼きである。
(ちなみにちょっと気取って、ワックスペーパーなるものでご飯とおかずを仕切ってみた。)
・・・・・
しかし、やはり疲れる。
ごまかしてきたが、今日は帰るとたくさんの汚れた皿が私を待っているはずだ。
弁当を作ると、特に気合を入れて作ると汚れる皿が倍増するのはなぜだろう。今日こそはあれを洗わないと、使える皿が無い。
やはり限界を感じる。
これらを十分にこなすためには、週末作りおきをしなくてはならないようだ。
しかも、kekeはこの手づくり弁当をさほどありがたく思っていない。
なぜなら、煮物や卵焼きは私が彩り(自己満足)のために入れているだけで、自分の為ではないことを見抜いているのだ。(そういう所はなかなか鋭い。)
あの子は種類が多いより、自分の好きな肉ばかりが単品で入っている方を好むのである。そういう性格なのだ。
この数年で少しは大人になり、こういう弁当も喜ぶかと思ってみたが、決してはそうではない様子。
食べたくないものは残して冷蔵庫に戻している。
私も特に何も言わない。
作るのも勝手なら残すのも勝手なB型親子である。
(ちなみに上の弁当の卵焼きと煮物は、前日kekeが弁当で残したものを黙ってチンして自分の弁当にした。)
それでも、もうしばらく弁当に酔いしれて、無駄な弁当作りを続けてみよう。
自分でも実は、そんなに続かないことだとは分かっている。
でもそんな時代も楽しいじゃないか。
しばらく、あたかも楽しく弁当を作っているような気になって、自分自身をもだまして楽しんでみようと思う。
明日は何にしようかな、っと。