災害
2018-09-06 | 日記
うぅ・・(-_-;)台風に地震かぁ・・・。
台風だけでも大きな災害だったのに、今度は北海道で地震。。
そう言えば、もうしばらく経つが、昔の担任の先生の住む町が大災害になったのだ。
私は年賀状を取り出し、TVを見ながら「先生の町だ」と確信した。
だが、私に一体何ができる?
それから1ヶ月が過ぎ、2ヶ月が過ぎようとしたある日、思い切って電話をしてみることにした。
別に電話をしたところで、何の役にも立たないのだが、何となく先生の町を思い出すたびに胸がつかえるのだった。
先生も、もしかしたら教え子が心配してる・・・・その気持だけでも励みになるかもしれないと考えた。
しかし何度電話しても先生は出ない。
いよいよ私も不安になってきた。
もしかして先生は、この世にはいないのでは・・・・?
そしてしばらくしたある日、勇気を持ってクラス会の幹事の子にメールを送ってみた。
TVで先生の町が災害に遭ったのを知って、電話をしてもいつも出ないのでどうしていらっしゃるか知ってる?
まもなくその子から返事がきて、家の電話は出ないかも、先生は携帯を持っているよ。
掛けてみると、きっと喜ぶよ!
自分も3週間前に会いに行って来たんだ。
そして教えられた番号に掛けてみた。
先生が出てきた。
開口一番は「生き残ったのが良かったのか、悪かったのか」で始まった。
家も車も何もかも無くなった。
残ったのは自分(70近く)とボケたばあさんだけ。
そして先生はまるでイモを洗うように一連の話を続けた。
こんなにひどい状況(災害の様子)、失った機械はあれとこれとそれ、買った値段だと全部でコレコレ(安い家が建ちそうな値段)、妹の形見の反物もなくなった、あれもなくなった、これもなくなった・・・。
「お前、両親いるだろ?年取ると大変だよ。」
「いいえ、私はもう二人ともいないんです。」
そうなのか、それじゃいいな、もう老老介護だ大変だよ、そしてまた「助かったのが良かったのか、悪かったのか」とおっしゃられる。
職業柄、私のような問い合わせがごまんとあったのだろう。
そして、そのたびにこの話を繰り返しているうちに、もうこの災害状況はおおかたマニュアル化と言うか、まさに「いもを洗うように」お前も又か・・という感じで語られるのだった。
私は「教え子が心配してると思ったら励みになるかも」というのは、とんでもない傲慢だったと思い、穴があったら入りたい気持になった。
せめて、幹事の子の様にボランティアに行くならまだしも、電話で安易に励ましだなんてそれこそしない方がマシ(時間の無駄)だったのではないか。「連絡ひとつよこさない」と思われるのもどうかと思ったそのチンケな同情がミエミエになってしまった。。。(お元気なのが分かったのは安心だったけど)
そして先生は「金だね、金!」と言い、「こういう時に何より大切なのはすぐ使える金を持っていること!」
自分も今までTVを見ながら他人事のように思っていたけど当事者になると大変、そしてまた「生きてたのが良かったのか悪かったのか」と言い、私はその状況に返す言葉も無く、えぇ・・・と小声でもらすしかないのだった。
(一応最後に「心配してくれてアリガトウ」とは言っていただいたが・・・)
そして自分も思い出した。
それは離婚した時のこと。
周りは同情したり、励まそうと思っていたのかもしれないが、その言葉の何一つをも心に響かなかったこと。
ひねくれた心からはただの火事場見物にしか思えなかったこと。
本当に自分が大変な時はそれどころではないのだ。同じ穴のムジナでなければ分かりっこないのだ。
(少なくても当時の自分はたかが離婚ですらそんな感じだった)
そんな事を思い出しながら、私は画面を見ている。
これは決して他人事ではない。でもどこまで真剣にそう思っているのかはもう分からない。
できることはせめて募金ぐらいなのではなかろうか。それからいざと言う時に備えておくこと。
(と言いつつも、やはりどこか他人事・・)
そしていざと言う時に必要なのは「金だね、金!」であること。。。
今日は定番のハンバーグ弁当&肉詰めピーマン弁当。
詰め方がグジャグジャになってしまった。
台風だけでも大きな災害だったのに、今度は北海道で地震。。
そう言えば、もうしばらく経つが、昔の担任の先生の住む町が大災害になったのだ。
私は年賀状を取り出し、TVを見ながら「先生の町だ」と確信した。
だが、私に一体何ができる?
それから1ヶ月が過ぎ、2ヶ月が過ぎようとしたある日、思い切って電話をしてみることにした。
別に電話をしたところで、何の役にも立たないのだが、何となく先生の町を思い出すたびに胸がつかえるのだった。
先生も、もしかしたら教え子が心配してる・・・・その気持だけでも励みになるかもしれないと考えた。
しかし何度電話しても先生は出ない。
いよいよ私も不安になってきた。
もしかして先生は、この世にはいないのでは・・・・?
そしてしばらくしたある日、勇気を持ってクラス会の幹事の子にメールを送ってみた。
TVで先生の町が災害に遭ったのを知って、電話をしてもいつも出ないのでどうしていらっしゃるか知ってる?
まもなくその子から返事がきて、家の電話は出ないかも、先生は携帯を持っているよ。
掛けてみると、きっと喜ぶよ!
自分も3週間前に会いに行って来たんだ。
そして教えられた番号に掛けてみた。
先生が出てきた。
開口一番は「生き残ったのが良かったのか、悪かったのか」で始まった。
家も車も何もかも無くなった。
残ったのは自分(70近く)とボケたばあさんだけ。
そして先生はまるでイモを洗うように一連の話を続けた。
こんなにひどい状況(災害の様子)、失った機械はあれとこれとそれ、買った値段だと全部でコレコレ(安い家が建ちそうな値段)、妹の形見の反物もなくなった、あれもなくなった、これもなくなった・・・。
「お前、両親いるだろ?年取ると大変だよ。」
「いいえ、私はもう二人ともいないんです。」
そうなのか、それじゃいいな、もう老老介護だ大変だよ、そしてまた「助かったのが良かったのか、悪かったのか」とおっしゃられる。
職業柄、私のような問い合わせがごまんとあったのだろう。
そして、そのたびにこの話を繰り返しているうちに、もうこの災害状況はおおかたマニュアル化と言うか、まさに「いもを洗うように」お前も又か・・という感じで語られるのだった。
私は「教え子が心配してると思ったら励みになるかも」というのは、とんでもない傲慢だったと思い、穴があったら入りたい気持になった。
せめて、幹事の子の様にボランティアに行くならまだしも、電話で安易に励ましだなんてそれこそしない方がマシ(時間の無駄)だったのではないか。「連絡ひとつよこさない」と思われるのもどうかと思ったそのチンケな同情がミエミエになってしまった。。。(お元気なのが分かったのは安心だったけど)
そして先生は「金だね、金!」と言い、「こういう時に何より大切なのはすぐ使える金を持っていること!」
自分も今までTVを見ながら他人事のように思っていたけど当事者になると大変、そしてまた「生きてたのが良かったのか悪かったのか」と言い、私はその状況に返す言葉も無く、えぇ・・・と小声でもらすしかないのだった。
(一応最後に「心配してくれてアリガトウ」とは言っていただいたが・・・)
そして自分も思い出した。
それは離婚した時のこと。
周りは同情したり、励まそうと思っていたのかもしれないが、その言葉の何一つをも心に響かなかったこと。
ひねくれた心からはただの火事場見物にしか思えなかったこと。
本当に自分が大変な時はそれどころではないのだ。同じ穴のムジナでなければ分かりっこないのだ。
(少なくても当時の自分はたかが離婚ですらそんな感じだった)
そんな事を思い出しながら、私は画面を見ている。
これは決して他人事ではない。でもどこまで真剣にそう思っているのかはもう分からない。
できることはせめて募金ぐらいなのではなかろうか。それからいざと言う時に備えておくこと。
(と言いつつも、やはりどこか他人事・・)
そしていざと言う時に必要なのは「金だね、金!」であること。。。
今日は定番のハンバーグ弁当&肉詰めピーマン弁当。
詰め方がグジャグジャになってしまった。