津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■熊本史談会例会と資料一覧  その一

2020-11-25 14:45:10 | 熊本史談会

           熊本史談会例会と資料一覧      但・津々堂入会以後の記録である

平成19
  ■12月1日・土 熊本市中央公民館

   ・熊本五倫 仁義礼智信 藩校サミット熊本大会によせて

平成20
  ■1月~11月 (日時会場など詳細不明)
   ・慶応二年・於小倉表聞取帳  荒尾史談会会長・下津晃氏

  (621日 藩校サミット・熊本大会開催 於・熊本市民会館 会員出席)

   ■12月例会及び懇親会(12月20日・交通センターホテル)
   ・小倉出張日記(1)      荒尾史談会会長・下津晃氏
        史料「慶応二年・長州御征伐ニ付小倉表江弐番手御繰出張帳」

   ・懇親会・昼食会 交通センターホテル・朝顔の間(会費3,500円)

平成21
  ■1月例会(1月31日・土 熊本市中央公民館・5F‐1号会議室)

   ・小倉出張日記(2)     荒尾史談会会長・下津晃氏
   ・清正の家族・その2-山崎氏と嫡子虎熊養子百助  福田正秀会員
  ■2月例会(2月22日・日 熊本県伝統工芸館・2F会議室)
   ・肥後藩浦賀警備日記(1)  荒尾史談会会長・下津晃氏
   ・小倉戦争に於ける長岡監物文書

  ■3月例会(3月29日・日 熊本市中央公民館・5階会議室)
   ・肥後藩浦賀警備日記(2)  荒尾史談会会長・下津晃氏
  ■4月例会(4月25日・土 熊本市中央公民館・5F‐1号会議室)

   ・肥後藩浦賀警備日記(3)  荒尾史談会会長・下津晃氏
   ・清正公妻子の研究3     福田正秀会員

  ■5月例会(5月30日・土 熊本市中央公民館・5F‐1号会議室)
   ・肥後藩浦賀警備日記(4)  荒尾史談会会長・下津晃氏
   ・戦国武将の能好み      中村勝会員

   ・お能の見方・楽しみ方
  ■6月例会(6月27日・土 熊本市中央公民館・5F‐1号会議室)
   ・肥後藩浦賀警備日記(5)  荒尾史談会会長・下津晃氏
   ・清正公妻子の研究      福田正秀会員

  ■7月例会(7月19日・日 熊本市中央公民館・3F‐和室)
   ・肥後藩浦賀警備日記(6)  荒尾史談会会長・下津晃氏
   ・若狭武田氏と甲州武田氏   福田晴男・木庭實治会員

  ■8月例会(8月23日・土 熊本県立工芸会館・2F会議室)
   ・柹原日記から「大木土佐(兼能)」のこと
  ■9月例会(9月20日・日 熊本市中央公民館・5F‐2号会議室)
   ・寺子屋学則の読解
   ・既解読文製本 寄贈のことなど
  ■10月例会(10月10日・土 熊本市中央公民館・5F‐1号会議室)
   ・嘉永六年文書解読「肥後藩奉行・佐田右平日記」
   ・慶応元年「長州探索記」平川亀右衛門
  ■11月例会(11月21日・土 熊本市中央公民館・5階会議室)
   ・嘉永六年文書解読「肥後藩奉行・佐田右平日記」
   ・ペリー来航後のロシア船 長崎来航一件
  ■12月例会・懇親会(12月10日 KKRホテル)
   ・例会  17~18時
   ・離縁状、指名手配書等
   ・懇親会 18~20時 (会費5,000円)

平成22
  ■1月例会(1月23日・土 熊本市民会館・10会議室)

   ・細川家お謡初式
   ・慶安御触書(多田隈文書)
  ■2月例会(2月20日・土 熊本市民会館・9号会議室)
   ・慶安御触書(多田隈文書)
   ・江戸瓦のこと           田中美佐子会員
  ■3月例会(3月20日・土 熊本市中央公民館・5階会議室)
   ・木地師の往来手形         木庭實治会員
   *同日午後2時半より「恕斎日録読書会」の開催始まる 於・まるぶん書店
  ■4月例会(4月17日・土 熊本市中央公民館・5階会議室)
   ・薩摩藩江戸上り道中記
   ・肥後名刹探訪について     提案・田中美代子会員
  ■5月例会(5月15日・土 熊本市中央公民館・5階会議室)
   ・薩摩藩江戸上り道中記Ⅱ
   ・安国寺訪問 5月18日・10時田中会員宅集合 
  6月例会(5月12日・土 熊本市中央公民館・5階会議室)
   ・薩摩藩江戸上り道中記(完)
   ・肥後藩250万石 蓑田勝彦氏論考について
   ・有吉家文書について
   ・安国寺訪問報告 「明智系図」「喜多村系図」について
  ■7月例会(7月10日・土 熊本市中央公民館・5階‐2会議室)
   ・有吉家文書「年中行事抜粋」第一回    荒尾史談会会長・下津晃氏
     ・大津御迎之式

     ・花畑御着殿之式
   ・蓑田勝彦氏論文「実学連排除の経緯」ほか
  ■8月例会(8月21日・土 熊本市中央公民館・5階会議室)
   ・有吉家文書「年中行事抜粋」第二回    荒尾史談会会長・下津晃氏
     ・御着座後初召出之式
     ・同御登城之式
   ・薩摩 実学党 近思録くずれ       中村勝会員
  ■9月例会(9月18日・土 熊本市民会館・9会議室)
   ・有吉家文書「年中行事抜粋」第三回    荒尾史談会会長・下津晃氏
   ・齊護公初入部御能拝見之次第

  ■10月例会(10月16日・土 熊本市中央公民館・5階‐1会議室)
   ・有吉家文書「年中行事抜粋」第四回    荒尾史談会会長・下津晃氏
     ・御奉行所御入之式

     ・時習館御入之式
   ・熊本名刹訪問 月末調整中 六角堂本覺寺
  ■11月例会(11月13日・土 熊本市中央公民館・3階和室
   ・有吉家文書「年中行事抜粋」第五回    荒尾史談会会長・下津晃氏
     ・年頭御入之節講釈初 御出入之式

     ・窺日之式、御格帳併考積志らへ心覚 等
   ・熊本名刹訪問 六角堂本覺寺  11月18日(木)14時田中会員宅集合
  ■12月例会(12月12日・日 熊本市中央公民館・3階和室)
   ・有吉家文書「年中行事抜粋」第六回    荒尾史談会会長・下津晃氏
     ・御格帳併考積志らへ心覚 他

   ・清正公忠興公が愛された金春流      中村勝会員

平成23
  ■1月例会(1月30日・日 熊本市中央公民館・5階‐1会議室)

   ・有吉家文書「年中行事抜粋」第七回    荒尾史談会会長・下津晃氏
     ・御初駕前仰渡式 他

  ■2月例会    休会(中村事務局長御都合)
  ■3月例会(3月27日・日 熊本市中央公民館・5階‐2会議室)
   ・有吉家文書「年中行事抜粋」第八回    荒尾史談会会長・下津晃氏
     ・大津御見立
   ・熊本年中行事図絵
   ・現代語訳・肥後孝子伝(一) 朗読    高本保夫会員
  ■4月例会(4月24日・日 熊本市中央公民館・5階‐1会議室)
   ・有吉家文書「年中行事抜粋」第九回    荒尾史談会会長・下津晃氏
     ・中柱御間申渡式

   ・現代語訳・肥後孝子伝(二) 朗読    高本保夫会員
   *4月21日18時より 会員・有吉登聖氏(三卿家老家・御子孫)を囲む会 於:熊本市役所14Fダイニング「彩」
               (自衛隊北熊本駐屯地指令・陸将捕離任 自衛隊富士学校普通科部長着任)
  ■5月例会(5月22日・日 熊本市中央公民館・5階‐1会議室)
   ・有吉家文書「年中行事抜粋」第十回    荒尾史談会会長・下津晃氏
     ・鷹之御間申渡式
   ・現代語訳・肥後孝子伝(三)朗読     高本保夫会員
  ■6月例会(6月19日・日 熊本市中央公民館・5階‐2会議室)
   ・有吉家文書「年中行事抜粋」第十一回   荒尾史談会会長・下津晃氏
   ・現代語訳・肥後孝子伝(四・了)朗読   高本保夫会員

  ■7月例会(7月30日・日 熊本市中央公民館・5階‐1会議室)
   ・有吉家文書「年中行事抜粋」第十二回   荒尾史談会会長・下津晃氏
   ・「細川家藩邸調査」について       藤本 修会員

  ■8月例会(8月28日・日 熊本市中央公民館・3階和室)
   ・有吉家文書「年中行事抜粋」第十三回   荒尾史談会会長・下津晃氏
   ・高本保夫氏著「肥後孝子伝」の発刊について

  9月例会(9月25日・日 熊本市中央公民館・5階‐1会議室)
   ・有吉家文書「年中行事抜粋」第十四回   荒尾史談会会長・下津晃氏
   ・高本保夫氏著「肥後孝子伝」の発刊の報告について

  ■10月例会(10月23日・日 熊本市中央公民館・5階‐1会議室)
   ・有吉家文書「年中行事抜粋」第十五回   荒尾史談会会長・下津晃氏
  ■11月例会(11月26日・日 熊本市中央公民館・5階‐1会議室)

   ・有吉家文書「年中行事抜粋」第十六回終了 荒尾史談会会長・下津晃氏
   *妙解寺掃除(自衛隊北熊本駐屯地・隊員200名参加 史談会数名参加)

   *種々の資料の読み下し並びに解説をいただいた下津晃氏の退任にあたり「記念昼食会」を12:00より
    メルパルク熊本で開催。長い間のご苦労に感謝申し上げる。
  ■12月例会   休会

平成24年度
  ■1月例会(1月21日・土 熊本市中央公民館・5階‐2会議室)

   ・細川家系図にみる公家・諸侯との人間関係と政略   KS
  ■2月例会(2月19日・日 熊本県伝統工芸会館2階会議室)13:30~15:30)  マラソン大会の為会場変更
   ・江戸幕府体制と細川家‐1          花岡興文氏
   ・「肥後孝子伝挿絵」解説          高本保夫氏

       ■3月例会(3月18日・日 熊本県伝統工芸会館2階会議室)13:30~15:30
   ・江戸幕府体制と細川家‐2          花岡興文氏
   ・「肥後孝子伝挿絵」解説-2                     高本保夫氏

  ■4月例会(4月15日・日 熊本市中央公民館・5階‐1会議室 )13:30~15:30
   ・部分御旧記 城郭編 他           花岡興文氏
   ・「肥後孝子伝挿絵」解説-3                 高本保夫氏

  ■5月例会(5月20日・日 熊本市中央公民館・3階‐3会議室 )
   ・幕末動乱期の肥後藩と国つくり        蓑田勝彦氏
   ・「肥後孝子伝挿絵」解説-4                     高本保夫氏

  ■見学会(6月15日・金 10:30~12:00)
   ・益城町砥川の近世郷士屋敷「西園寺家」及び砥川神社等 解説:松野国策先生
  ■6月例会(6月17日・日 熊本県伝統工芸会館2階会議室)13:30~15:30
   ・部分御旧記 Ⅲ                花岡興文氏
   ・「肥後孝子伝挿絵」解説-5                      高本保夫氏

  ■7月例会(7月15日・日 熊本市中央公民館・5階‐1会議室 )14:00~16:00
   ・大雨により休会
  ■8月例会(4月19日・日 熊本市中央公民館・5階‐3会議室 )13:30~15:30
   ・部分御旧記 築城工事の顛末       花岡興文氏
   ・「肥後孝子伝挿絵」解説-6                高本保夫氏

  ■9月例会(9月16日・日 熊本市中央公民館・5階‐3会議室 )13:30~15:30
   ・部分御旧記 築城工事の顛末 他     花岡興文氏
   ・細川邸の「地震の間」          KS

  ■10月例会(10月21日・日 熊本市中央公民館・5階‐2会議室 )13:30~15:30
   ・部分御旧記 築城工事の顛末 他     花岡興文氏
   ・細川邸の「地震の間」補逸        KS

  ■11月例会(11月17日・土 熊本市中央公民館・3階‐3会議室 )13:30~15:30
   ・部分御旧記 築城工事の顛末 他     花岡興文氏
  ■12月例会(11月16日・日 熊本市中央公民館・3階‐3会議室 )13:30~15:30

   ・部分御旧記 築城工事の顛末 他     花岡興文氏
   ・座談

平成25 
  ■新年会・1月例会 (1月27日・KKRホテル 2階和室) 出席者10名
  ■2月例会(2月17日・日 熊本市中央公民館・3階和室 )
   ・部分御旧記 築城工事の顛末 他     花岡興文氏
  ■3月例会(3月17日・日 熊本市中央公民館・4階‐1室 )

   ・部分御旧記 築城工事の顛末 他 最終回    花岡興文氏
   *事務局中村勝氏退任 

  ■4月例会(4月20日・土)
   ・綱利公に対する松井興長公の諫言について  KS
  ■5月例会(5月18日・土 熊本市中央公民館・4階‐1室 )
   ・「蒙古襲来絵詞」の展観、ほか大矢野家の史料について 大矢野種康会員
  ■6月例会(6月15日・土 熊本市中央公民館・3階‐3室 )
   ・水野勝成覚書を読む            KS
   ・恕斎日録にみる熊府河原仙助能       中村勝氏
  ■7月例会(7月20日・土 熊本市中央公民館・5階‐2室 )
   ・水野勝成覚書を読む(二)         KS
   ・アメリカ先住民文学を覗いて        出井ヤスコ会員
  ■8月例会(8月17日・土 熊本市中央公民館・5階‐2室 )
   ・上妻博之先生の書写記録「肥後諷刺文学」から「落書」 KS 
  ■9月例会(9月21日・土 熊本市中央公民館・5階‐2室 )
   ・熊本のお大師廻りと町々          福田晴男会員
  ■10月例会(10月19日・土 熊本市中央公民館・5階‐2室 )
   ・大矢野家文書から見る「小西・加藤勢と天草志岐氏の戦い」
                         大矢野種康会員
   ・有吉武蔵守の肖像画復元について      田中美代子会員
  ■11月例会(11月16日・土 熊本市中央公民館・5階‐2室 )
   ・細川家八代藩主重賢公の逸話集「肥後落穂集」を読む  KS
  ■12月忘年会 (        上通アウネ熊本ビル8F 遊庵)

平成26
  ■1月例会(1月18日・土 熊本市中央公民館・5階‐2室 )

   ・「おきく物語を読む‐大坂城落城と細川家ゆかりの人々の消息をみる」 KS
  ■2月例会(2月15日・土 熊本市中央公民館・5階‐2室 )
   ・熊本城下の坂               藤本 修会員
  ■3例会( )
   ・熊本城下の坂 (二)           同上
  ■4月例会
   ・寺本直廉氏著「肥後見聞雑記」を読む    KS

  ■5月例会
   ・江戸三貨制度 及び 飛行機と旅行について 元日本航空パイロット 清田泰興氏(富合町釈迦堂・清田家当主)

  ■6月例会
   ・阿部茶事談を読む(一)

  ■7月例会
   ・阿部茶事談を読む(二)

  ■8月例会
   ・恕斎日録「芸能幷家族関係抜書」及び肥後能楽略年表 肥後金春流家元・中村 勝氏

   ・神風連の裁判記録を読む          中村裕樹会員
  ■9月例会
   ・阿部茶事談を読む(三)

  ■10月例会
   ・暦と時間の考え方             元日本航空パイロット 清田泰興氏
  ■11月例会
   ・高本李綸先生の五言律詩について      高本保夫会員

  ■12月   忘年会

平成27年

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■熊本史談会・15年の歴史を追う

2020-11-22 18:23:23 | 熊本史談会

 現在の熊本史談会は15年ほど前に、肥後金春流家元の中村勝氏によって設立された。
地震のせいで些か資料が欠落して、確かなことが良くわからないが創立から一年後くらいに参加したように思う。
幸い残っていた「案内状」や「配布資料」、「資料作成原稿」などを頼りに、15年分の「史談会例会資料一覧」を作り始めた。
只今家の中は足の踏み場もないような有様である。資料を袋から取り出し一々月日と内容を書き出す作業をしている。
例会当時にもたらされた新聞記事やパンフ・写真等思い出深い品が出てきて作業の手を止めさせる。
配布資料のストックは二部だけ残して、大ナタを振るって処分することにした。
15年の時間が経過しているが、内容をながめると一つ/\が鮮明に思い出される、78爺もまだぼけてはいないようだ。
一覧はA4サイズ15頁に及ぼうとしている。
15年前の史料を整備すれば、再び新年度からの資料につかれるのではないかと考えている。
今日は部屋の中を抜き足差し足で歩いているが、紙資料を一日中触っているから、手はパサパサになってしまった。
おかげで今日は散歩に出るタイミングを失ってしまった。世の中は三連休だそうだから、休養日ということにしておこう。
「麒麟がくる」を見て、シャワーをつかって寝るばかりだから、散らかった史料はそのままということになる。
明日は一番に散歩をして、又終日この作業が続くことになる。
私の15年の歴史である。

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■退任表明しました

2020-11-22 07:01:18 | 熊本史談会

 肥後狂句だと思うが「うう頭 井戸を覗いてかやり込み」というのがある。
「うう」は「大」の意であり「大頭」、例えば「大番外」を熊本では「ううばんぎゃー」と読んだりする。
「かやり込み」は「倒れ込み」の意である(大分方言)。
つまり、「大きい頭の人が、井戸をのぞき込んでいたら倒れ込んでしまった」ということである。
斯くいう私も「うう頭」の持ち主で、二歳ころの写真が残っているがまさに井戸のそばに立っていて、「おいおい危ないぞ」と声をかけたくなる。

 一年程前か、散歩をしていてまっすぐ歩けないことに気づいた。本人は真っすぐ歩いているつもりなのだが、50㎝くらいの幅で右に左に身体がぶれるようになった。
病院で検査をうけたら、「小脳」が小さくなっているとのご託宣である。
「脳」が小さくなっているのなら、「うう頭」も少し小さくなってくれれば有難いのだが・・・

 心筋梗塞予備軍だから「ニトロ」の携帯を言い渡され、高血圧・高血糖の薬を欠かせず、インフルエンザの予防注射を人生初めて受けたが、コロナにかかればもうあの世行きは間違いない。
最近では時おり「パーキンソン病」ではないかと思わせる症状が出る。歩いていると右へ右へ身体が引っ張られていく。
これが何とも不安でしょうがない。又精密検査をうけなければならない。

 そんなこんなの我体調で、今般8年間務めた「熊本史談会」の事務局を引退させていただくことを、昨日の例会で表明しご了解をいただいた。
来年度からは新体制で、新たな発展に向けて歩みだすことになる。元気な内は協力を惜しまないことは当然である。

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■ブログの効用

2020-11-18 17:33:43 | 熊本史談会

 次回の史談会で、ある事情で若干の挨拶をしなければならない。
私が事務局をお預かりしたのがいつだったのか、地震で記録が散逸して定かではない。
ふと思い立ってこのブログで「史談会」と検索すると、随分前に遡ることができた。相当な数の小文を書いていた。
いろんな記事がいろんな出来事を思い出させてくれる。そして私の入会が2006年の11月であったことが判明、ちょうど14年になる。
これは当時事務局を預かって居られた、肥後金春流の中村勝氏がわざわざ我が家を訪ねてこられたことによる。
どうやら、私のサイトをご覧になってのことだが、氏は初対面の私に「奇人」といわれた。
馬鹿なことをやっているとの意であろう。
2013年の4月から私が微力ながら事務局をお預かりすることになった。7年7か月ほどお預かりしてきた。

史談会の歴史をデータだけでも明らかにしたいと思っているが、幸いにもこのブログが役に立った。
相当な記事があるが一つ/\とりあげて、紡ぎあげていこうと思っている。
記事の間から、懐かしい風景もよみがえるし、おやめになった会員や、鬼籍に入られた会員の御顔なども浮かんでくる。
熊本史談会は15年の歴史を有する老舗となりつつある。さらなる飛躍を望みたい。

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■最後の悪あがき

2020-10-15 17:07:27 | 熊本史談会

 史談会の資料を作っているが最後の悪あがきをしている。
いろいろ文章化して、典拠を明らかにしようと思っているが、さてどこに書いてあったかなと思い出すのが一苦労である。
数冊の資料をデスクの横に並べて悪戦苦闘している。このほかにも「地名辞典」だとか「熊本藩年表稿」「フォトグラフ熊本城」「古写真に見る・熊本城と城下町」「マンスフェルトが見た長崎・熊本」「熊本城下町絵図」数点など、床の上に足の踏み場もない。今日中に何とかまとめてこれらを本棚のもとの位置に戻してやらないと、わが部屋は歩くにも難儀する有様である。
レジュメ5頁、絵図7枚ほどでなんとかおさめををつけようと思う。明日は200枚ほどのコピーが待っている。
最近肺活量がめっきり落ちている爺様、しゃべれるのかしら、90分ほどでご勘弁願おうと思っている。

             

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■史談会資料作成・・ようやく完成

2020-08-20 11:22:33 | 熊本史談会

 史談会例会は明後日だというのに、まだ資料が完成しないでいた。
「文久三年 恕斎日録」を42回にわたりご紹介してきたが、これが大変面白いのでご紹介しようと考え、一年分の大方の事柄を、二日がかりで二枚の表にした。
これだけでは、会員諸氏の手元資料としてはお寒い感じで、日録の釈文をお配りすることにした。
まずは一年分を三回に分けることに仕、1~4月分をブログから取り出し、ワードに移してつなぎ合わせた。
全27ページ(24,000余字)にもなり、これから主だった記事を抜粋して縮小し19ページにまとめ上げた。
随分タイピングの不具合が認められ、昨日は一日がかりで原文と照らし合わせ、改行などを原文同様に組直しをした。
これを20部ほどコピーしなければならないから、もう少し縮小したいところだがもう限度だろう。
まずは、原稿が出来上がり一安心、今日も暑い一日なりそう、一日巣ごもりをして原稿の読み込みと関係する事件などに付、下調べである。

            

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■熊本史談会8月例会は

2020-08-11 08:43:25 | 熊本史談会

                    恕斎日録「文久三年」原本表紙

 8月の熊本史談会例会では、「恕斎日録未刊行原稿から、文久三年のあわただしい幕末熊本の一年」を取り上げる。
恕斎のご子孫、肥後金春流のご当主中村勝様から、釈文のご提供をたまわり、その内容は現在当方ブログでご紹介している。
あと数回で完了の予定だが、余りの面白さにタイピングのスピードも上り予定より早く完了の予定である。

        ・文久二年の改革に伴う藩主夫人・子女の相次ぐ帰国
        ・京都よりの良之助(護美)一行の帰国と京都情報
        ・幕末情勢の緊迫に伴う大砲の鋳造や西洋式訓練の開始
        ・京都守護の為の農兵組織編制の建議や御家人等の訓練強化
        ・生麦事件を原因とする薩英戦争や下関戦争勃発とその対応
        ・同上 援助の申し入れ(薩摩)や、ことわり(長州)
        ・横嶋干拓の大決壊と復旧
        ・藩主・慶順(韶邦)の遊漁の準備・随伴、振舞参加、御重箱拝領の顛末
        ・従兄弟筋・吉弘家の養子縁組や当主の死去、庄右衛門岳父の死去
        ・高瀬(玉名)奉行の死に伴う、仮支配役仰出

思い出すままに書きだしたが、大方このような内容である。それぞれ大変興味深く、個人の日記であることから、公式文書には伺えない記述があり、タイピンしながらおもわず手を止めて笑ったりしたことも度々である。
このすべてを二時間弱でお話することは容易ではない。一年分を一日毎の大方の様子を表にまとめている。
精々前期6ヶ月分を取り上げてお話しようと思っている。それぞれの事件の背景なども急きょ勉強しなければならず、相変わらずの泥縄ではある。

                  熊本史談会8月例会
                  令和2年8月22日 9:50~11:50
                  熊本市民会館 第6会議室(40名収容可)
                  参加自由(資料代300円)

        

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■熊本史談会6月例会

2020-06-20 15:51:45 | 熊本史談会

                
                    三密状態を避けるためにこんな状態ですが、後ろの方も満席でした。

           
 熊本は昨日までは洪水注意報が発令されるほどの激しい降りがあったが、今日は良い天気になった。
4・5月例会を取りやめたため会員の方とは三か月ぶりの再会、そして一般入場者も多くあっての盛会となった。
今回は佐々成政研究会の会員で熊本佐々家(干城系)の佐々瑞雄氏をお招きして、「肥後国主佐々成政が遺したもの‐越中の覇者・肥後の失政」をお聞きした。
佐々成政の熊本の治世はわずか一年余である。成政の入国により検地が行われ、これに対して在地の国衆が蜂起して戦いとなった。
巷間伝えられるいろいろな資料の信ぴょう性が疑われているが、肥後に於ける国衆の一揆の勃発が、秀吉をして成政の命を奪う口実となった。
国主として高い教養と見識をもった成政が、熊本に於いては本当の実力が発揮されないままの無念の死であった。
この一揆をきっかけとして秀吉の九州征伐の為の大軍をして、九州が一気に平定したことは大変皮肉な事ではある。
熊本人として、成政の人となりを勉強する良い機会となった。
水戸家家臣・佐々助三郎や、明治の三兄弟(干城・友房・正之)の活躍など、お聞きしたい話は沢山あるが、又の機会にお聞きすることにして閉会した。

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■佐々家三題噺+1

2020-06-10 12:36:10 | 熊本史談会

 20日の史談会では、佐々成政公のご子孫・佐々瑞雄氏を講師にお迎えして、「肥後国主佐々成政が遺したもの~越中の覇者・肥後の失政~」をお聞きすることにした。
佐々氏とは20代前半から30代前半の10数年、茶道・肥後古流のお稽古を通じての友人である。講演をお願いすると快諾していただいた。
佐々家を語るにはその歴史は広範にわたり、90分の制限した時間では語りつくせない。
佐々氏との打ち合わせの中で「1・佐々成政の事、2・水戸藩士佐々宗純(助三郎)の事、3・明治の三兄弟、(干城・友房・正之)の事が「佐々家の三題噺」だといわれる。
まずは今回は(1)を取り上げようということになった。
私はひそかに(4)として、「徳川家、絵師狩野家に入った成政の子孫」を加えたいと思っている。
このことを詳しく知る人はそう多くはあるまいが、遠藤和子著「家光大奥・中の丸の生涯‐狩野探幽と尽くした徳川太平の世」が詳しい。
一応小説仕立てのさまに思えるが、その所々に引用した記事の出典が記事ごと、頁ごとに記されており、一種研究論文の躰を感じさせる。
534ページに及ぶ大部だが、なかなか面白くて出色である。
つまり、成政女の岳星院の女・鷹司孝子が徳川家光の正室であり、同様養秀院の子が狩野探幽である。
二人は生母(成政女)が異なるが、いとこの間柄である。
成政の最後は大変悲劇的なものがあるが、徳川家および絵師狩野家に多大な足跡を残したのである。
このことを含めて「佐々家四題噺」であろうと思っている。

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■熊本史談会6月例会、開催決定

2020-06-04 19:42:09 | 熊本史談会

 熊本史談会はいつも熊本市民会館を会場としているが、四月は熊本市の要請により取りやめ、五月は13日まで使用不可、16日の開催予定だったので大いに迷ったが、これも取りやめの決定をして二ヶ月続きの流会となった。
六月は何とか開催したいと思っていたがようやく開催の運びとなった。
予定していた20人収容の会議室を急きょ40人収容の会議室に変更、「密」を避けるための措置だが幸いにも部屋に空室があって幸いだった。
お願いしている講師にも随分御迷惑をかけたが、立派なレジュメも用意していただきその原稿も手元に届いた。
これから地元紙・熊本日日新聞の「文化短信」に掲載をお願いしなければならないし、レジュメの印刷や会員への案内状の準備など忙しくなる。
しかしコロナ暇のなか、久しぶりの忙しさもまた良いものだ。

       演目:「肥後国主佐々成政が遺したもの~越中の覇者・肥後の失政~」
       講師: 佐々成政研究会会員 佐々瑞雄氏   佐々成政(佐々干城系)子孫
       場所: 熊本市民会館:第6会議室
       日時: 令和2年6月20日 午前9:50~11:50

佐々成政の神髄をお聞きすることを楽しみにしている。一般の方のご参加も大いに歓迎する(資料代300円)

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■休会を決意

2020-05-07 13:21:28 | 熊本史談会

 

 熊本ではもう10日以上コロナ感染者は出ていない。しかし若干ながらも感染者が増えている福岡がお隣さんである。
まだまだ気をゆるわけにはいかぬ。
「緊急事態宣言」が延長される中で、一部緩和の動きが出てきた。熊本県では美術館は今日から再開されたが、図書館では再開の動きがない。県と市では温度差があり、市の図書館・美術館・博物館などのオープンは未だになりそうである。
史談会で使わせていただいている熊本市民会館の使用は今日から再開の予定であったが、逆に13日まで延長された。
5月例会予定の16日は、再度延長はないとは思うが、熟慮の上安全第一を考慮して休会とすることを決意した。
早速その案内をしなければならない。そして6月開催に前向きに取り組もうと思っている。

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■どうしよう史談会

2020-05-03 06:11:09 | 熊本史談会

 熊本はここ五日ほど新規の感染者はでていない。しかし「緊急事態宣言」の延長は必須の状況となってきた。
街角から人影が途絶え、元気な子供たちの歓声も聞こえてこない。
なんとも異常な状況だが、子供たちも何とか理解してこの困難を乗り越えようとしているのだろう。
娘の長男は高三、大学受験を目の前にしてどうなる事やら・・・
二男は今年中学一年生になったのだが、入学式もなく、新しい友達も出来ず、教科書を受け取りに一日だけ登校して現在に至っている。
九月新学期の話が検討されるというが、その間教育現場は混乱を極めることだろう。
何とか不定期にでも「バラバラ登校」という手はないものだろうかと、爺様の安直な考えである。

 身辺では熊本史談会の5月例会の開催をどうしたものかと、頭を悩ませている。
4月は会場の熊本市民会館の使用制限の連絡があって、休会としたが、今月は未だその気配がない。
連休明けの7日とかに連絡が入っても、開催予定が16日だから準備その他微妙である。
「自主的休会」にすべきなのか、大いに悩ましいことではある。

アマビエ様をお飾りして、ただただ「疫病退散」を祈るばかりである。

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■強い要請

2020-04-02 07:25:48 | 熊本史談会

 熊本のコロナウイルス感染者は現在14名、まだまだ予断を許さない。
そんな中、史談会の4月例会の開催(18日予定)については頭を悩ましていた。
講師のやりくりや変更などでバタバタしている中、熊本市から「市民会館での開催予定の催事について」という書面が送られてきた。
それは「中止もしくは延期」の「強い要請」である。まずは4月の開催予定分のみではあるが、果たして今月中に終息は望めるのだろうか。
再度5月分の要請があるかもしれない。頭の痛いことではあるが、要請を受け止めて万端手を尽くさなければならない。

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■藤崎城と藤崎八崎

2020-03-22 07:53:50 | 熊本史談会

 馬追いが勇壮な例大祭で知られる「藤崎八旙宮」は、「承平5年(935)に朱雀天皇が平将門の乱平定を祈願され、山城国(京都)石清水八幡大神を国家鎮護の神として、茶臼山(今の藤崎台球場)に勧請されたのに始まる。」と社記はしるす古い歴史御持つ神社である。「鎮座の日、勧請の勅使が藤の鞭を3つに折って、3ヵ所に埋めたところ、この地に挿した鞭から、やがて芽が出て枝葉が繁茂したので、藤崎宮の名称が起こったと伝えられている。」ともある。

社記にあるように、以前は熊本城内の藤崎台にあった。
南北朝末期、九州の地は唯一南朝方が優位を保った地であったが、今川貞世(了俊)が九州探題に就任すると状況は一変することになる。度々戦いが繰り返され、北朝方(武家方)の優位が見られるようになる。
熊本に於いても、幾たびも戦がくりかえされる中で、「隈本城に対峙する北朝方の藤崎城」の存在が、「軍忠状」に記された内容から浮かび上がってくる。特定する史料は見当たらないものの、藤崎城はまさに藤崎宮があった藤崎台の地に在ったろう事は、間違いないことであろう。

 昨日の史談会では会員のM氏の貴重な研究成果の発表があり、藤崎という地名の由来や、「雑華錦語集」がしるす「藤崎八崎」についての発表と共に、諸会員のいろんな質問・発言などがあって、誠に有意義な会合となった。
M氏は地元にお住まいになって居り、まさに地元の人ならではの知識が豊かであり、説得力がある。藤崎宮注進に「八崎=藤崎・牧崎・河原崎・榎崎・弥勒崎・御崎・鐘射崎・筆崎」が存在し、夫々は阿蘇山の火砕流で形成された京町台地につづく藤崎台において浸食崩壊により崎(岬)を為していた。
藤崎の地名についてM氏は藤崎宮の社記にそっておられる。一方「藤崎=ふちさき→渕先」とする考えが存在しており、私は後者であろうと考えている。

一方私は「熊本平野の貝塚分布」の図をお示ししたが、いわゆる「縄文海進」は熊本市内のかなり深い部分まで入り込んでいたことが理解できる。熊本城の石垣に用いられた石材は水運をもってこの場所から運び上げられたという。つまり井芹川がこの台地の間直にあった。
往古のこれ等の風景を想像すると、誠に心豊かにさせてくれる。

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■開催の方向へ

2020-03-10 10:43:03 | 熊本史談会

 3月21日開催予定の史談会例会については、熊本市民会館に会場予約は出来ているが、講師への確認などを含めコロナ騒動で開催できるかどうかを心配していたが、平常通り開催する方向で進むことにした。
そこで慌てて会員の皆様への案内、熊本日日新聞の文化短信欄への掲載の依頼等バタバタしてる。
緊急突発的な事柄については、万全を期して対応したいと思っている。
今回は南北朝の末期、熊本を舞台としたいくつかの戦の中で、九州探題・今川了俊の軍忠状に登場する「藤崎城」を取り上げる。
「藤崎城」の場所はかって藤崎八旙宮があった当り(現在の熊本城内・藤崎台球場)だとされるものの、定かな場所の特定は出来ないようだ。
軍忠状には、藤崎城に対峙する「くまもとの城」の存在が判る。これがどこにあったのかは謎の中の謎となっている。

また藤崎城に係る「藤崎八崎(地名)」も同時にお話しいただくが、これも大変興味深いことである。

「“知るは楽しみなり”知識をたくさん持つことは人生を楽しくしてくれるもの」とは、かってのNHKの名物アナ・鈴木健二氏の言葉だが、今回も又「知るは楽しみ」を満喫したいと思っている。
又、コロナウイルス騒動で沈滞した気持ちを、振り払おうと思っている。

 

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