文政10年(1827)11月朔日の「惣月行事記録抜書」にある文章である。グレゴリオ暦では12月18日に当たるから相当寒かったものと思われる。
そんな中「一衣不着」の者がいることについて、町奉行の根取中からの町方別当に宛てた書面である。
宛名の渡辺甚三郎とは、町在の記録(褒賞記録)によると「熊本蔚山町町別当町独礼渡辺甚三郎」であろうと思われる。
蔚山町の住民に着るものさえ窮する者があったと見える。
そもそもそのような者は、「すべて銘々の者の日頃の不心得によるもので、「救不申」ともよいように達をして下さい」(全銘々不心得故之事ニ付、夫等之類ハ救不申候て其段被相達候様・・)とまでしたようであるが、これは役所の取り上げることではなかったようだ。
これを町内で助け合いが為されないことは「重疊不埒」であると通告している。その様なものは「町方末座」を申し付けるとし、一方では「五人組なとよりも無油断心を付、気立能成立産業心懸」て、藩からの「御救」を受けることがないようになれば、そのことを「達出」すれば御褒美も下されるであろうと、「飴と鞭」のやり方が顔を見せている。
今年もあと二ヶ月、年末の共同募金などが街中に見られる季節となった。
いつの時代も助け合いの心をもって、心豊かでありたいと思う。
例年極寒ニ差向候得は各支配内一衣不着之ものとも不及飢寒候様ニ連年被取救來候処、
何之申分も無之有力達者之もの等第一衣不着ニ居候もの全銘々不心得故之事ニ付、夫
等之類ハ救不申候て其段被相達候様との儀ニ付てハ、委細天明八年及達置候通候処、
近年間々右体之もの有之哉ニ相聞、不心得之至第一風俗ニおゐて難相済事ニ候、根元
鰥寡孤独其外病者不具之類或ハ非常之災難等ニて一衣不着之其身之力ニ難及難儀之訳
ニ被対、御仁慈之筋を以取救候様ニ被仰付、其功を夫々被賞事ニ候得は取も直又上よ
り之御救ニ候処、右躰之もの如何相心得候哉、平日己か振捌ハ自由ケ間敷候ても被取
救候節ハ義理も恥も無之、剰人並ニ口を張居候など重疊不埒之至候間、以来右躰之者
有之段相聞ハ屹ト御吟味之上、町人末座ニ被仰付筈ニ候、若其上ニも心底不相改産業
不心懸にて徒らニ日を送り候者ハ一統風儀之妨ニ相成候間、猶稠敷被仰付筋も有之候
間、其旨能々相心得候様、常々各以下役脇より之教示ハ不及申、五人組なとよりも無
油断心を付、気立能成立産業心懸救を受不申程之自分ニ相成候ハヽ、其段達出有之次
第屹ト御褒美被下置筈候条、右之趣委しく申諭候様、町中一統可被達旨候、以上
十一月朔日 町方根取中
渡辺甚三郎殿