(39)
一(富森)助右衛門十九歳之時、内匠頭様御使役被仰付、卽日より馬を持可申由、先年水谷出羽守様御居城を内匠頭様御受取被成候刻、助
右衛門を赤穂え早使に被差越、六日ぶりに着仕候由、(原)惣右衛門噺に、傳馬丁問屋共に、兼々金銀被遣候由、定而道中筋之問屋なと
へも、同前と存候、其故助右衛門も早着と存候、助右衛門懐中に金子二十両入置候由被申、右被仰付候節も、御廣間より直に立被申候
由、若き面々咄申され候、他所は組付にても使役とて有之由に候事
(40)
一助右衛門被申候は、上野介殿屋敷へ、毎夜代る/\申合せ参り候、平長屋、竹腰板、中塗位之壁にて透通り、燈の光如形用心の體見え候
に付、鑓なと柄短くいたし可然と申合せ、九尺に仕候、戸障子を踏破り候へば、座敷の内も廣く覺え申候、長屋之内しか/\隔もなく、
妻子など居申所一間にて、夜仕事など仕候、灯透渡り明く見え候迚笑被申、何れも心を盡し被申候、上野介殿居間知兼、致難儀候由、
(磯貝)十郎左衛門などは、女にもたより見、心を盡し尋たる事も候とて、何も咄被申候事、其後の事に候、十郎左衛門母儀に逢候が、
色々咄に十郎左衛門は、内匠頭様兒小姓に被召出、段々懇意に預、衣類なども澤山に持居被申候、傍輩中浪人して、困窮に及びたる人に
は、右之衣類、夫々遣申たるよし、十郎左衛門儀、當夏之頃、町屋へ出居被申候内、熱病を煩被申候故、母下女を召連參候て、看病いた
し候處、譫言申候も、兼て心底に思居一列の事を而已申候故、町宅にてあり、外に洩れ可申と、殊の外氣遣いたし候、十郎左衛門 兄共
両人有之候、未妻も無く、兎角妻無御座候てはならぬ事とて、方々心懸頼廻候事も、手段と存候よし被申候、扨は何も被申候樣女にも心
を盡し被申候へは此事以後一入感入候、十郎左衛門切腹之節血出兼候、いな事と被申候衆有之候、畢竟大病を久々被煩候故と存候事
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一潮田又之丞被申候は、松平壹岐守様御家来に、有田安菴と申醫者居申候、右之者因幡國へいつ發足仕候哉、承りくれ候へと被申候に付、
彼御屋敷え參候て尋候得は、舊冬在郷え無恙着被仕候、左右も有之候由、又之丞へ申聞せ、悦被申候事、