津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■熊本史談会11月例会ご案内 「赤穂義士接待役・堀内傳右衛門について」の講演

2024-11-03 08:02:16 | 熊本史談会
 元禄15年旧暦12月14日(1703)赤穂義士の吉良邸討ち入り後、細川家は義士46名のうち17名のお預けが決まった。
藩主・綱利はこれらの人々を温かくもてなしたが、接待役を仰せつかった堀内傳右衛門は「堀内傳右衛門覚書」に詳しく記録を残し、
赤穂事件の研究に大きく貢献している。
今般熊本史談会では、(財)日本義士会の理事で、山鹿支部の支部長であられる宮川政士氏をお招きし、傳右衛門ゆかりの山鹿日輪寺
の顕彰活動などを通して赤穂義士と肥後についてお話を伺うことにした。
ご興味ある皆様のご来場をお待ち申し上げる。
 
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      期日:令和6年11月9日(第二・土曜日)午前9時45分~11時45分(質問時間を含む)
      場所:熊本市電交通局電停前・ウェルパルくまもと(熊本保健所入居ビル)1階「アイポート」
      講題:赤穂義士接待役・堀内傳右衛門について
            「山鹿日輪寺と赤穂義士-忠臣蔵と肥後」

      講演:(財)中央義士会理事、山鹿支部長 宮川政士氏

      一般参加自由
          連絡不要、但し当日参加費 500円(資料代を含む)を申し受けます。
               お問い合わせ 090-9494‐3190 眞藤
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■新地御入目出銀者と江戸の三貨制度

2024-11-03 07:33:40 | 歴史

 昭和49年(1974)10月に発刊された森田誠一編「肥後細川藩の研究」を読んでいる。
第二編第二章に森田先生の論考「近世の郷士制、特に金納郷士の性格」という項が立てられている。
その中に、金納郷士ではないが、文政四年正月に出された「今度新地御入目出銀者左之通」という文章が紹介されている。

 一、銭二百貫目
   地面百石被下置、御奉行所觸被仰付、乗馬飼料、門松、増奉公人被渡下、旧古之家柄に縁組勝手次第
 (以下、同百貫目、同七十貫目があるが省略する)

この解説として、「銭を貫目にしての二百貫というと、当時大阪相場で大体、金一両は銀六十匁前後であるから、金にして三千三百三十余両ということになり、・・・」とある。

以上の事は、「古町むかし話・熊本御城下の町人」(岡崎鴻吉氏著・昭和27年刊行)にも紹介されている。

さて、この3,330余両の計算の根拠を考えてみよう。
上記文章に於いては「新地御入目出銀者」と書かれているから、森田先生は「一、銭二百貫目」とあるにもかかわらず、銀二百貫」で計算されていることが判る。
200貫=200、000匁であるからこれを銀60匁/両から、3,330余両と算出されている。
文政の頃の両がいくらするのかよく承知しないが、例えば5万円/両とすれば16,666万円となる。
1億6666万円を出すことのできる商人が存在したのだろうか?その結果には「古町むかし話」も触れていない。

どうもこの話は、100石収穫できる土地を拝領する(武家に於いての100石知行取)という事らしいが、実収入は知行と同様40%にも満たないものである。
1石=1両=5万円だとすると、年間200万円ほどの収入に成るから、1億6666万円を取り戻すには83年かかることになる。
それよりも「御奉行所觸被仰付、乗馬飼料、門松、増奉公人被渡下、旧古之家柄に縁組勝手次第」という特典が魅力的なのかもしれない。


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