松江城とは八代城の別名、現在の町名の八代市松江城町に在る故である。「秘録」の名が示すように、細川三齋の死やこれに関連する情報がまとめられている。まさに秘録であり、余り知られていない細川藩の裏面史ともいえる。これは上妻文庫に所収されているものによる。
三齋の要望通り本藩に於いても、八代の地で細川立允をして6万石の支藩を立藩する事が考えられていた。しかしながら、島原一揆、忠利の死、立允の死、そして三齋の死とめまぐるしく状況は変化していった。この「松江城秘録」に見られるように、三齋の死は本藩と八代御附衆との間に微妙な齟齬を生じさせた。
項目をおってご紹介しようと思う。
一、二、三
長岡勘解由八代へ被遣付自然世上(状)不慮之儀も候時ハ八代ニ居
申間敷由佐渡監物へ充候而誓帋差上驚申候
四、新美八左衛門等今度ノ仕合奉公振気二入不申扶持を放候段可申者
五、八代之儀兎角宮松を置申事ニ而無之被
六、刑部二三齋様御對面之段弥御老忘無是非候
七、三齋様御老忘世情之聞無是非候
八、庄林隼人新美八左衛門御暇被遣候
九、三齋様御逝去
十、三齋様へ刑部御目見之儀
十一、立殿三齋様御一代ハ今之分已後ハ御加被置三万石
十ニ、八代之儀とかく宮松殿を被召置儀二て無御座候
十三、立允様御死去二付而八代之事
十四、宇土屋敷割之事
(以前のブログで一部を部分的にご紹介しているが、順を追ってすべてをご紹介する。重複するところが在るが、読み直して修正を加えご紹介をする。)